逆さ絵の真実
とまで言われたが、その後誰もこの分野に足を踏み入れることなく、ブームは去ってしまった。
だが、却ってこれが、彼の作風として定着し、ネットでも、逆さ絵のスペシャリストとして彼の名前が最初に出てくるほどであった。
今では光一郎の絵画論説なども書籍化されて、絵画以外でも活躍することになったのだった。
デビュー当時の彼は、どちらかというと、低俗と言われるものも扱っていた。
特にヌードなどは結構描いていたが、実際には芸術作品で身を立てたいという誰もが思う発想を抱いていて、しかも、自分では普通だと感じているモラリズムがあったことで、ヌードを描くことに、一定の自己嫌悪を抱くようになり、ジレンマを感じてまっていたのだ。
その思いを打ち消してくれたのが、
「耽美主義」
であった。
美の世界に限らず、小説の世界にも、
「耽美主義」
は存在する。
「道徳功利性を廃して、美の享受、形成に最高の価値をおくという芸術思潮」
というのが、いわゆる耽美主義と言われるもので、自分のヌードには美しさを感じ、美を第一に追求することで、耽美主義という芸術を完成されるという、言い訳のような発想であった。
だが、勝野はこの発想に飛びついた。これが彼の、
「逆さ絵」
を、一つの芸術にまで特化させる大きな理由になるのだから、なまじ、旅主義も悪いものではなかった。
そういう意味では、耽美主義が彼にもたらした影響は、非常に大きなものだっただろう。ただ、そんな耽美主義は、異端であることに違いなく、多くの人たちに受け入れられるものではなかった。
彼が考えたように、
「自分が唱える芸術を正当化するための言い訳に過ぎない」
という理論は、自分が考える前に誰もが感じるもののようで、
「言い訳までして、自分の芸術を表に出したくない」
と思っている人もたくさんいる。
やはり王道のやり方で、皆に認められ、誰からも言い訳などと言わせたくないという思いが前面にある。そんな人は耽美主義などというものを幻だと思い、最初から頭に描くことすらしないのではないだろうか。
逆に彼は、耽美主義を否定どころか、存在すら意識しない連中の方が、視野の狭さから、
「芸術を語るなどおこがましい」
と考えているほどだった。
求めているものは同じはずなのに、その過程は違うことで、ここまで対立してしまうというのは、芸術を学問として考えれば、悲しいことである。
「じゃあ、芸術というのは、学問以外に、何があるというのか?」
と言われると、考えられることとしては、
「商売だ」
ということくらいであろうか。
自分の生み出した作品に、値段という価値が付き、それを元に生活や、芸術を嗜むことができるのである。
ただ、商売という発想は、自分を芸術家として考えている人にとっては。考えたくないものであり、
「芸術が求めるものは、やはり美ということになるのだろう」
と思うと耽美主義を完全に否定できないところもあった。
だが、道徳やモラルに反することは、芸術家として許されないものだと思っていた。いわゆる、
「パンドラの匣」
を開けてしまったのと同じではないかと思う。
開けてはいけないものを開けると、必ず罰を受けることになるという発想が、そのままモラルであり、道徳であるのだ。
「では、ヌードを美だとして見てはいけないのか?」
と言われると、それこそ、道徳倫理に違反していて、生命の存続、ひいては存在に対しての、冒涜のようにも思えてくる。
それこそが、ジレンマであり、どちらに寄ったとしても、そこに矛盾が含まれてしまう。それは、ほとんどの芸術家、いや、ひいては人間の中にあるもので、身動きが取れないことで、焦りや困惑が生じてしまう。その大小の差が、耽美主義者か、そうではない人かという違いになり、
「耽美主義者以外は、皆反耽美主義だ」
ということになってしまうのだろう。
彼はしばらく、自分の弟子を持つことをしなかった。
弟子を持つということに照れ臭さもあったが、この逆さ絵ブームは自分の代で終わることを予知していた。しかも終わってくれることを願っていたと言ってもいいかも知れない。その方が、自分だけのものであり、世の中に名を遺すよりも、自分だけがこの世界を作って終わらせたという方がよほど彼の自尊心をくすぐるのだった。
「弟子が自分よりもいいものを作ったら、師匠としては喜ばなければいけないじゃないか、だけど、一人の作家としては、複雑な気持ちじゃないか。その時の気持ちを思い図ると、俺にはとても耐えられそうにもない」
と言っていた。
それを聞いた作家仲間は少し呆れていたが、その気持ちも芸術家としては分からなくもない。だから、何もいうことができなかったのだが、
「俺は俺の世界を見れればそれでいいんだ。逆さ絵といえば勝野光一郎と言われ続けるのを俺は願う」
と彼がいうと、
「だけど、それ以前に、逆さ絵自体を忘れられるかも知れないぞ」
と言われて、
「それならそれでいいのさ。俺の時代が終わったというだけで、それだけのことさ。これが俺の生き方なんだよ」
という勝野に、まわりは何も言い返せなかった。
自分だったらどうするという自問自答をしても、永遠にその答えは見つからない気がしたからだ。
「でも、今度弟子を取ることにしたんだ」
というではないか。
「おいおい、言っていることが支離滅裂じゃないか」
と言って、笑っている仲間だったが、勝野の表情が、今までにないほど真面目だったことで、少し怖くなったくらいだ。
「弟子というのが、まったくの素人なんだよ。素人の分際で、俺のところに弟子入りしたいってきたんだよ。絵の経験は? って聞いたら、ないと答えやがる。ふざけているのかと思ったがそういうわけではない。理由に関してはハッキリとは言わなかったが、何か面白い気がした。もし、こいつが俺のような作品を作れたとすれば、俺が育てたことになる。そしてできなければ、しょせんできなかったのは素人だからということで、俺の責任ではにない。どちらにしても損はない。もし俺よりも優秀な作品を作ることができたとしても、俺が先駆者なんだから、絶対に俺を超えることはできないと、そんな風に思うようになったのさ。さっきの話とはやつが弟子にしてくれと言ってきた時から、考えが変わったと思ってくれてもいい」
と勝野は言った。
「ところで今まで、お前のところに弟子入りを希望してくるやつはいたのかい?」
と訊かれて、
「いたにはいたが、明らかに逆さ絵というものに興味を持ったというだけで、私を師匠として慕う気持ちはこれっぽっちもなさそうなんだ。俺としても、あんまり師匠として慕われるのもくすぐったいんだが、ここまで露骨に、『遺産狙いの不偽装結婚』のようなことwされては、いつ何をされるか分からないじゃないか。あくまでも人間としての俺を慕ってくれての入門じゃないと、弟子としては雇えないというものだ」
というと、
「じゃあ、アシスタントはいるのかい?」