モデル都市の殺人
「奥さんの気持ちはよく分かります。どうしても家庭という狭い範囲で、しかも密室のように隔絶された世界であれば、気持ちが繋がっている間はいいのだが、どちらかの気持ちが離れてしまうと、置き去りにされた方はそれが怒りに変わってしまう。もし、相手が戻ってくれば、それは飛んで火にいる夏の虫であり、一方的な攻撃の対象として、それ以降は悲劇でしかなくなってしまうんでしょうね」
と、浅川刑事は言った。
「私がどこまで悲劇のヒロインなのか分かりませんが、きっと世の中には私と同じような思いをしている人は決して少なくないと思うんです。本当はそういう人たちとお話もしてみたいし、いろいろ意見も聞いてみたい。でも、きっと私のようなお嬢様育ちにはできることではないんでしょうね。だから自分は我慢するしかないと思っていましたが。最近は少し考えも変わってきました」
と奥さんがいうと、
「どういう意味で?」
「やはり娘が成長してくると、娘のことも考えてしまうんですよ。。旦那は私の主人であるのと同時に、娘の父親でもありますからね。娘が父親と私のことをどのように感じているかということも大きな問題になると思います。だから私は絶えず娘のことを気にしているつもりだし、最近娘が私に時々嫌な顔をすることがあるんですが、その理由が今は分からないので、どうしていいか分からず、、少し途方に暮れていたそんな時、今回の主人が殺されたという事件。私にはまだ頭が混乱していて、何をどう考えればいいのか困っているところです」
と治子は答えた。
「お嬢さんも、思春期ですので、多感な時期で、そんな時というのは、何を考えているのか自分でも分からない時期だと思うんです。そういう意味で、今回の不幸な事件はありましたけど、お母さんとしては頑張りどころなんじゃないでしょうか? お嬢さんも不安に感じているでしょうから、娘さんの気持ちになって考えてあげることをお勧めしたいと思います」
と浅川刑事は答えた。
「その通りだと思います」
という治子だったが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいるような気がしていた。
きっと彼女は、娘が一人で自分たちに会いにわざわざ犯行現場を訪れたということを知らないだろう。娘が一人で来たということは当然母親には知られたくないことだろうから、娘の話は漠然としかできないと思っていた。だが話をしているうちに、扉が開いて、
「ただいま」
という言葉とともに娘の遥香が帰ってきた。
さすがに遥香も一瞬驚いたようだが、殺人事件の捜査なので、母親のところに刑事が来ても当たり前といえば当たり前だ。もっとも、母親は自分が目の前にいる男性を刑事だと知っているとは思っていないだろうがである。
「お邪魔しています」
と浅川がいうと、母親がすぐに、
「こちら、刑事さん、今回のお父さんの件で捜査してくださっているの」
と言った。
「ああ、そうなの。私も一緒にいた方がいいのかしら?」
というと、浅川刑事が、
「それはどちらでも構いませんよ」
というと、母親が今度は考える暇もなく即答した。
「いいですよ。一緒にお伺いしましょうか?」
というと、遥香の方も、
「はい、構いません」
と答えた。
どうやら、二人とも、隠しておくようなことはもうないと思っているようだった。
「では、お父さんは殺害されたのですが、誰かに恨みを買っていたなどという覚えはありませんか?」
と訊かれて、
「さあ、よく分かりませんね。仕事のことを家庭に持ち込む人ではなかったので、そこは何とも言えません」
と治子がいうと、
「だから、時々理由も分からず急に怒り出すことがあったりするのよ。何も言わないんだったら、堪えてくれればいいのに、結局堪えることができずに、家庭で爆発するのよ。却って悪いわ」
と遥香は言った。
母親は少しでもいい方に印象付けようとしているようだが、娘の方は、
「正直に言って、何が悪い」
というハッキリさせたいタイプであることが、垣間見えてきた。
そんな遥香を母親は恐る恐る見つめている。
「この子は何を言い出すか分からない爆弾みたいなところがある」
と感じているのかも知れない。
だが、浅川の方からすれば、
「娘が母親の証言を補足してくれている」
ということで、母親思いに見えてくる。
事情が変わればまったく違った目で見えるはずのこの母子、似ているようで似ていないところも垣間見えるのだが、それは意識して反発しあっているからではないかと浅川は感じた。
「刑事さんは生きている時の父を知らないから、こうやっていろいろな人に話を訊いていると思うんですけど、うちの父は正直、相手によって態度を変える人だと思っています。だからよほど気を付けておかないと見失いますよ」
と遥香が言った。
「じゃあ、君はちゃんと父親の性格が分かっているというんだね?」
「私は、そんな父が嫌いなの。そして、父もハッキリとモノをいう私のことが嫌い。それはハッキリと言われたことがあるから言ってるんだけどね」
と遥香がいうと、それを聞いた瞬間、治子の顔を見た浅川だったが、治子が何とも言えない困ったような表情になったことを浅川は見逃さなかった。
「なるほど、お互いに、どうして自分の気持ちが分かってくれないかというような感覚なんだね?」
と訊くと、遥香は黙って頷いていた。
その時の治子から苛立ちが感じられた。まるで自分がのけ者にされたかのようなイメージであった。遥香が黙って頷くという素振りを見せた時、治子は今までにほぼ間違いなく嫉妬心が湧いているような気がした。自分が取り残されるのを嫌がるのは、きっとお嬢様育ちのせいではないだろうか。
それにしても、この子はやっぱり何と頭のいい子であろうか?
頭がいいというのは、勉強ができる、あるいは物覚えがいいという頭の良さではない。自分で把握しておかなければいけないものをしっかりと捉えているということだ。つまりは、
「物事を見る視点を、見失っていない」
ということであろう。
なるほど、AB型らしい。
AB型には天才肌が多いというが、さすがAB型と言ったところだろうか。ちなみに浅川刑事もAB型である。
そういえば、自分の血液型というのを、皆はいつ頃知るというのだろう? 浅川は小学生の頃に知った。気が付けば知っていたと言ってもいいだあろう。だが、中学になっても知らないやつもいて、そういうやつは何か血液が必要な時にならないと知ることはないような気がした。
例えば交通事故に遭って、自分に輸血な必要な時、手術などで必要な時である。血液型として、中には自分の血液型を勘違いしている人も中にはいる。
「俺、ずっとO型だと思っていたけど、実はA型だったことが判明したんだ」
というやつの話を訊いたことがあるが、本当だろうか? ウケ狙いの作り話ではないかとさえ思えるそのことに、ビックリしてしまうのだった。