逆さ絵の真実
勝手に飛び出し、しかもその理由が娘に手を出したというわけなので、破門も同然だったので、自分がこの業界で、少しでも目立ってしまyと、潰される運命にあるのではないかという覚悟は持っていた。
だが、師匠はそこまでひどい人ではなかった。
逆さ絵という新たな境地を開いた勝野に対して、姑息な攻撃はしてこなかった。それどころか、雑誌のコラムで、
「最近は逆さ絵などというものが流行っているが、なかなかユニークな発想である。これがただのブームで終わらなければいいが」
とコメントしていた。
要するに師匠は、
「大人の対応」
をしたのだった。
しかも、師匠は弟子の性格もよく分かっていたようで、他の雑誌のインタビューで逆さ絵について聞かれた時、
「逆さ絵なるものは、しょせん、一時期のブームにすぎないと思いますよ。でも、それを提唱した勝野君ですがね。彼の性格からすればそれでいいと思っているんじゃないですか?」
という回答に、
「どうしてですか?」
と訊くと、
「だって、彼は無双な男なので、自分に誰かが並び立つというのはあまり好きではないと思います。だから、他の人が台頭してきたり、弟子が自分の芸術を継承してくれるということに違和感を持っているような男なんですよ。だから、きっと彼は、弟子も取ろうとしないし、何よりも、ブームが去って、逆さ絵といえば、山本準之助と呼ばれることをよしとするタイプだからですね。それが彼の性格であり、いいところなのだと思っていますよ」
と言うのだった。
――師匠はここまで私のことを分かってくれていたんだ――
と、感じ、しょせん女などにうつつを抜かした自分を憎らしいと感じた。
自分が弟子を持たないと思った理由の一つに、これは誰にも公表していないが、
「自分が弟子を持ったら、自分の弟子には絶対に恋愛を禁止するに決まっている」
と思ったからだ。
準之助が朴念仁のようであったという理由は間違っていないが、恋愛を禁止することで、そんな自分が嫌になるという思いがあったからだ。
もちろん、
「弟子に悪い」
という思いもあるが、弟子に対して、弱い部分を見せるのが嫌だというところもあった。
そんな思いが嵩じて、ただ、表面上の弟子がいらないという意識になったのだろう。
だから、自分が弟子を持たない理由については、実は自分でもしっかりと分かっているわけではない。準之助のことをずっと知っていて、客観的に見ることができる人がいれば分かることだ。今のところそんな人物がいるとすれば、師匠しかいないというのは、何とも皮肉なことだ。
さすがに、あれから数年も経てばショックからも立ち直っているのだが、女性不審だけは残ってしまった。本当であれば、
「相手が悪かった」
というだけのことなのだろうが、それだけではない。
自分に見る目がなかったというのもショックの要因であり、芸術家としての自分が、人間の内面が分からないということにショックを受けていたのだ。
だが、これは芸術家であろうがなかろうが、関係のないことだった。むしろ、自分が信じた相手が信じてはいけない相手だったということで、問題はそこではないのだ。
確かにショックを受けている間、自分の作品は迷走し、なかなかうまく描ける自信がなかった。そのために、いかにすれば描けるようになるかを、徹底的に研究した。
それまでずっと感性だけで描いてきて、これからもこのスタイルが自分の芸術に対しての姿勢だと思っていただけに、勉強をする自分にどれほどの違和感があったというのか。
しかも、そんな芸術と向き合っている間にも、過去のショックだった自分を思い出し。気が付けば、何にそんなに熱心になっていたのかを無意識に考えている自分を嫌悪していた。
ショックが残っている間は、どんなに勉強しようとも、頭の中に無意識に沸き上がる、あの人への思いをどうすることもできない。
それは、
「好きだったという事実を消し去ることはできない」
という思いから来ていた。
その思いを消し去ることは、自分を自分で抹殺してしまうようで恐ろしかった。傷が癒えるとすれば、無意識な自然治癒でなければいけないと思っている。つまりは、自分の中に存在しているはずの、
「自浄能力」
がどれほどあるかということである。
自浄能力というものが、何かのきっかけにより、行われるものだとすれば、それを引き寄せるための環境づくりを自らが行わなければいけないと勝野は思った。そして、それができるのは、芸術家だけではないかとさえ思えていたのだ。
何か一つに特化して、自分を高めることができなければ、自浄能力を無意識に行うことは難しいと思えていた。
一般の人も自浄能力はそれなりにあるのだろうが、それは人間に与えられた最低限の効果であり、実際にその効果を自分で自由自在に操ることなど、できるはずもなかった。その理由としては、
「自浄能力は、特殊なものであり。特化した精神力がなければ発揮することはできない」
と自らで考えているからではないだろうか。
自浄能力の存在は分かっている。それはきっと、けがをした時にできるカサブタのような、自然治癒力のようなものとは明らかに違っているのである。
だが、自然治癒力は誰にでもあるもので、病気でもない限りは、免疫の取得のように、自然に存在しているものだ。
だが、自浄能力と言われるものは、能力であり、自分で意識しなければ、発揮することはできない。そんな分かり切ったことを勝野は、やっとその時に感じたような気がした。
「きっと世の中の大半の人は、自然治癒力というものと、自浄能力というものを、同じようなものだとして考えているんだろうな」
と勝野は思った。
そんな自浄能力が芸術家としての自分の才能を開花させてくれることになるとは、その時には分からなかった。
人生というのは、ある意味巡りくるものなのかも知れない。
自分の中での事情能力を発揮することになったのは、それからしばらくしてからの、
「秘伝継承による襲名対決」
と呼ばれるものがあったからである。
師匠の秘伝を誰が上継ぐかという、一種の後継者争いのようなものがあったことから問題となった。
自分は以前、娘との結婚を反対されてしまったことで、その娘は別の弟子と結婚することになった。その頃にはすでに彼女への思いはなく、彼女も勝野への思いを断ち切っていたので、結婚に関しては、何ら問題はなかった。実質上、結婚相手が後継者になるのだろうと思っていて、それが一番安心であるということも分かっていたので、勝野としては。後継者に関しては。まったく蚊帳の外だと思っていた。
しかし、師匠も弱い七十歳が近づいてきたことで、いつまでも家元というわけにもいかない。日本文化における華道は茶道などのような格式があるわけではないが、やはり先生の後継者はしっかりと決めておく必要があるということで、引退表明が開かれるということで、皆はそこで後継者が指名され、襲名ということになると思っていた。