モデル都市の殺人
という可能性が強い、献血をしたことで、血液型が分かってしまうことを恐れたという考え方だ。
しかし、逆に薄い可能性としては逆も考えられる。本当は知っていて、それを娘が母親の前で献血の話をすることで、母親にこの事実を知られることを夫が恐れたということである。
母親なのだから、この事実を知っていて当たり前だという思いを母親が抱いていたと考えるなら、母親は知る由もないと思っている父親からすれば、冷や汗ものであるのは当然だった。
結婚生活を長年続けてきて、その中で一度も娘の出生について何も気にしていない様子を見ると、
――この人は、わざと隠しているわけではなく、本当に気付いていないのかも知れない――
と思ったのだろう。
もし、それならそれで、自分が黙っていることで家族がうまくいくのであれば、それはそれでいいと思ったとしても無理もないことだ。
不貞を働いたのは自分ではなく、母親の方なのだ。責められるのは嫁の方で、どう転んでもこっちに被害があるわけではない。事実を隠すことで、嫁に対して自分の優位性を持てるのであれば、それに越したことはないというかなりドライな考え方を持っていたとしても、無理もないことだろう。
さて、最後の可能性だが、これはかなり薄いところではないかと治子は考える。つまり、本当の母親である自分も知らないことを、自分を飛び越えて、本当の父親、つまり春日井氏が教えたのではないかということである。
ただ、春日井と身体を重ねたのは一度キリのことだった。本当にお互いに寂しさという寒さの中で耐えられない状況に陥ってしまったことで、本能から重ねた身体。それを勘違いしたのは治子のようだった。
――この人は私を求めていて。私が必要なんだ――
と考えたのだが、どうも違ったようだ、
一度身体を重ねると、もう二度と近寄ってくることはなかった。
最初こそ、治子のアクションに戸惑っていた春日井だったが、次第に距離を取るようになり、あからさまに避けるようになった。それでやっと治子はあの日の経験が間違いであったということに気づいたのだ。
気付いてしまうと、治子の方も春日井との時間がすべて自分の中の黒歴史のように思えてきて。すべてを忘れ去ってしまおうとまで思ったのだ。
ある程度までは忘れることができた。この思いがあったからこそ、遥香の出生について疑うことがなかったのだと言えるであろう。
遥香にとって、そんな毎日を母親が考えながら暮らしているなど思いもしない。まだ小さかったからであるが、ただ、母親に対して一定の距離を置いているのは間違いないようだった。
その距離が、遥香の中で初めて明らかに分かったのが、思春期になってからだ。
――どうして私はこんなにお母さんに距離を持とうとするのだろう?
という思いを感じたからだった。
治子はそんな遥香の思いを、ただの思春期に起こる誰にでもあることだという意識の下で、見ているだけだった。
その思いが遥香と治子の距離を思春期の距離とは違う。
「歪んだ直線」
とでも例えるべき、矛盾の中で考えていたのだった。
大団円
この事件の動機は、どう考えても、この親子関係にあるのは間違いないようだ。それがどのように犯罪として成立したのかということを考えるのは、また別の問題のように思えた。
桜井刑事は、治子に聞いた話を捜査本部に戻って報告した。
「なるほど、そういうことではないかと私も思っていました。でもですね、私はこの事件は、それぞれの人間の思惑が交差することで出来上がった殺人ではないかと思うんです。どこが一番の問題なのかということを考えていくと、少しずつ気が付いてきたような気がしますね」
と、浅川刑事が話した。
浅川刑事がこういう話し方をする時というのは、ほぼ事件の真相に近づいていると言ってもいいだろう。それを皆分かっているので、なるべく浅川刑事の話を妨げないようにしなければいけないと思うのだった・
「浅川刑事の意見を伺おうじゃないか」
と捜査主任である松田警部補が言った。
浅川刑事はいつものように、まわりを見渡して、
「じゃあ、私の意見を披露されていただきます」
と言ったが、これもいつものことだった。
「まず、この事件の動機ですが、一番大きなものとしては、遥香ちゃんが川崎直哉氏の薄めではなかったというところでしょうね。そして、事件がややこしくなったのは、真犯人が思ってもいない状況に、舞台が動いていったということ、そこに大きな問題があとうかと思います。そもそもの根底にあるのは、たぶん、このK市という街の独特な他の土地にはないモデル都市としての雰囲気が大きく影響しているでしょうね。やだ、それは表に出ているメリットだけではなく、デメリットの部分が凝縮された形で表に出てきたことが事件の根底にあるのだと思います」
と浅川刑事は言った。
「ということは、この事件には共犯者がいるということなのかな? 今の浅川刑事の言い回しを訊くと、真犯人の知らないところで行われている事後共犯のように聞こえるんだけど、どうなんだろうか?」
と、松田警部補は答えた。
「ええ、そうです。この事件の特徴は、事後共犯が存在しているということにもあるんです。私はそう考えているんですよ」
と浅川刑事は言った。
「真犯人は、そこまで聞いてしまうと、娘の遥香以外には考えられないような気がするんですが、違うんでしょうか?」
と、桜井刑事が言ったが、
「桜井さんは、ゆりなという女性から話を訊いてきているんですよね? その話の中で、春日井氏は、二度ショックを受けたという話でした。そして二度目は多いなる後悔の念から、救われないような罪を犯したという話でした。もし、昔の一度の過ちで、生まれた娘が遥香だったとすれば、そこまで許されない後悔を孕んだ罪を犯したとは言えないのではないでしょうか? それを思うと、春日井氏には、また別の罪があったのではないかと言えると思います。彼は今まで女性関係に関してはかなりの武勇伝を持っているということなので、少々のことで、そこまでの後悔の念を抱いたとは思えません、それを死を覚悟するまでの後悔というのは、よほどのことです。それを十数年も前のたった一度の不倫が影響しているとは思えない。ただ、それも春日井氏が、遥香ちゃんを自分の娘かどうか分かっているかどうかというのが問題なのではないでしょうか?」
と浅川刑事は言った。
「浅川さんはどこまで分かっているんですか?」
と、桜井刑事は訊いたが、
「自分としては、ある程度の辻褄は合っているような気がするので、これも一つの真実ではないかという見方もできると思うんです。だから、私の考えがどこまで信憑性があるか、皆さんに聞いてもらいたいとは思いますね」
と、浅川刑事がいう。
「さっき、浅川刑事は事故共犯の話をしたが、私が考えられる事後共犯があったとすれば、死体を動かしたというあたりのことなんだろうか?」
と、松田警部補は訊いてきたので、