モデル都市の殺人
という、驚きのようなものではなく、
「これでやっと楽になれたね?」
という哀れみというか、彼一人を旅立たせてしまったことへの自責の念のようなものがあったのではないだろうか。
それは彼女の中での覚悟であり、覚悟の中には、もう彼が苦しむことはないという、一緒に苦しんできた気持ちの表れと、彼にこのような苦しみを与えておいて、いまさら誰が彼にとどめを刺したというのか、覚悟はしていたが、まさか誰かに殺されていたということが、ショックとしては大きかったのかも知れない。
「本当に彼の姿をずっと見ているのがつらかったの。でも、これで名実ともに、彼が私だけのものになったのよ」
と言っていた。
「春日井氏は、殺されるようなほどの何かが過去にあったということなのかも知れないけど、それはどうして今なんだろう? しかも、兄弟一緒に殺されたということで、殺害現場には、この間発見された兄の死体がしばらく並んでいたのではないかと思われるふしがあるんだけど、そのことについて、君には何か心当たりはあるかい?」
と言われ、
「分からないわ。彼は決して私にそこまでは話してくれなかった。私に気を遣ってくれたのか、それとも誰にも知られずに、秘密は墓場まで持って行こうと思ったのか、決して話そうとはしなかった:
とゆりなは言った。
「それだけ、大きな秘密だったということだね。それはきっと自分だけの問題ではなかったからではないかな?」
と浅川刑事が訊くと、
「ええ、その通りよ。彼はずっとそのことを後悔していた。私と一緒にいてもそうだった。だから彼を受け止めてくれる人は私しかいないと思っているの。だから、彼は私だけを信じてくれていた。ひょっとするとあの人は私を女として見ていなかったのかも知れない。もちろん、性欲が私に湧かないとかいう意味ではない。女として見ているよりも、親友のような、まるで肉親のような意識があったのかも知れない。ある意味私に母親を見ていたような気がするのよ。そう、私を聖母マリアに見立てて、懺悔の日々だったのかも知れない」
と、ゆりなはその話で初めて、やっと涙を流した。
それまでは彼女が涙を流すどころか、毅然とした態度で、
――この人は、覚悟だけで、神経を持たせているのではないか? 涙など流そうものなら、そのショックに押しつぶされてしまい、話などできないほどに本性を剥き出しにする態度が、一層彼女を分からない存在に追いやってしまうことになるかも知れない――
と思うようになっていた。
ゆりながどのようなショックを浴びていたのか分からないが、彼女の思いが層をなしていて、その感情が等圧線のように、平面を見ているだけでは決して分からない多くな男装となっているのではないだろうか。
キャバクラを辞めてまで、死ぬかも知れないと思っている相手を最後まで見届けることを選んだゆりな、彼がもし自殺であったとしても、最後を見届けることはできなかったと思う。獣は死んでいく時、自分の死に行く姿を見られたくないと、誰もいないところに行って、密かに死のうと思うようだ。それは、
「生まれるのも一人、死ぬのも一人」
というように、一人で孤独に死ぬことの美を、追及しているのかも知れない。
しかし、彼は誰かに殺されたのだ、彼女はきっと無念に思っているかも知れない。
誰かに殺されるくらいなら、
「私が殺してあげた方がよかった」
と思うのか、それとも、
「私が心中してあげればよかった」
と覆うのか。
どちらにしても、自分はもうこの世にはいないだろうと思っていたに違いない。彼女の中にもし後悔があるとすれば、今自分が生きていることであり、一番悔しいのは、
「今となっては後を追いかける勇気が持てなくなってしまった」
ということだった。
自殺をする人間で、死にきれない人間の中には二種類あると思っている。一つは、何度でも自殺を繰り返す人と、一度失敗すると、二度目を死のうとは思わない人の二種類である。
「死ぬ勇気なんて、そう何度も持てるものではない」
という思いがあるからだという。
一度死のうとすると、死にきれなかった人間は、死ぬ勇気だけがあの世に行ってしまうのかも知れないとも思った。しかし、何度も自殺を繰り返す人がいる。これも死ぬ勇気を失ってしまっているから、何度でも繰り返すのだ。
つまりは、何度も繰り返すということは、二度目でも死ねない。三度でも死ねない。死のうというアクションは起こすのだが、どうしても死ぬことができない。死ぬために何が必要不可欠なのかというと、それは、
「死ぬ勇気」
なのかも知れないと思うのだ。
一度死にかけたことがある人は、普通は二度目を考えない人が多いだろう。もし、ここでゆりなが心中や後追い自殺を考えたとして、その成功は限りなく低いと思っているのだとすれば。きっと過去に彼女は少なくとも一度は自殺未遂を起こしているのではないかと思えるのだ。
ゆりなは、彼が自殺をして、死にきれたのであれば、それは彼の意志であり、尊重してあげればいいと思っている。もし、死にきれなかった場合は、彼女が一番彼の気持ちを分かっている人間の一人として、一生連れ添ってあげようと思っていた。
しかし、春日井は殺されたのだ。自分で命を断ったわけではないので、春日井としてはさぞや無念だったのではないだろうか。だが、ゆりなの中で、そこまでの気持ちが自分の中にないことを分かっていた。
ゆりなは性格的に自分の感情をあらわにし、表に出すことが多いだけに、ここまで冷静に自分がなれることが不思議で仕方がなかった。
殺されたと訊けば、気も狂わんばかりの後悔の念に襲われてもいいはずなのに、一瞬の迷いがあったからか、冷静になってしまった。こんなことは今までにはなかった。冷静になるという瞬間がなかったからだ。だからこそ、自分でも感情がすぐに表に出ると思っているのであって、その感情が自分の意志を表していることを自覚しているからこそ、この性格を変えようとは思ってもいないのだった。
性格など、そう簡単に変えられるものではない。嫌だと自分で思っている性格であれば、無理かも知れないが、トライしようとは思うだろう。しかし、ゆりなはトライさえしようとは思わない。最初から自分を周知しているのだろう。
ただ、今回、彼が殺されたことに対して、一瞬の迷いがあった。その迷いは自分の中から湧いて出たものではなく、外的要因からだった。
どこからだか分からないが、耳元に聞こえてきたのだ。
「俺は殺されたのだが、これは覚悟の自殺と同じようなものだ。俺はその人に殺されるのであれば、甘んじて殺されるのも構わないと思っている」
という声がである。
もちろん、空耳なのだろうが、自分の気持ちの中に入り込んだのは事実であり、その一瞬の間が、その間に冷静さというものを侵入させた。
自分のまわりには絶えず冷静さが飛び交っていて、一瞬の気持ちのゆるみから、いつの間にか入ってきている。だから、大きな失敗もなく、ここまでこれたのではないかと、ゆりなは感じていた。