逆さ絵の真実
「なるほど、その気持ちはよく分かります。私も確かにその通りだと思いますね」
と言われて、
「将棋の世界で、どういう状態が一番隙のない布陣だと思いますか?」
と浅川刑事に言われて、ちょっと虚を突かれた気がした一同だったが、
「どういう意味ですか?」
と代表して、誰かが訊いた。
「それはですね。最初に並べたあの布陣なんですよ。言って差すごとに、そこから隙が生まれてくるんですよ。つまりですね。最初を百として考え、そこから無駄な部分、あるいは不要な部分を省くことで制度の高いものに仕上げるという減算法という考え方が、事件解決には必要なのかも知れないということです。だから、駒の特性をよく知らないと、何もできないんですよ。盤面上にある駒だけを見ていても、作戦は立てられない。相手から奪った駒をいかに使うかということが重要になるわけです。そのことをしっかりと把握しておかなければ、なかなか事件解決には及ばないような気がするんです」
と、浅川刑事は答えた。
「いやあ、なかなか浅川さんのご意見は深いものがあります。どうも我々はそこまでなかなか考えることはできないですからね」
と言われて、浅川刑事は、
「事件の捜査というのは、まず聞き込みなどで、いろいろな情報を得るじゃないですか。そして得た情報をいかに組み立てて、理路整然としたものにして、それを事件に当て嵌めるか、あるいは、事件に当て嵌めてから、事件を整理して理路整然としたものに仕上げるか、二つの方法があると思うんですよ。結果は同じになると思いますか?」
と言われて、
「私は一緒ではないかと思いましたが」
とT警察の刑事がいうと、
「それこそ臨機応変で、その時々で違っていると思います。最初に組み立ててから、当て嵌めると、組み立てる時に間違えると、まず当て嵌まりませんよね。それはきっと中心からまわりに向けて作っているからではないかと思うんですよ。でも、逆に当て嵌めながら理路整然としていくやり方は、ある意味、簡単なところから埋めていくという考え方に違いと思うんですよね。一種のジグソーパズルのやり方です。それもいい時はありますが、その場合、途中にトラップがあったり、間違った発想が介在してしまうと、間違った方向にいくんですよ。そうなった時に、また最初からというのは、結構難しいと思うんですよね」
と浅川刑事は言った。
「でも、それは真ん中から組み立てるのも同じなんじゃないですか?」
と言われると、
「確かに見た目はそうです。でもですね、当て嵌めた時にうまく嵌らななかった時は。もう一度ばらして、組み立てなおそうという気になりやすいんですよ。逆にいえば、ジグそ^パズルのようなやり方で、もう一度やってみようと思えるんです。つまりは、ジグソーパズルのやり方は、私が思うに、最後の手段ではないかと思うんです。少し乱暴な考えではありますが。いかがでしょうか?」
と浅川刑事は答えた。
「つくづく浅川さんの頭の中を覗いてみたくなりますね。本当に間違っていないと思えてきます」
とT警察の刑事は言った。
その言い方がどこか他人事のように聞こえたが、浅川刑事としてお、ついつい熱血漢で話をしてしまっているが、皆が分かって聞いてくれているとまでは感じていない。
「どうせ、半信半疑なのだろうな」
と思っているのも仕方のないことで、浅川刑事は、この場に姿を現すまでは、正直まったく頭の中に何も浮かんではいなかった。ここで、言い方は悪いが、
「他人事のような意見」
と訊いていることで、自分の想いがどんどん膨れ上がってきたというのが本音であろう。
この中にどんな真実が含まれているのか分からないが、少なくともある程度までの事件の奥が見えてきていることに間違いはないと思うのだった。
「事件を考えるにも、いろいろな考えがあると感じました。今感じたのは、一歩離れたところから事件を見てみるというのも、大切なことではないかということが分かったような気がしたことです。浅川刑事に教わった気がしました」
と言ってニコニコするT警察署の刑事だったが、
「一歩下がって見るのは大切なことですよね」
と、今まさに自分が感じていることを口にしてくれて、少し悦に入っている気持ちになった浅川刑事だった。
浅川刑事は続けた。
「やはり、この事件は、最後に辿り着く相手は、山本準之助なんでしょうね。明日にでも山本準之助を訪ねてみますが、皆さんはいかがでしょうか?」
というと、
「はい、ぜひご一緒させてください」
と、T署の刑事も賛同した。
浅川刑事は、さっそく準之助に話を訊くためにアポイントを取った。彼のアトリエにまたしても赴いたのだが、今度はT警察署の二人の刑事が同伴と訊いて、彼自身も自分の意見をいろいろ述べる時期が来たと思ったのだ。
そして。彼らの前で持論を公表すると、大筋はほとんど、浅川刑事の推理と同じであった。ただ、犯人が誰なのか、そこまでは分からない。浅川刑事の感覚としては、たぶん、この事件の動機であったり、見えていない部分というのは、逆さ絵を理解している人でなければ分からないことではないかと思ったのだ。それで、準之助に意見を聞きに来たというところであるが、意外とアッサリと、準之助が犯人を指摘してくれたのにはビックリした。
「あくまでも、私の推理というだけのことですよ」
と言っていたが、彼とてある程度の理論が固まっていなければ、個人名を挙げるというところまではできないだろう。
そういう意味では信憑性があると言ってもいいかも知れない。
「私が思う犯人は、橋本教授ではないかと思うんです。教授であれば、弟の羽村の性格も分かっているだろうし、羽村を自分の代わりに対決させることもできるだろう。心理学の先生なので、きっと、羽村自身が自分で選んだのではないと思うようなことを、いかにも自分で選んだという形のトラップである、一種のメンタルマジックのようなものを使ったのかも知れない」
と彼は言った。
だが、この発想は浅川刑事を急に疑心暗鬼にさせた。
――これこそ、彼のメンタルマジックなのでは?
と思わせたのだ。
ただ、彼だけの犯行ではないような気がする。この事件は最初から共犯者ありきだと浅川刑事は考えていた。しかし、今までの準之助の推理の展開の中で、まったく共犯者という発想が出てこなかったのが、そもそもおかしな気がしたのだ。
共犯者の存在を打ち消すことで、自分を蚊帳の外に置いていたのだろうが、共犯者を作るということはある意味犯罪において難しいことでもある。
まず、仲間割れという考えが最初に浮かんでくるだろう。
そしてもう一つには、お互いの意識の違いから、勘違いが起こってしまう可能性も否定できない。
しかし、何よりも、共犯者を作るということは、一人の犯行がバレると、相手も終わりだということだ。一人が捕まってしまえば、罪のすべてを自分で背負うことになるので、絶対に黙っているということはないだろう、
ただ、例外としてあるのは、
「事後共犯」
という場合である。