逆さ絵の真実
最近、勝野の事務所は、株式会社組織にしたことで、当時主流であるプロダクション形式になったことで、助手は必須になった。経理部門や総務も必要になり、ただの芸術家というだけでは済まなくなってきていた。
「ああ、アシスタントや社員は数名いるさ。難しいことは、弁護士出身の人に任せているので、安心はしているんだがな」
と言っている。
「それはいいことだ。著作権だったり、いろいろ作者の権利というものがあるからな。そのあたりはしっかりしておかないと、せっかくのいい作品を世に出しても、金儲けの道具に使われちゃあ、作品に悪いからな」
という。
「それはそうなんだが、やっぱり俺は、昔カタギなんだよ。それでも弟子というのは、アシスタントとは違うので、取らなかったんだ」
だけど、ずぶの素人とは恐れ入ったな」
「ああ、学校も別に芸術関係の勉強をしていたわけではなく、ただ、高校の時に美術部だったというだけなんだ。だけど話していると面白いんだよ。俺が考えていることをあいつも考えていて。意見が一致するのが、面白いんだ。あいつも面白いようで、まったく違った性格だと思っているのに、意見だけが一致するというのは、何か惹かれるものがあるのかも知れないというんだ。俺もその通りだと思ったよ」
「感性が引き合うというのかな?」
「そうかも知れない。まだ、芸術に関しては分からないんだが、一つだけハッキリと分かっていることは、あいつにも耽美主義があるということだ。美しいものは美しい。だから、愛でるだけの価値があるといううんだ」
「それこそ、いつもお前が言っていることじゃないか」
「そうなんだ。それにやつは。俺の初期の頃のヌード作品を見て、笑うんだよ。別にバカにしているわけではなく、もし自分に絵描きとしての才能があったら、この絵をマネて描きたいと思うんだろうなっていうんだよ。だけど、自分は模写はできない。あくまでも自分のオリジナルだって言い張るんだ。そのあたりが、俺と考え方が似ているような気がする。だから、同じ逆さ絵を描くとしても、やつの作品はまったく趣の違ったものになって。俺の弟子だっていう感じではなく、その時には、俺のライバルとして独立しているんじゃないかって思うんだ。それが俺には楽しみではあるんだよ」
と、勝野は言った。
「弟子は嫌だというのはそういうことか。その人が成長して。自分とは違う流派であれば、いくら彼が自分よりも上を行っても、それは弟子ではないという発想から、今度は自分が逆に叩き潰すというくらいの気持ちになれるので、闘争心が湧いてくると思ったわけだな?」
と言われて、
「その通りさ。俺にとって逆さ絵は、俺の独自の主流であるからして、もしやつなら自分の流派を作れば。逆さ絵とは違う表現を見つけてくるはずだ。だから、逆さ絵のわしと、今後できてくる流派の、やつとの闘いが繰り広げられる。実に愉快なことではないか」
と言って、笑うのだった。
「その弟子というのは、何者なんだい?」
「最近、高校を卒業して、いきなり来たんだよ。先生の弟子にしてくれってな。絵はほとんど趣味でしかやっていないと言って、以前に描いたという作品を見せてもらったが、さすがに素人に毛が生えた程度だ。だけど、考えてみれば、俺が推奨する逆さ絵というのは、右脳を左脳に転換させるというのがそもそもの発想。絵がうまい下手は、この際関係ない。どれほどうまく左脳に転換できるかがカギになるわけだ。だから、見た目だけでは分からない。作品を見せてもらっても意味がない。だから彼は、作品を見せる時、『あまり意味がないですが』と言ったんだよ」
と説明した。
「確かにそれはいえる。お前の逆さ絵は最初から、世間の物差しで測ってはいけないものだったんだよな。それを忘れていたよ」
と言って、また笑った。
「弟子なんて言葉を使うから、古臭く感じられるが、でも、実際にはそれ以上でもそれ以下でもない。戸惑いながらではあるが、やつを弟子にすることにしたのさ」
「名前は?」
「山本準之助というんだそうだ。名前も芸術家向きに思えたので、そのまま名乗ればいいと言っておいたよ」
「うんうん、俺もそう思う。何十年後かには、その山本重之助が、どんな作品を作っているか楽しみだな」
と仲間に言われて、
「実は俺もなんだ。やつのことだから、途中で投げ出すようなことはないように思うんだが、もちろん、勝手な思い込みなんだけどな。でも、何かを製作するという意識は強いように思えた。これも話をしていて感じたことなんだが、耽美主義で道徳面に少し疎いやつなので社会に出ると、違った人生になるというよりも、結局やつは、芸術という結界から外には出られない気がするんだ。もっとも、その結界は自らが作っているもので。それが意識してなのか、無意識なのか、俺にも分からない。きっとあいつ本人にも分かることではないんだろうな」
と勝野はいった。
「そりゃあ、そうなんだろうな。もし、俺に弟子ができたとしたら、お前のような考えには決してならないだろうし、その山本準之助のような弟子も、まず来るようなことはない。俺はこれでも、弟子がくれば、拒むことはしないんだけどな。こんな俺には来ないのに、お前のところに来るというのは、一体どういうことなんだろうな」
と、またしても笑った。
今度は先ほどに比べての大声だ。それだけ自分の話題になったことが嬉しかったのだろう。それは勝野も同じことで、弟子の話題にあったことを嫌だとはまったく感じていなかったのだ。
準之助の性格
勝野光一郎は、弟子の山本準之助に自分の作品の極意を教えることはしなかった。もちろん、最初はずぶの素人だったので、最低絵画というものがどのようなものかという程度は教えてきた。幸いにも彼は呑み込みが早かったので、絵画の上達は早かった。二科展などにも出展し、賞を受賞できるところまで言っていた。
ただ、世間に対しては、師匠の勝野光一郎は、彼を、
「アシスタントの一人」
と言っていて、弟子だという表現はしていない。
「私は弟子は取らない」
という名目があるため、あくまでも弟子としての表現は避けていた。
そのことはもちろん、準之助も承知していて、実際に日頃から、アシスタントの仕事もこなしていた。
そのせいもあってか、彼に逆さ絵の指導をしたことはなかった。だが、彼は独自の勉強法で、自分の作品を作ってきた。
山本準之助という男は師匠の勝野光一郎が、感性を重んじて制作に入る芸術家であるのに対して、彼は勉強熱心で、知識を元にした感性で作品に立ち向かう姿勢をもっていた。そこはやはり、
「自分は弟子である」
という意識が強く、そもそも芸術に対しては素人だったというところから来ているのだろう。師匠の背中を追いかけながら、勉強して、知識を豊富にしていくことが、芸術家への近道だと思っていた。
彼は、模倣が嫌いだった。師匠と弟子であれば、
「師匠の技をそばで見ていて、盗み取れ」
とよく言われているようだが、それは嫌だった。