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モデル都市の殺人

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「警察も暇じゃない」
 と言ってしまえばそれまでだが、何か起こる前の訴えを全部聞いていれば、警察の人間は何人いても足りるわけはないということにもなるのだった。
 だから、民間人は警察を信用しない。結局、本当に何かあって動いたとしても、最初に訴えた時に何もしてくれなかったくせに、
「何を今さら」
 である。
 少し何かを考えていた風の奥さんであったが、思いついたかのように、
「そういえば」
 と口にして、
「何か気になることでも?」
「ええ、この間、娘が学校から帰ってきて、今度学校で献血車が来るんだけど、自分も献血してみようかな? と言っていたんです。その時、主人が急に読んでいた新聞をくしゃくしゃにするかのようにガサっと掴むようにして、後ろを振り向いたんです。その時の驚いた顔が印象的だったんですが、すぐに、冷静さを取り戻したので、何もなかったんですが、娘もそのことに気づいたようで、その後、何とも言えない苦虫を噛み潰したような嫌な顔をしたんです。その視線が主人に向かっていたんです」
「ほう、献血ですか。いいことじゃないですか・それなのに、ご主人が急にうろたえて、しかもそのうろたえたご主人を娘さんが嫌な目で見たんですね?」
 と言って、浅川刑事は確認を促す形になった。
 その話を訊いて、少し不思議に思ったので、奥さんは家族の血液型を知っているのか聞いてみた。
「奥さんは、旦那さんの血液型をご存じですか?」
 と訊かれて、
「いいえ、意識したことはありませんね」
 というので、
「じゃあ、娘さんと奥さんの血液型は?」
 と訊くと、奥さんは訝しそうに、
「娘はAB型で、私はB型ですね」
 と答えた。
――なるほど、細かいことをあまり気にしないと言われるB型らしいな。それに頭のよさそうな娘さんもAB型というのは頷ける――
 と、浅川刑事は感じた。
 それにしても、父親が何を気にしたのか分からなかった。だが、ある種のざわめきのようなものが心の中を支配していると感じた浅川は、これがある種のこの犯罪を構成させる何かであるかのように感じられた。
 もし、浅川が感じている予感が当たっているとすれば、母親がまったく分かっていないのもおかしな気がした。本当に意識がないのか、それとも、相当な楽天家なのか分からないが、この性格も娘が母親をいまいち信用できないところなのではないかと思うのだった。
 お嬢様で育てられたというところにも、何か理由があるのかも知れない。肝心なところを締めなければいけないのに、そこを簡単にスルーしてしまうところがあり、スルーしてくれる方がありがたいと思っている相手にすら、簡単にスルーされることを訝しく感じさせるほどであれば、かなりのものと言えるのではないだろうか。
――一種の世間知らずであることが、この事件の奥に潜んでいるとすれば――
 と考えると、やり切れない気持ちにもなるというものだ。
 献血の話を訊いて驚いた父親に対しての嫌悪と、苦虫を噛み潰したような表情から、娘は何が言いたかったのだろう。
 目を向けるとすれば母親だったはずなのに、母親には目を向けることをしない。娘としては母親に対してあきらめの境地があるのだろうか。そうでもなければ、最初に我々の前に一人で姿を表したりはしないだろう。よほど母親の過保護に嫌気がさしているか、それとも頼りないと思っているか、そのあたりに原因があるのではないだろうか。
「ちなみにですが、お母さんから見て。お嬢さんはどういう娘さんに感じられますか?」
 と浅川刑事は訊ねてきた。
「娘ですか? そうですね、結構いろいろ気を遣ってくれる娘ですね。家でも家事をよく手伝ってくれますし、私が勉強があるでしょうと言っても、気分転換になるからと言って、ニコニコしながら手伝ってくれるんです。一緒に買い物に行ったりもするし、最近の親子関係としては、仲がいい方だと思っていますよ」
 と言っていた。
 その言葉を真正面から受け取っていいのかどうか、少し思案してみた。しかし、その屈託のない表情に、ウソはないように思えるので、やはりその気持ちに間違いはないと思えたのだ。だが、母親が思っているほど娘は母親のことを慕っているのだろうか? そのあたりは疑問が残った。
「じゃあ、旦那さんはどうでしょう?」
 と訊かれると、少し考え込んで。
「死んだ人のことをあれこれいうのは忍びないんですが、亭主としてはあまりいい人ではなかったと思います。会社で嫌なことがあったら、すぐに家族に当たったりするし、いつも難しそうな顔をして、家族に対しても、自分は孤独なんだとでも言いたいような孤独感を前面に押し出しているように思えるんです」
 と嫌悪感を爆発させているようだった。
 それは思い出すのも嫌というほどのもので、それ以上を聴くのは忍びないかと思っていると、さらに彼女は続けた。
「私は確かにお嬢様で育ったということに負い目のようなものを感じています。結婚して最初の頃は、そんな私を、それはしょうがないことだと言って許してくれていたんですが、急に私に対して八つ当たりのようなことをしてくるようになったんです。そのやり方も、私の性格や内面と比較して、まるで、お前のこういうところと同じなんだよなんて言い方をするんですよよ。そんな言われ方をしたのでは、私の方も何も言えなくなるじゃないですか。本当のことであれば、言い訳になってしまう。ウソであっても、口を開くと認めたかのように思われる。その感覚が嫌だったんですよ」
 と言った。
「そのお気持ちは分かるような気がします。確かに、人によっては、自分が今からしようと思っていることを先に言われたり、されたりすると、どうしようもなく苛立ってしまうことがありますよね。きっとそれと同じ感覚なんじゃないでしょうか?」
 と浅川刑事がいうと、
「ええ、まさにその通りなんです。こちらを反論できないところに追いやって、その出鼻をくじく。戦争であれば、これほど効果的な攻撃はないんでしょうが、これを人間関係の中でやってしまうと、お互いにしこりが残るのも当然と言えるのではないでしょうか? そう思うと、本当にやり切れない気持ちになります」
 と言われて、次第にもし彼女の言っていることが全面的に信用してもいいのであれば、これほど辛いことはないかも知れない。
 奥さんの元々の天真爛漫さといういい部分が、完全に打ち消されているようだ。そんな奥さんが、変わってしまったということで嫌いになったのだとすれば、自分がどんな酷い態度を示しているかということに気づかないまま、旦那としての威厳を示そうなどと思っていれば、奥さんはいい迷惑であり、気の毒である。話を訊いている限りでは、浅川刑事は、全面的に奥さんの味方であった。
 だが、この感情が積もり積もって殺意に変わるということもないとは言えない。
 今までに何度となく、そういう悲劇を見てきたではないか。特に夫婦間という密接な関係であればあるほど、余計にそう感じるのではないだろうか。
 外からは見えない聖域が、実際に聖域ではなくなってしまった時、そこに残るのは悲劇なのかも知れないと、浅川は感じていた。
作品名:モデル都市の殺人 作家名:森本晃次