逆さ絵の真実
「そうなるかも知れません。まずは、どこで殺されて、どうしてあの場所に遺棄したのかが問題ですよね。殺すだけが目的なら、そのままどこかに埋めてしまうなりすればいいものを、後になってしばらくして発見させたのには何か意味があるのでしょうか? 死亡推定時刻も曖昧になり、一歩間違えば、死体の損傷も出てくる頃かも知れない。だからと言って、昔と違って身元の確認が行えないわけではない。もっとも白骨になってしまえば、さすがにDNA鑑定したとしても、死亡推定時期の行方不明者全員を当たるわけにもいかない。しかも、かならず捜索願が出ているとは限りませんからね。警察は捜索願を出そうとしても、この間の話のように、事件性などの優先順位を考えて受理、捜査を行うので、なかなか難しいですよね。それが犯人の狙いなのかとも思いましたが、この中途半端な時期に見つかるようにわざと海岸に放置するというのがよく分からないんですよ。顔に損傷があったわけではないので、彼のような有名人であれば、捜査員の中で誰かが気付くはずですからね」
と刑事が話をした。
準之助もその意見には賛成だった。ただ、準之助が気になったのは、彼が描いた逆さ絵だった。
準之助は思い立ったように刑事にお願いをしてみた。
「すみません。もしよかったらでいいのですが、彼の死体のそばに置かれていたという絵というものを見せていただくことは差し支えないでしょうか?」
と、準之助は言った。
「ええ、構いませんよ。むしろ,我々もそれをお願いしにきたんです。あの絵をご確認いただけるのは、たぶん山本さんだけですからね。何か気になることがあれば、些細なことでも何でもご指摘いただければありがたいんです。それほど今回の事件は、何も分かっておらず、手掛かりはあの絵ではないかと思いましたのでですね」
と刑事這は言った。
なるほど、刑事が準之助をわざわざ訪ねてきたのはそこに理由があるのだろう。普通であれば、現場を中心に、徐々にその範囲を広げていくことで、殺害現場や犯人像に迫っていきたいところなのだろうが、まず犯人像が掴めない。なぜなら、犯人の行動が不可解で、何を考えているのか分からないところから、どうやって犯人像を探ればいいというのだろうか。プロファイリングの方でもお手上げのようで、今のところ警察の科学捜査が及ぶところではないという話になっていた。
「今のところ捜査は、昭和の地道な捜査しかできない状態なんです。これがある意味犯人の狙いだとしても、ただそれだけなのかとどうしても勘ぐってしまうんですよね」
と、刑事はいうのだった。
本当にお手上げと言ったところであろうか。そんな刑事の様子を見ていると、一縷の望みをあの絵に感じたのも分からないでもなかった。
さすがに証拠品となるものを署の外に運び出すことはできなかった。一応被害者の殺人事件としての捜査本部は、死体が発見されたT署にあるので、取り調べに来た刑事がK署、つまり羽村の居住地である捜索願を出した管轄の警察署の人間が持ち出すわけにはいかなかった。
捜査本部には、協力という形でK署から派遣されてはきているが、管轄という縄張り争いの激しい警察では、証拠品を簡単に持ち出すことはご法度であった。
パトカーに乗って、準之助を乗せた覆面パトカーが、高速道路を通っても、約一時間はかかるT署に到着すると、さっと刑事たちに緊張感を感じた。
――やっぱり警察の管轄という縄張り感覚は、今の時代にも叙実にあるんだ――
と感じさせられた。
遺体の方は解剖に回されているということで、ここにはなく、確認はできなかったが、それ以上に絵を見ることの方が重要なようで、まずは、刑事課の応接室に通された。さすがに参考人でもなければ、容疑者でもないので、取調室を使うことはなかったが、
「一度は見てみてもいい気がする」
と感じていたが、それはやはり、かなり不謹慎なことだと思わずにはいられなかった。
「少し、こちらでお待ちください」
と言って、待たされたが、何と、その時女性の制服警官が、お茶を入れてくれた。
まったく予想もしていなかっただけに嬉しかったが、T警察署というのは、都会のK警察署に比べれば、のんびりしたものなのだろうと思えてならなかったのだ。
記憶喪失
少し待っていると、刑事が羽村の遺留員だということで持ってきてくれた絵、それはまさしく、対決の時、準之助描いていた絵であった。
それを見た時、一瞬、準之助の頭の中に一つの疑問が湧いてきた。
――確かあの時、どんな形でも自由に描いていいと言われていて、同じ被写体にする必要がないのであれば、人情として、相手のいないとこで、相手とは違う被写体に行くものではないのだろうか? 俺にしても、きっと違う被写体に行っただろうに――
と思い返した。
あの時、最初に場所を選んだのは準之助だった。準之助は自分で選んだ場所に、まさか挑戦者である羽村が後からやってくるとは思わなかった。しかも、その真正面で描き始めようとするのである。普通なら嫌がるはずなのに、どうしたことなのかと思ったものだった。
やつがその場に居座ってしまったので、最初にその場所を決めた準之助が離れられなくなったのだ、離れてしまうとまるで逃げたかのように見られる。この場合、作品の優劣が拮抗している時に審査員が反対の材料とするのは、対戦車の勝負に対しての姿勢である。
真面目に勝負に挑んでいる人の方が、中途半端だったり遊び半分で挑んでいる人間からすれば、優位なのは当たり前だ。しかも羽村の場合は普段からその姿勢が、
「あいつはチャラい」
と言われているだけに、芸術に取り組む姿勢の真面目さは、その評価をうなぎ上りにあげていくことだろう。それを思うと最初から、準之助は不利だったと言ってもいいかも知れない。
だが、彼のあの時の様子では、そのようなあざとさは感じていなかったと思えてならない。贔屓目であるが、贔屓したくなるくらいに彼は真面目だったのだ。
準之助はこと芸術に真面目に取り組んでいる相手は、その真面目さが優先順位としては絶対であり、真面目な思いを覆すことは絶対にできないとまで思っているほどであった。
それだけに、羽村という男が、本当はジキルとハイドのような二重人格なのかも知れないとも思ったが、よくよく考えると、芸術家には二重人格者が多いような気がしていた。
真面目に作品に取り組んでいる時は、自分に対して謙虚であるが、いざ、何かの作品に取り組もうと考えている時は、何よりも自分に自信を持つことを大切に考える。それだけ自信を持つことでモチベーションを高めようとするものなのだろうが、そのやり方は芸術家一人一人で違うだろう。
特に彼は芸能人という別の顔も持っている。芸能人を本当の彼だと思うとすると、どうしても、芸術を片手間でやっていることに対して、プロとしては、
「芸術を舐めるんじゃない」
と言いたくなるだろう。
しかし、芸術の向上という目的をもって、芸能人をやっているのだとすれば、そのストイックな態度は、褒められて当然と言えるのではないだろうか。