モデル都市の殺人
K市では他の地域でのバブルでの失敗を反面教師にして、共同体というものを見直すと、まだ途上にある成功への数字が、途中経過として見えてくることがある。それこそが成功の秘訣なのだった。
昭和という時代を頭の片隅に残したまま、バブル後の時代を生きてきた。何も考えていないようだが、それは考えることに自信を持っているからだった。
「不安でないと考えているようには見えてこない」
というのは、実に他人事のように見せるためであって、その気持ちがある場合、いつまでも共同体を信じることができないだろう。
春日井工場長の兄という人は銀行マンであり、時々、工場に融資の話で来ていたが、よくその人から、
「片桐さん、弟を支えてやってください」
とよく言われていた。
美女と野獣
実は、死体で見つかったのは、その工場長の兄である川崎直哉氏であった。なぜ名字が違うのかというと、長男である直哉が養子に出たからだった。
普通では跡取りであるはずの直哉が家を継ぐはずだったのだが、直哉はそもそも工場を継ぐことを嫌がっていた。
直哉は中学時代から自分にコンプレックスを持っていて、どうしても女性にモテないということを、自分の容姿と、その容姿に匹敵するくらいに気にしていた。
「家が工場である」
という事実だった。
K市に生まれ育った人間であれば、他の土地と違って、先代から受け継がれる工場を持っていることが、どんな金持ちや権力者よりも立場が上だった。まさか他の土地では、油臭いとか言って、工場の工員が嫌がられる職業、いわゆる三Kだと言われているなどという知識は持っていなかった。
だが、中学生になった頃から直哉は自分の街が実は他の一般的な街と違って特殊であるということに気づいていた。自分独自に研究した結果、やはり、K市というのが特別なところで、そんな街を軽蔑するほど嫌いだということに気づいてしまったのだ。
そのことが、自分の容姿の醜さと混乱した頭が、工場のような油臭いところでの仕事はとてもできないと思わせた。
「いずれは、俺はここを去って、他の街に行くんだ」
ということが、将来への一番の目標になっていた。
かといって、それほど遠くに行くことはさすがに忍びなかった。隣の県庁所在地の市くらいにとどまっていたいという思いがあったからか。大学も都会に入った。K市出身の学生もいたが、彼らは都心部の連中と一切絡もうとしない。それを当然たと思っていた直哉は、そんな出身地の仲間を見て、
「あれじゃあ、孤立するのも当然だ:
と考えるようになった。
自分がどんどん、変わっていき、垢ぬけてきたような錯覚を抱くようになった。
その頃からだろうか、それまで鏡を見るのが一番嫌いだったはずなのに、見れるようになった。
そして、自分の容姿がそこまで悲観的になるほどではないと気付いたのだ。
確かにお世辞にもイケメンとは言えないが、女性にまったくモテないことはない。そう思い込むことによって、生まれて初めて彼女ができた。
その女性はまるで女王様のようないで立ちで、実際に大手企業の社長令嬢だったのだ。彼女は直哉のどこが気に入ったのか分からなかったが、素朴なところがよかったようだ。直哉も最初はそんな自分に自信を取り戻し、理想の男女関係を結ぶことができたと思っていたのに、最初にぎこちなくしたのは、直哉の方だった。
元々、自分に自信がなかったのは、容姿から来ているのだったが、その思いが自分を自虐的にしていた。それを意識することがないので、自虐しているという意識がないままに自虐状態に陥ると、思ったよりもゾクゾクした気持ちになるようだった。
彼女もそんな直哉に疑問を感じ始めた。
「最初はあんなに好きだったし、頼もしく感じていたのに、今はどこが空く立ったのか分からなくなり、頼もしさを感じていたはずだとは覚えているが、どのあたりにその頼もしさがあったのか、思い出そうとしても思い出せない。
二人はお互いに、完全に相手を見失ってしまっていた。
特に直哉の場合は、さらに自虐的になり、一度は完全に別れるかと思っていたのに、何がどうなったのか、あれよあれよという間に二人は結婚することになった。
彼女が気を緩めて、彼のいいところを探そうとしたのだったが、うまい具合に彼の意志と一致したことがあったので、本当に些細なことが、まるで砂漠で金を見つけたかのような大事件として錯覚し、再度お互いに愛を深めた。結婚したのはその頃だった。
子供が生まれるまでは二人はおしどり夫婦であった。お互いを支え合うことのできたごく短い期間ではあったが、その時間を満喫できたことで、お互いに距離ができても、離婚という意識に至ることはなかったのだ。
お互いに諦めの境地もあったのかも知れない。直哉は工場を出てきて自暴自棄になった時期もあったことでの後悔、彼女の方は、何か頼りない男ではあるが、そんな彼を支えられるのは自分しかいないという勘違い、さらには、二人の間に生まれた娘という宝ができたことで、離婚という選択肢はなくなっていたのだ。
ただ、直哉の自虐的な性格は治っていないし。そのために奥さんの力が必要だった。元々逃げたいと思ってたK市というところだったこともあり、
「結婚するなら養子に入ってほしい」
と言われて、間髪入れずに賛成した。
すでに実家からは勘当されていることもあって、養子に対しての抵抗はなかった。相手の父親とすれば、K市出身の婿は使い道があると思ったのか、後を継がせるつもりはないが、利用できるところは利用しようと思っていたのだった。奥さんに兄がいたこともよかったのだろう。その時点では嫁の実家側の一人勝ちのようなものだった。
養子になり、義父の会社に入れるかと思ったが、銀行に出向になった。元々細かいことが苦手で、いい加減なところがある娘婿を、そう簡単に自分の会社に入れて、何かあれば困るということで、武者修行の意味を込めて、銀行に出向となったのだ。
だが、自虐精神は止まらなかった。だが、そのうちに自分がどうすればいいのか分からなくなり、感覚もマヒしてきた。とりあえず銀行ではミスをしないようにしていればいいとうまく立ち回った。
彼の優れているところは、立ち回りのうまいところだった。とりあえず失敗せずにこなしていればいいという部署で、無難に過ごし、可もなく不可もない毎日を過ごしていると、マヒした感覚が心地よくなってくる。
ただ、欲望の中でも性欲には勝てなかったようだ。持ち前の要領の良さで、会社にバレないように適当に女性と付き合っていた。二股をかけていたとしても、そこはうまくやっていた。いや、それは本人が思い込んでいたのもあった。女は彼のお金が目当てだったのだ。
それなりのお金はあったので、適当に遊ぶくらいは何とかなった。
「ひょっとすると、会社の金に手を付けているのかも知れない」
というウワサまであったくらいだ。
さすがに要領の良さが幸いしてか、見つからない程度のお金を少しずつ着服しているのだから、始末が悪い。