逆さ絵の真実
本当はこの中にこそ、大いなる教訓がいくつも隠されている。しかし。学校ではそのことを教えない。いや、教える側がこの事実をどこまで知っているのか怪しいものだ。そもそも、戦後の日本は占領軍によって、国民全体が洗脳されてしまった。今のような何が平和と言えるのかと思う日本を誰が作ってきたというのだろうか。
いやはや、少し脱線が過ぎてしまったようだ。要するに今も昔も、勝ち目がなければ、
「負けるにしても、いかに被害を少ない状態にして負けるか」
ということである。
勝負師であればあるほど、どんなに不利な状態であっても、悲観するだけではなく、いかに切り抜けるかを考えるものだということであろう。
そんな戦いはいつしかウワサになり、週刊誌などで発表された。しかも、二人が中学時代の友人であったということも分かっているようで、そこには、中学時代からの因縁めいた話がいとおかしく書かれているではないか。
さすがにこの記事には準之助も腹を立てた、当然のことながら、相手の橋本教授も腹を立てていることだろう。
この記事では、橋本教授の方が悪者扱いされていた。確かに喧嘩を売ってきたのは相手の方だが、それを買った時点で、立場は公平になったはずだ。それなのにまるで一方的に喧嘩を売りつけたかのような書き方をする週刊誌は、結局中身がどうであれ、面白おかしく書くことで、世間の目を引いて、週刊誌が売れればそれでいいのだ。
実際に週刊誌効果というのは結構大きな反響があったようで、話題性という意味ではかなりのものがあった。
何しろ、現代の果たし状である。違う見方をすれば、まるで道場破りのようなものではないだろうか。
こうなってしまっては、絵画協会も黙ってはいられない。仲裁という名目で、喧嘩の場を提供しようという腹積もりだった。
もうこうなってしまっては、後には引けない。静かに行うつもりだったが、勝手にリングが出来上がっていて、客も入ってしまっている状態だ。ここで戦いを行わなければ、卑怯者のレッテルを貼られてしまって、今後の活動はできなくなってしまう。完全に退路は断たれてしまった。
――一体、何がこんなことになってしまったのだろう?
最初から仕組まれていたという考えもある。
しかし、それであれば、橋本教授があんなに週刊誌で煽ってくるのも理解できないところがある。
――ひょっとすると、最初から仕組まれていて、橋本教授側は、この煽りを誰か後ろにいる人間が操作したのではないだろうか?
と考えられなくもない。
当の本人である橋本教授がどこまでこの状況を理解しているのかどうか、甚だ疑問ではあるが、誰か見えない手が傀儡していることは間違いないのではないだろうか。
――すると、この対決には大いに利権が絡んでいて、それによって得をする人間がいるということか?
もしかすると、どっちが勝っても損をしないように仕組まれているのかも知れないというところまで邪推してしまいそうになっていた。
となると、出来レースの可能性もありえる。
それであれば、もう勝敗の結果がどちらになろうと、それをいちいち気にする必要もないだろう。
「ああ、そういえば、こちらが『そこまでの勝負ではない』と言った時、リアクションが変だったと思ったが、今までの成り行きを考えると、あの時、やつも違う意味でこちらの言葉に反応していたのかも知れないな」
と思った。
「やはり、この勝負、始まる前から何となく分かっているような気がするな」
と準之助は考えた。
「きっと、勝ちはこちらになるだろう。それがどのような結果をもたらすか分からないが、相手が負けたことで混乱し、そこに付け込んで何かの膨大な利益にありつこうということなのだろう」
と感じた。
そう考えるのが一番自然であり、向こうが勝った時に得られる利益を考えると、ほとんどないようにしか思えなかった。
出来レースで勝ちと分かっているようなものほど、本当はやりたくないものもないが、ここまでお膳立てをされてしまうと後ろに下がるわけにもいかない。本当に困ったものである。
新進気鋭の画家
準之助が橋本教授に勝負を挑まれることになる一年くらい前から、
「新進気鋭の画家」
として注目を浴び始めた男がいた。
その名を、羽村光徳というが、どうやら本名ではないようだ。
この男、訳の分からない絵を描いている。自らのことを、
「現代のピカソ」
などと嘯いているが、要は絵の才能に関しては疑問符であった。
ただ、なぜか売れる。彼の作品を購入する人は後を絶えない。一つには彼のそのアマイマスクが、
「イケメン画家」
としてまず注目を浴びた。
彼は芸術雑誌に載るよりも、芸能雑誌やファッション雑誌に載る方が多いと言われるほど、そのポーズや表情も板についていたのだ。
そんな彼に対して、世間の反応は賛否両論であった。
誰が言い始めたのか、
「新進気鋭の画家」
などと評するやつがいたもので、芸術家仲間からは総スカンを食らい、相手にされなくなってしまった。
これは彼が悪いわけではないのだろうが、そんなことでめげる玉ではなかったようだ。
「私には、イケメンという、他の人にはないものを持っている。つまりは、天は二物を与えてくれたというわけだ」
などと嘯いたものだから、さらに怒りは爆発する。
「やつは、わざとまわりの興奮を掻き立てているんじゃないか?」
と言われるほどのあざとさであった。
ただ、この異端児的な性格であっても、イケメンは得だということだろうか。全体的に見ると、彼は十分に徳をしている。
絵画も売れているし、週刊誌などの露出も爆発的に増えた。
「画家としてやっていかなくても、芸能界に入ればいいんだ」
と嘯いたこともあり、それが敵と味方の両方を刺激し、結果、敵味方に移動はないのだから、騒がせて売れた分だけ、彼の一人勝ちで言えるのではないか。うまく世間が操られているように思えて仕方がなかった。
そのうちに、
「新進気鋭」
という言葉が、安っぽいものになってしまわないか、そっちの方が芸術家には問題だった。
もう、あんな男を相手にする芸術家は誰もいない。芸能界だろうが、どこにでもいけばいいという程度のものだった。
なぜ、そうなってしまったのかというと、彼がどんなに嘯いたことをいおうとも、彼の絵はなぜか売れ続けた。そのせいで、彼の悪口をいうと、それは、
「売れないことでのやっかみ」
としか思われなくなった。
他の人ならともかく、あの男に対しての時だけは、そんなことを言われたくないと思うのは芸術家としてのプライドである。そうなると誰もやつの悪口は言わないようになるのだった。
それでもやつの話題は途絶えることはない。しばらくして、今度は結婚の話題が飛び込んできた。相手はモデルということだが、そのモデルに問題があった。
「結婚相手の方ですが。ヌードモデルの方ですおね?」
と言われて、普通なら二人とも不快な顔をしてインタビューした相手に怒りの視線をぶつけるのだろうが、二人はニッコリと笑って、
「そうですよ。それが何か?」