逆さ絵の真実
「じゃあ、あなたから見て、彼が不満に思っている、あるいは意外な結果に驚いていたなどという思いはありませんか?」
と訊かれて、
「いいえ、そんなものはありません。今の話を伺っていると、まるで私を怪しんでいるようにも聞こえますが、気のせいだと思っていいんでしょうか?」
と少しきつめに聞いてみた。
「何か疑われるような感覚でもおありなんですか?」
と、こちらがかけたカマに対して、相手は真っ向から返してきた。
「いいえ、そんなものはありません」
正直ムカッときたが、ここで取り乱せば相手の思うつぼである。いかに平静を装っていても、相手に疑いの目があるのであればどんな態度を取っても、疑いを深めるだけだ。それならば、頭の回転のためにも、静かにしているのが一番だと考えた。
準之助の悪い癖として、気に食わないことに対して、時々キレることがあった。弟子に対してくれてみたりは結構あることで、きっと弟子の間では、
「山本先生はキレると怖い。怒らせないようにしよう」
という暗黙の了解があるのかも知れない。
「ところで、羽村君が失踪したというのに事務所の人が気付かなかったというのは、彼の事務所内に何ら失踪を匂わせる何かがあったわけではないんですよね?」
と準之助は訊いた。
「ええ、その通りです。だから、五日という日が経ってしまったのですが、警察に失踪願いを出したことで、捜査令状が出たので、彼の会社名義ではありますが、彼の部屋に入った時に、置手紙のようなものがありました。そこには、探さないでほしいと書いてあり、屈辱に耐えられないというような文言を書き残していました。それでマネージャーに聞いたところ、最近の彼のことで、屈辱に値するようなこととすれば、それは、あなたとの対決による負けではないかと言われたもので、それであなたを訊ねてきた次第です」
と刑事は説明した。
なるほど、彼は芸能人であり、有名人である。いい意味でもスキャンダルであっても、話題になる人だ。失踪ともなれば、かなりのものだが、準之助にはいまいちピンとこなかった。
「ええとですね。私は考えるにですよ。捜索願というのは、警察に提出しても、警察は普通ならすぐには動いてくれませんよね? まずは事件性があるか、あるいはその前後の事情で、自殺しかねないなどの切羽詰まった事情があるか。あるいは、彼のような芸能人などの有名人、もしくは政治家であったり、学者などと言った著名人であれば、優先的に捜査されるものだと感じていますが、いかがでしょうか?」
というと、警察の人も、口に拳を持っていき、咳払いをして苦笑いを浮かべた。
「ええ、まあ、そういうことになりましょうか」
というと、
「では、捜索願を受理して、警察はすぐに動いていますよね? ということはどこに引っかかったんですか? 一般市民であれば、最初の説にある、犯罪に関係があるか、自殺が疑われるかですが、彼の場合は芸能人です。いわゆる社会的影響も加味しないといけない。マスコミが騒ぎ出せば、捜査をしていないとすれば、警察は何をしているということになる。それは警察も威信があるから困るわけですよね。だから有名人の扱いにはデリケートで微妙な部分を孕んでいるんでしょうが、さてどうなんでしょう?」
というと、刑事二人は顔を見合わせて、ますます恐縮がったが、
「いや、ごもっともです。おっしゃる通り、相手が芸能人ですからね。それは優先するのは我々としては暗黙の了解ですよね。あなたが言われた通り、世間への影響と、警察としても威信の問題がありますからね。だから、受理と同時に捜索が行われたわけです。まずは身近なところからということで、彼の部屋を捜索しました」
と刑事は言った。
「もちろ、それだけではなく、彼の身元やそのあたりの基礎になる部分を捜査もしているわけですよね?」
と訊かれた刑事は、立て続けの質問に半分タジタジだった。
普段はこちらがやり込めるはずなのに、すっかり立場を取られてしまったという思いだった。
「本当にあなたには困りましたな。ええ、調査はしていますよ。彼は羽村光徳と名乗っていますがこれは芸名で、実際には橋本則之といいます」
と教えてくれた。
それを聞いて今度は準之助の方がビックリした。
――えっ、そんな個人情報になるようなことを警察は簡単に第三者に教えていいのか?
と思ったが、その次に感じたのは、
――ということは、本名を言わなければそこから先の話ができないということで、仕方なく名前を公表したということだろうか?
と考えた。
訝し気な表情をした準之助を見て、今の言葉の効果があったと見たのか、刑事が攻勢を仕掛けてきた。
「実はですね。羽村氏は、実はあの時、本当はあなたと争うはずだったK大学の橋本教授の弟さんに当たるんですよ。年齢は少し離れていますけどね。橋本教授は今年四十歳になったところで、羽村氏は、まだ二十八歳ですね。だから、あなたも、教授と羽村氏が兄弟だったなんて、想像もできなかったでしょうね」
と言われて。
「ええ、今でもまったく分かりません、顔も似ている感じがないし、まだ信じられないという感じですね」
と、準之助は答えた。
「ところで、山本さんは、橋本教授がなぜ、あなたに最初勝負を挑んできたのか、その理由をご存じでしょうか?」
と刑事が訊いた。
「いいえ、分かりません、ただ、橋本君と私は中学時代の幼馴染ということですので、何か彼にとって気になることでもあったんでしょうね。それを本当は勝負の時に聞いてみたかったのですが、いつの間にか相手が変わっていた。そういうところでしょうか?」
「そうですか、中学時代のお友達ですね。ということは、弟さんはその時まだ生まれていなかった計算になりますね。まあ、生まれていたとしても、まだ幼児だった頃でしょうか?」
「そういうことになりますね。でも、彼は弟ができたなんて話はまったくしていなかったので、まだ生まれていなかったのかも知れないですね」
「そうかも知れません」
「警察の方でも、もちろん、兄の橋本教授に話を伺いにも言っていて、その時あの勝負で、どうして弟が出て行ったのか、その理由を訊ねたんですが、なんかうまくはぐらかされた気がします。弟がどうしても有名になりたいから、その企画として、対決したいと言ったので、譲ってやったなどという話くらいしかしていませんでしたけどね」
と言われて。準之助は少々、訝しく思い、
「それはおかしい気がしますね。元々の勝負を私の方から言い出したのであれば分からなくもありませんが、あくまでも最初に勝負を挑んできたのは教授の方なんです。しかも、相手からの道場破りのような感じではなく、こちらをその気にさせるように、誘導する形でのあざとい勝負の挑み方だったんですよ。そこまで計算しておきながら、そう簡単に弟に勝負をさせるなんて考えられないですね」
と準之助がいうと。
「逆に、それも弟が仕組んだパフォーマンスだったかも知れませんよ。彼ならそれくらいのことはやりかねないとマネージャーは言ってましたね」
という話を訊いて、