逆さ絵の真実
「なるほどですね。確かにその通りだとは思います。しかし、失踪した人間に何かの意図があったのだとすれば、その延長線上に、自殺ということも引っかかってきますよね? そうでないと特に芸能人というのは、顔も知名度も売れています。ただでさえプライベートンの時は、まるで何かの犯罪者のように、帽子を目深にかぶってサングラスをしたりして、まわりから見れば、下手な変装をしていれば、これほど怪しい人間はいないと言えますよね。それを思うと、ここまで誰にも見つからずにいるというのは、すでにこの世にいないのではないかとも考えられるような気がするんですよ。警察が危惧されているのはそのあたりではないかと思ったのですが、いかがでしょう?」
と、準之助がいうと、刑事二人は顔を見合わせて、少し考え込んでから、話し始めた……。
「いや、これはごもっともなことだと思います。我々も彼が芸能人で、特に若い人たちのカリスマ的なところがあるのは分かっていますので、変装してなければ、パニックになるくらいの人です。それが一週間とはいえ、失踪したということを隠しておけるだけの事務所に力があるのかも知れませんが、民間で見かけた人がいないというのも、何かおかしな気がしましてね。ただ芸能人ということもあり、何かの事件に巻き込まれた。あるいは、彼を狙った犯罪が影で暗躍しているという考えも捨てきれません。やはり今は考えられることすべてで捜査しなければいけないと思っているんですよ。でも、今世の中で一日にたくさんの人が行方不明になっている。それを思うと、見つかる人の確率はそんなにはないですからね。失踪した時点で、覚悟をして捜索願を出す人も少なくないんじゃないかと思うんですよ」
と刑事は言った。
「こちらからもいろいろ質問して申し訳ありませんでした」
と準之助は言ったが、それは半分本音で、半分は訊きたいことが訊けてよかったという思いも強かった。
何といっても、羽村は少なくとも芸術に対して真摯であり、真面目に取り組んでいることで見直したと思った人物である。少しずつ興味を持つようになったのも事実で、話をもっといろいろ聞いてみればよかったとも思っている。そういう意味で、一度ゆっくり話も聞いてみたかった。なぜ、強引と言える形でこの勝負に割り込んできたのか、まるで最初から計画されていたことのように思えていただけに、ハッキリしないまま終わってしまうのは、どうにも虫が好かなかった。そうでないと、結果的には自分の勝ちということであったが、何かムズムズしたものが残ってしまう。本当に自分の勝利だったのか、その気持ちすら怪しいものに感じられるからだった。
刑事はその日帰っていったが、もう一度来訪を受けたのはさらに一週間後であった。それは最悪の形で羽村が見つかったということであり、自殺だとしても何か納得のいかないことであったと思うのに、それがどうやら他殺だというのだ。しかも今まで発見されなかったのは、殺害されてから、しばらくはどこか別の場所にあったのか、急に発見されたのだという、前の日にはそこにはなかったという複数の証言があったと警察は言っているようで、この間と同じ刑事の訪問を受けた時、
「明日の新聞に、載ることになるんだけど、死体が発見されたのは、ここから三十キロほど離れた海水浴場がある砂浜だったんですよ。今はシーズンオフなので、すぐに見つかる場所ではないんだけど、毎日同じ時間に散歩をする人がいて、その人がいうには、間違いなく前日には、そんなところに死体はなかったというんですよ」
ということだった。
「どこかから流されてきたんじゃないですか? 飛び降り自殺の結果流れついたとか?」
と言ったが、普通であれば、考えられないことだと分かっていながらとりあえず聞いてみたのだ。
「いや、それはないですね。死体にはそんな損傷はなかったですからね」
それはそうだろう、流れ着いたとすれば、身体中が傷だらけになっているはずなので、そうではないのはよく分かった。
刑事は続けた。
「それだけじゃあないんですよ。彼の死体のすぐそばに彼に遺留品があったんです」
「遺留品?」
「ええ、それは彼のサインの入った絵だったんですが、それは逆さ絵だったようで、この間、山本さんと対決をした時に描かれた作品だそうなんですよ」
というではないか。
あの時の作品は、写真撮影だけをして、お互いに返された。実はあの時に、準之助は一つの発見をした。
「逆さ絵を写真で写すと、自分の絵は、元々が逆さ絵だということがすぐに分かるのに、羽村氏の作品には、逆さ絵だという感覚がないんですよ。カメラに撮るとぎこちなさがないんだ。それが彼の作品の特徴なのかも知れない」
という思いだった。
この思いは、準之助にとっては屈辱だった。
だが、描き方はお互いにまったく別であり、できる作品も、
「私なら、あんな作品には仕上がらないな」
と思ったほどだった。
一度写メに撮って、それを逆さまに映す。そんな技法を用いて、描くというのは、昔からの手法、いわゆる、
「絵画の作法」
を根本から覆すようなものだった。
それを思うと、勝野氏から受け継がれた精神が崩された気がした。
だけど、今から思うと、勝野氏も、
「これは自由な作品なので、私の手法をマネする必要はないんだ。もしマネでもしようものなら、その時点で逆さ絵を描くという精神から離れてしまうように思える。だから絶対に私のマネをしないでほしい。ただし、何かの道具を使って逆さに被写体を写し出して。それを模写する分には何ら問題はない。それがその人のオリジナルの技法になるんだからね。しかも、そのオリジナルな発想は、自分だけに言えることではなく、皆に言えるんだ。もっともこの発想は、逆さ絵を極めてくれば、おのずと分かってくるものだと思うからだね」
と言っていた、
ということは、羽村氏は独自に逆さ絵を独自に極めていたということであろうか?
「羽村さんの死因は何だったんでしょうか?」
と準之助が訊くと、
「ないふぃで刺された傷ですね。どうやら、出血多量による死だったようです。死亡推定時刻は、どうも死後だいぶ経っているのでハッキリとは分かりませんが、一週間近いのではないかということですね」
という。
「ということは、捜索願が出される前には死んでいたということでしょうか?」