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逆さ絵の真実

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。芸術、絵画の技法に関してもフィクションです。あしからずです。

            逆さ絵

 子供の頃など、絵は文字を逆さまに描くという人がいるという話を訊いたことがある。さらに絵を描く練習に、
「逆さまに描くことをすればうまくなる」
 などという話を訊いたことがある人も多いだろう。
 これはどういう現象なのだろう?
 子供が絵を描く時、無意識に逆向きに書くのは、例えば、先生である人、学校の先生や、友達、さらには絵を描く時に一緒にいる人としての母親などが、対面にいて、大人が普通に書いているのを子供が描き方だけをマネすることで、逆さに描いているということを聞いたことがあった。
 それは、結構たくさんの子供が行っていることなので、別におかしなことではなく、逆にマネができていて、それでうまく描けるのであれば、それも才能の一つと言えるのではないだろうか。
 中には、それを伸ばそうとして、わざと逆さに描くことを奨励している親もいたりする。その理由は、脳の働きにあるのだそうで、結論として、
「左脳モードから右脳モードに転換する」
 ということが影響しているということのようだ。
 人間の脳は、右脳と左脳とでは少し違う役割を持っているようで、左脳は、言語の処理をしたり、分析的であったり、中手的だという。見たものの形状を抽象化して、シンポライズするのだという。便利ではあるが、絵を描くという機能には適さない。つまり、左脳はそれぞれのパーツを持ち出して。それに沿った形で絵を描こうとするが、抽象化したパーツを組み合わせても、正しい絵にはならないのだ。
 だから、それぞれのパーツをシンポライズして、頭の中で形を描き、それを当て嵌めようなどとする左脳に対して、絵を逆さまから描くという違和感を与えることによって、左脳を混乱させ、左脳を機能停止にさせる。その時に動き出した右脳は、難しい余計なことw考えずに。単純に線と線の関係であったり、色と色の関係。角度から明暗、そして形などを追うことで、本来の絵の技法に近づくことになる。頭で考えるのは難しいことかも知れないが、理屈によって頭が納得することでできるようになるといういい例なのではないだろうか。
 そういう意味で、絵を逆さまから描くという練習をさせている親もあれば、無意識に子供の方で、逆さに描くようになっている子供もいるということである。
 絵がどうしてもうまくならない人は、
「自分には絵の才能がない」
 あるいは、
「何かが欠けている」
 と思っているのかも知れないが、実際には、
「余計なことを考えてしまっていて、絵の基本を忘れてしまっていることから、描けないのではないか?」
 と言えるのではないだろうか。
 しかも、その本来の基本を、
「具体的すぎて、理屈っぽい」
 と考えてしまうことで、余計に描けなくなってしまっているとすれば、それは、教養を毛嫌いするということの弊害ではないだろうか。
 世の中には、得意であったり苦手であったりすることが、理屈とは異なっている場合も少なくない。例えば、
「短気な人間ほど釣りに向いている」
 と言われたりする。
 本来であれば、じっとしていて、浮きばかりを見ていることに短気な人間は耐えられないと思われるのだろうが、実は、
「短気な人は負けず嫌いが多く、釣りに向く」
 というのだ。
 一点だけを考えて、まったく逆の考えを見てしまうというのは結構あるもので、絵にしても釣りにしても、その通りなのだろう。
 ただ、この、
「逆さ絵を描く」
 ということを、自分の画法として定着させた画家がいた。その画家はもうすでに芸術界から引退しているが、その弟子にその技は受け継がれている。
 その画家は名前を勝野光一郎という人で、年齢は、還暦を超えたくらいであった。
 五十代前半くらいまでは、
「俺はまだまだバリバリだぞ」
 と言っていたのだが、六十歳を前にしてから、急に自分の作品に自信が持てなくなったようだ。弟子の山本準之助も、
「先生、まだまだじゃないですか。この世界の先駆者なんですから、もっとご自分に自信を持って」
 と声をかけていた。
 この弟子の山本準之助も、齢四十歳に差し掛かっていた。高校を卒業して弟子入りしてきた作家で、高校時代には、油絵の実力はなかなかのもので、学生コンクールではいつも全国大会でもトップクラスであった。
 当然、芸術大学を目指し、将来は画家になるか、絵の先生になるかと言われていたのだが、まさか、無名の勝野光一郎などに弟子入りするなど、その話が出た時、結構センセーショナルなニュースとなったものだ。
 実は、師匠である勝野光一郎も、中学時代から絵の才能に関しては、
「将来有望」
 とみなされていた。
 しかも、絵の才能だけではなく、彫刻にも一芸に秀でていて、他の追随を許さないと言われたほどだった。
「勝野の前に勝野なし、勝野の後に勝野なし」
 などと、最高級の褒め言葉を浴びていたほどだった。
 そんな彼が妙な描き方に嵌ったのは、やはり当時の偏屈画家の影響だった。
 その画家は、根っからの偏屈で、
「わしは弟子など絶対に取らん」
 と言って、頑なすぎるほどの断り方で、さすがに弟子になることは断念せねばならなかったが、その分、根っからの負けん気を生かして、独学でさらなる絵の勉強をし。さらには、
「逆さ絵というものの魅力に気付いてしまったことで、さらなる高みを目指すことができ。意外とそれが自分に合っていたんだろうな」
 と、昔を回帰していたのだ。
 実際には、
「逆さに描くことで上どまりだと思っていた絵の実力がさらに上を目指すことができるほどになった起爆剤を与えてくれた」
 と思っていたのだ。
 絵の才能なんて。誰が評価するというのか、とにかく、逆さに描くことが面白く、うまく描くことができれば、自分の才能を自覚することができる。それが面白かったのだ。
 そして、その路線を独自に示すことで、世の中に自分という存在を示すことができる。それを彼は有頂天にさせた。しかも、それが人から与えられたものではなく、初めて自分が取り組んだものであることが、大きかったのだ。
 逆さに描くことの信憑性は、前述の、
「右脳と左脳の問題」
 によっても、今では証明されているが、当時はあまり何も言われていることではなかったのだ。
 そんな勝野光一郎は、その頃から、あまり表に出ることはなくなった。いずれ、逆さ絵というジャンルを自分のものにして、センセーショナルな再登場の手土産にするというのは野望であり、その野望は自分で思っていたよりも、さらに世間にセンセーショナルを巻き起こした。
「逆さ絵ブーム」
 なるものを生み出し。
「時代の寵児」
作品名:逆さ絵の真実 作家名:森本晃次