モデル都市の殺人
「実は、我が工場の恥をさらすようで恐縮なのですが、工場長の春日井悟という人は、結構な遊び人なんです。深夜にスナックやキャバクラで飲み歩いていたりして、そのまま女のマンションに泊まり込んでしまうということもしょっちゅうで、午前十時くらいまで連絡が取れないということもしょっちゅうだったんですよ。だから、今日も最初社長が連絡をくれないのも、まだ深夜の乱行が過ぎて、寝ているからではないかと思ったのですが、それにしても折り返しの電話がない。すでに十時を過ぎているので、誰か工場長の行方を知っている人がいないか聞いていたところだったんです」
「工場長はあなたに言わないことを社員に行ったりすることってあるんですか?」
「ええ、たまに何ですが。私が時々工場長を戒めたりして、あの人がプレッシャーを感じた時など、私ではなく、社員に気持ちを漏らすことがああったりしたので、今回もと思ったのですが、社員は知らないということでした」
「ところで、春日井さんという工場長はどういう方なんですか?」
と刑事に訊かれて、粛々と片桐は話し始めた。
「春日井さんは、先代の次男に当たる方で、長男は今回殺されていた直哉さんになるんですが、先代は最初こそ長男に工場を継がせようと思っていたようなんですが、急に跡取りを弟の方に切り替えたと、私に言われたことがあったんです、まだその頃は私も若かったですので、先代のお気持ちがいつかは元に戻るのではないかと思っていたのですが、そのうちに、直哉さんは他の土地で養子に行かれるということを聞かされて、先代はショックというよりも、これを機会に、この工場を弟の悟に襲名させると言い出したんです。先代は言い出すと止まりませんから、別に反対する理由もなく、おごそかに襲名式が行われたんです。これは、うちうちではありましたが、工場にとっては一大イベント、これもK市独特とでもいうんでしょうかね」
と語って聞かせた。
「似たようなお話は、被害者の奥さんからも聞かされております。そんなにK市というこの土地は会社経営に関しては他とは違うんですか? 私もおぼろげには聴いているつもりでしたが、本当に独特なんですね?」
「ええ、そうなんです。私もそのことに関しては、逆に他を知ってはいましたが、ここに長くいると、昔の感覚を忘れてしまったほどです。昔のように見えるところではあるんですが、私の感覚としては、いずれ、まわりの都市が、このK市をモデルにして、確立されるところが増えてくるんじゃないかと思っています」
「それはどういうことですか?」
「ブームや時代は繰り返すというではないですか。それは私もよく感じているですよ。十数年、あるいは数十年単位で、ブームは戻ってくるものだし、似たような時代が繰り返されることもある。時代は決して一本の線で前に進んでいるわけではないということなのかも知れないし、その一本の線にまた同じものが引っかかってくるのかも知れないと思うんですよ」
と、片桐は聴かせた。
この間に、浅川刑事の指示で、春日井工場長の捜索が指示されたのは言うまでもないことであった。
「なるほど、そんなK市を嫌になって被害者はここから離れたということでしたが、本当に彼はその後もこちらとかかわりはなかったんですか?」
と浅川刑事がいうと、
「ええ、直哉さんの方からこちらへ連絡を入れることも、もちろん、帰ってこられることもほとんどありませんでした。ただ、春日井工場長、つまり今の工場長である悟さんは、お兄さんにちょくちょく連絡を取っていたようなんですけどね」
と言っていた。
「ほう、それは少し意外な気がしますね」
「実は私も同じことを感じています。兄の直哉さんは、自分に自信を持てない方だったにも関わらず、弟は自信過剰なところがあるくらいでしたからね。だけど今から考えれば一つ思うことがあるんですが」
「どういうことでしょう?」
「兄の直哉さんは、自分の容姿にコンプレックスを持っていました。実際に女性からモテることはなく、その分、弟の方が均整の取れた顔だったので、その分、モテたようです。でも、そんな悟さんでしたが、ある日私に打ち明けてくれたことがあったんです。彼がいうには、自分がモテているのは、兄がモテないことでの反動からではないか。このまま有頂天になってモテていると思い込んでいる自分が怖くて仕方がないなどということを言っているんです。私は、それを聞いて、悟さんの闇のようなものを見ました。彼はどんなにモテようとも兄の存在がある限り、疑心暗鬼のままずっとこのままいくのではないかとですね。でも、工場長がそんなでは困ります。だから私の方でも工場長が遊び歩くことをある程度黙認しているわけなんです。でも、さすがに社員の目はごまかせませんよね。最近では社員から工場長への不信感が結構募ってきているようで、ジレンマに陥っているこの私は、最近、どうしていいのかを考えてばかりでした。そんな中で起こったのが今回の事件だったわけです」
と片桐氏は答えた。
「そういうことだったんですね。なるほど、これで辻褄の合わなかった人間関係が少し繋がった気がします。だけど、これは殺人事件です。殺人には衝動的なものであろうと、計画的であろうと、必ず動機が存在します。その動機は計画的であればあるほど、人間関係の闇にその動機があると思うんですよ。この事件が計画的であることは、カギの一件や、鑑識の話にあった、ひょっとすると殺害現場は別ではなかったかということを考えると分かってくる気がするんですよ」
と言っていた。
この話を訊いて、浅川刑事は、あらためて、K市というところの特殊性。そして、この事件の裏にある何か男と女の関係なのか、それとも、兄弟の間にあるコンプレックスと、遠慮のようなものが交差しているのではないかという思い。それらを考えあわせると、何かが見えてくるような気がした。
まずは、工場長の行方を追うことが先決であり、彼を見つけて、その証言がいかなるものであるか。そこにこの事件の核心が隠されているのではないかと思うのだった。
時間的にそろそろ昼が過ぎようとした時、奥さんには、すでにお引き取り願っていたので、鑑識も終わっていたことから、殺害現場に立ち入らないということで、工場が最下位された。
そんな時、娘が訪ねてきたのだが、それは浅川刑事にも意外な感じだった。
確か娘は学校があるから、自分だけが来たと母親は言っていた。それをわざわざここに来たというのはどういうことだろう? 事情を家族にでも聞けば、すでにここには父親の遺体がないことも分かりそうなものだと思った。まさか、死体はないが、死体が見つかった場所を見ておきたいなどという思いがあるわけでもないと思った浅川刑事は、少しおかしな気分になっていた。
娘は制服警官に何か訊ねていたようだが、頭をぺこりと下げると、浅川刑事の方に寄ってきた。
「あの、すみません。担当の刑事さんですか?」
と訊かれて、
「はい、私は浅川というもので、K警察の刑事課のものです」
と言って、警察手帳を提示した。
「浅川刑事は、お父さんが殺されているところを見られたんですか?」
と訊くので、