逆さ絵の真実
「本当に嬉しいですよ。これも皆さんと、勝野先生のおかげです」
と、主催者に話をしていて、彼はこの時期に、作家人生で最初のピークを迎えていた。
「作家人生のピークというのは、何度も訪れるものであり、その都度感じたことを大切にしておくことが大事なんだ」
と、かつて勝野先生は言っていたのを準之助は思い出していた。
作家人生において、今まで知らなかったことが、どんどん生まれてくるのを感じると、あの時の勝野の言葉が身に染みて感じられるようになっていた。
「やっぱり、勝野先生は思っていた通りの人だ」
と、準之助は感じていた。
だからこそ、弟子を取らないと言っている勝野のところに直談判に来たのだから、それくらいの思いがあってしかるべきだろう。
個展も何度か開いて、もう立派な一人前として、主催者は感じていた。
「そろそろ、お前も独り立ちの頃かな?」
と先生が言い出した。
それは準之助も分かっていたことだっただけに、
「どうだ。そろそろ独立してみては」
と先生にいわれた。
「ええ、それは私も最近よく考えていました。やっぱり僕と先生とは、考え方がピッタリ嵌っているんでしょうね」
と言った。
この時も弟子という言葉を使うことはなかった。今でも弟子などというと、先生が怒り出すに決まっているということを分かっていたからだった。
準之助がそう言って独立したのは、勝野先生のところに弟子入りしてから、十年と少しが経っていた。準之助ももうすぐ三十歳。人生でも、最初の山が訪れる頃ではないかと思えたのだ。
今まで一心不乱に絵画作品に打ち込んできて、実際に素人からの出発だったので、不安もあったが、それ以上に、自分の成長が著しいと分かることが嬉しくて、毎日感じている成長をずっと味わいたくて、
「時間がこのまま止まってくれたり、また同じ日を繰り返せたらいいのにな」
と思ってはいたが、実際にはそんなことはなかった。
どんどん先を見ていても、ゴールが見えるはずもないし、後戻りなど論外で、前しか見えていない自分に対して失礼だと思うほどだった。
それが一種の本音と建て前、建前はしょせん本音の裏返し、本心であるはずがなかった。
彼の新しいアトリエは、同じ街ではあったが、少し離れたところに設けられた。マンションの一室を借りる形で、それが一番の安上がりだった。最初こそ少し広めのマンションに、自宅兼アトリエとして開設したのだった。一人のアトリエなので、それで十分だった。その頃には、彼に作品を注文してくれるところも結構あったので、作品を取りにくる担当者にも、
「なかなかいいアトリエですね」
と、本音か建て前かよく分からないお世辞を言われたものだった。
こういう時の本音と建て前ほど分かりにくいものはなく、担当者の意見を鵜呑みにしていたが、それでも自分では気に入っているので、別に問題はなかった。
中には泊っていく担当者もいて、リビングのソファーは、ソファーベッドにしていた。
もっとも出版社が来ない時でも仮眠できるという意味で、ソファーベッドは重宝した。そういう意味で、このアトリエは十分に機能したと言ってもいいだろう。
たまに勝野先生も来てはくれたが、すぐに帰られた。これは忙しいところなのに、自分を気にしてきてくれたのだと思うと、実に感謝すべきところであった。
ここから、勝野先生から独立して自分が事業主としての生活が始まる。元々、実力的には独立しても問題のない状態だったが、あくまでもアシスタントとしての仕事があるからと言ってきたが、本当は先生のところにいるのが楽だったという心境も少しはあった。
先生のところにいれば、余計なことを考えることもなく、製作に邁進できると思っていたからで、これからはすべてを自分でこなさなければいけない。だが、これまでのコンクールの入賞や、個展での収入、さらには自分個人に対しての注文などで、かなりのたくわえが残った。それを資金として、法律的なことは弁護士にお願いしたり、雑用などのヘルパー、さらには、アシスタントを数名雇ってもやっていけるくらいになっていた。
おかげで、一人で悩むことはなく、意外と独立しても、まわりが支えてくれるので、製作に没頭することはできたのだった。
年齢的にも三十歳になっていたので、これまでは先生の弟子として、芸術に没頭する毎日だったこともあって、ふと一人になってみると、寂しさがこみあげてきた。確かに独立を夢見てきたことで、その夢が叶ったことは最高に嬉しいが、その反面、今まで気にしてことのなかった寂しさや、虚しさが襲ってきたのだ。虚しさは、不安から来るもので、寂しさは孤独感から来るものだと思っていたが、どうもそうでもないようだ。どちらがどちらともいえない曖昧な気持ちが押し寄せてきて、一人になったことを痛感させられた気がするのだった。
やはり、一番の寂しさは、女性への想いであった。
今までに女性に対して感情が動いたのは、思春期の時だけだった。甘いマスクのおかげで、中学時代には思ったよりモテていた。結構たくさんの女の子から告白され、その時のドキドキが忘れられず、その時誰とも付き合っていなければ、基本的に断ることはしなかった。中には本能的に合わないと思った相手とは最初から相手にはしないが、それ以外では普通にドキドキして、その思いを継続したくなる。だが、継続というのはあり得なかった。
確かに声を掛けられた時は、まわりが自分に注目してくれて気持ちがいいし、相手の女の子の真面目な目が心地よかった。しかし、実際に付き合ってみると、何かが違うのだ。
女性には二種類あった。自分に甘えてくる女性と、いろいろと構いたい女性である。どちらも自分のことを好きだからしてくれているのだろうが、どうもイメージが違ってきていた。
甘えてくる女性は、自分の方にしな垂れかかってきて、自分の魅力を使って、こちらに何かをさせようとする。どこかに連れて行ってほしかったり、プレゼントのようなものを無言で要求しているという雰囲気がありありだった。
「ねぇ」
などという猫撫で声を立てられると、背筋がゾッとしてくる。そういうのを、今ではあざといというのだろうが、そういう態度は却って、逆効果だった。
――なんで、あんなに自分を安売りできるんだ? あの告白の時のドキドキしていたのは、計算ずくだったということか?
としか思えない。
また、いろいろと構いたくなるような女性もしかりであった。
何でもしてくれるので、楽な気はするが、その分、こちらに対して制約も大きい、
「してあげているんだから、こちらの要望も聞いてね」
ということなのだろう。
要望と言っても、甘えてくる女の子のようなプレゼントがほしいとかいうようなあざとさではなく、いろいろと拘束したがるのだ。
少しでも連絡がなかったら、心配したとごねられて、毎日何度から連絡することを約束させられたり。他の女子とは話をしないという制約を受けたりと、とにかく、こちらを縛ろうとするのだ。完全に自由がなくなり、そんな思いをするくらいなら、一人がいいと思うのは自分だけではないだろう。