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逆さ絵の真実

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 芸術に対しての姿勢や、取り組み方については、大いに学ぶところはあるだろうが、マネだけはしたくなかった。もし、マネをしてしまうと、作品までが似てきてしまい、弟子になった理由を損ねてしまうと思った準之助は、あくまでも、自分は自分ということであった。
 逆さ絵は、やはり、最初の数年ほどブームがあったが、そこで衰退してしまった。それは勝野にとっても分かっていたことで、却って、自分以外の追随を許さなかったということにもなり、そこを誇りにできるので、よかったと思っている。弟子を持ちたくないと思った理由もそこにあっただけに、ブームが去って少し複雑ではあったが、その思いも最初だけだった。
 だが、まったく製作していなかったわけではない。なかなか売れるというわけではなかったが、細々と書いていた。個展を開いた時には逆さ絵を目立つところに飾って、宣伝文句も、
「逆さ絵で有名な勝野光一郎先生作品展」
 などと書かれていた。
 これは主催者側の要望からであり。自分から申し出たものではなかったので、少し恥ずかしい気はしたは、嫌ではなかった。
 時代とともに、逆さ絵というものが忘れ去られていく中で、唯一の作家として、そしてパイオニアとして、細々ではあるが、続けていけることを、本人は喜んでいたのである。
 しかも、時代が進むにつれて逆さ絵を知っている人も徐々にいなくなる。
 絵を見た人が、
「何ですか? これ」
 と言っている人の反応は、微妙だった。
 中には、興味深く見てくれる人もいたが、ほとんどは、
「何か、気持ち悪い」
 というような苦笑いを浮かべ、足早に通り過ぎていくのを見ると、
――時代の流れなのかな?
 と感じずにはいられない。
 一世を風靡した自分の作品だったはずなのに、実に寂しい限りである。
 ただ、その気持ち悪がる人のほとんどは、ただ立ち寄ったというだけで、芸術が分かる人ではないというのは、一目瞭然で分かった。少なくとも芸術を嗜む人は、そんな目でこの作品を見たりはしなかった。分からないなら分からないなりに、何かを探そうという意思はひしひしと感じられるからだった。
 勝野先生の作品展に、準之助の作品が入るようになったのは、準之助が弟子入りしてから、五年目くらいのことだっただろうか。
 最初は、勝野先生が主催者に、
「私のアシスタントの作品なんですが、どこか、一か所にでも置いてやっていただけませんか?」
 と言うところから始まった。
 弟子入りしてから五年が経ち、彼の勉強熱心さが彼の成長の早さを物語ることとなり、成長著しい姿を見せている彼が、今どれくらい世間に見られるかを感じてみたくなったのだ。それは、弟子の成長を見てみたいという思いもあったが、いずれライバルになるかも知れない相手の成長を知っておきたいという本音があったのも事実だった。
 最初から、準之助がいずれ自分のライバルとして君臨してくることも分かっていた。分かっていたというよりも、彼を正式に弟子としてまわりに紹介しているわけではないのでそれも当然のことである。
「もし、彼を自分の弟子だと世間に公表することがあるとすれば、それは自分が引退する時だ」
 と思っていた。
 もしも彼が芸術家として一人前になり、独り立ちという意味で、独立をしたとしても、彼を自分の弟子だとは言わないだろう。自分の目の黒いうちは、弟子であっても、ライバルなのだから。
 初めての個展での彼の作品デビューは、三作品ほどであった。
「それでも、多いくらいだ」
 と思っていたが、主催者側が彼の作品を気に入り、
「じゃあ、三つほど場所を裂きましょうかね」
 ということで決まった割り振りだった。
 それだけ、作品を見ても、彼の才能に感じるものがあったのだろう。ひょっとすると主催者は、準之助が勝野の弟子であることを看破していたのかも知れない。
 長年の付き合いで、勝野先生のことはよく分かっている主催者なので、
「勝野が隠すのであれば、それならこちらも知らないふりをしておこう」
 とでも、思っていたに違いない。
 個展の期間で、準之助の作品を見るお客の目は結構暖かかったように思う。
 個展の中に、別の作家の作品があるというのも珍しく、アシスタント作品とは書かれていたが、その作品に共感した人の結構いたようだ。
 中には案内役の人に、
「あの作品、なかなかいいですよね」
 と声を掛けていた人もいたくらいで、これにより、勝野も自分の指導が間違っていなかったことを感じた。
 弟子を持つなど最初から思っていなかったし、芸術を行っている間は、一人で孤独だという認識が強かったので、自分が誰かに教えるなどとそれまで想像をしたこともなかった。
 ただ、唯一、学生時代には、
「将来は作家としてデビューするか、それとも絵を教えて生計を立てていくか」
 という青写真を描いているだけだった。
 絵を教える場合も、視覚を取って、学校で教えることになるのか、それとも、教室を開くことになるのかということは未知数だった。ただ、教室と開くのは金銭的な面から考えて現実的ではないという思いから、あまり想像できるものではなかった。
 だが、自分の絵が認められ、実験的なイメージで作成してみた逆さ絵が、想像以上に売れたことで、今の地位があるのだった。逆さ絵は自分の分身でもあると思うようになっていた。
 準之助の作品は次第に勝野の個展でもスペースを取るようになり、彼のコーナーも一角にできるくらいになった。さすがにここまでくれば、
「自分の個展を開いてみるのもいいんじゃないか?」
 と勝野が話をした。
 実際に、勝野の個展を催している主催者からも、さらには他のスポンサーからも、
「準之助さんの作品をそろそろ個展にしてもいいんじゃないですか?」
 と言われるようになっていた。
「ええ、それは前から考えていたことだったんです。じゃあ、さっそく準之助にも話して見ましょう」
 ということで準之助に話を訊いた。
「それはありがたいことですね。皆さんが私の作品を認めてくださってのデビューですから、私も楽しみです」
 という返事が返ってきた。
 それを聞いて勝野も喜んだ。いくらまわりがヨイショしたところで、本人にその気がなければ、どうにもならないことは火を見るよりも明らかだ。
 実際に個展をしてみると、上々だった。
「これが個展デビューだなんて、信じられないくらいの才能ですね」
 と、客からの評価である、
 これ以上ないという評価を貰ってのデビューは、やはりセンセーショナルであった。
 だが、この頃はまだ、彼は逆さ絵を前面に出すことはしなかった。密かに練習していて、それなりに自己満足はしていたが、本当は世間に評価してもらいたいという気持ちを持ちながら、封印していた。
 実際にそれを世に出してしまうと、今のままでは中途半端な気がした。もう少し普通の絵画で技を磨き、そして個展を充実させられるだけのものにしたかった。
 それまでにも二科展などに出展し、何度か優秀賞を受賞してきたが、個展を開いて、そこで評価として生の声を貰うというのは、コンクールに入選するのとは違った意味で、悦びはひとしおだった。
作品名:逆さ絵の真実 作家名:森本晃次