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逆さ絵の真実

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「いいや、勝敗がついた時点で、すでにペナルティは課せられているのさ。それをさらにペナルティでは追い打ちをかけるようなものではないか。そこまでの勝負ではない」
 というと、
「勝負をそこまでではないというとは、なんというやつだ。完膚なきまでにやっつけてやる」
 と完全に相手は怒り狂っていた。
 別に相手を怒らせる作戦でもないが、心理戦では、こちらが勝っていたようだ。それだけ、勝負に対して、
「そこまでの勝負ではない」
 という言葉を発したことに怒りを感じているようだ。
 この勝負が行われると聞いて、勝野氏は、以前自分が行った跡目争いの勝負を思い出した。
 あの時と、今回の勝負、どこか似ていると思っていた。何が似ているのか、最初は分からなかったが、一つ分かったことは、
「どちらの勝負も、始まる前から結果が見えている」
 ということではないかと思えたことだ。
 以前の勝負も、結果が分かった時点で、
「ああ、最初から分かっていたのではないだろうか?」
 と感じたのだ。
 そう思うと、勝負というものは、その当事者であればあるほど、勝負を始める前に、ある程度結果が見えているのではないかと感じたのは勝野だけであろうか。
 それが一瞬のことであり、瞬きをするかしないか程度の微妙なものであるから、ほとんどの人は気付かずに通り過ぎてしまう。よしんば気付いたとしても、もはややめるわけにはいかないところまで来ているので、分かっていても戦いに突入しなければいけないと考えるだろう。
 もし、気付いた時、何を考えるのかというと、
「負けが分かっているのであれば、いかに被害が少ない負け方をするか」
 ということを考える二違いない。
 そう、かつての大東亜戦争のようなものではないだろうか。
 日本がかつて行ってきた対外戦争の大きな三つはそれぞれに考え方が違っている。
 まずは。日清戦争であるが、これは賛否両論ある中で、初めての大国に対して挑んだ対外戦争である。早くから軍事国家を目指して近代化を推し進めた日本、さらに眠れる獅子と謳われていたが、世界から食い荒らされた状態で、しかも正対豪による売国とも思えるようあ暴挙にも近い、金遣いの荒さ。新興国と、落ちぶれた大国の戦争、やってみると、圧倒的な戦闘力での大勝だった。そこには、戦争における軍の指揮の高さの違いというものがあったのも忘れてはならない。
 その十年後くらいに起こった日露戦争ではどうだろうか?
 これも結果は戦争としては勝利であったが、実際には、薄氷を踏む勝利であった。そういう意味では日清戦争の勝利とはまったく違っている。戦闘が行われた場所は、ほとんど、日清戦争での場所と同じ、朝鮮半島から北部の満州の一部であったが、諸所の細かい戦闘では勝利を収める日本軍であったが、戦争遂行の計画はまったくと言って狂っていた。
 特に旅順における戦闘はそれを表していて、まずは、海軍による旅順港閉塞作戦は失敗に終わり、そのため行われた旅順要塞への攻撃では、まったく進展しない。被害ばかりが大きく、最初の戦闘での被害人数を日本の大本営で聴いた幹部は。
「被害者の数を二けた間違っているんじゃないか?」
 と言ったほどだったという。
 さらに、
「旅順といえば、日清戦争では一日で落としたところではないか、そんな小さな軍港一つは日本の命取りになるのか」
 と言われたほどだったという。
 だか、それでも、全滅寸前までの犠牲を払いながら、何とか旅順要塞を攻略し、やっとロシアの旅順艦隊を撃滅できた。それによって、日本はロシア本国からやってくるバルチック艦隊を迎え撃つだけの基礎が出来上がったということである。
 日本連合艦隊は、バルチック艦隊を撃滅し、半日で勝利したのだが、それも東郷長官によるバルチック艦隊の進路の予測が当たったからできたことで、違っていればどうなっていたか分からない。さらに、煙があまり充満しないという先進的な火薬である「下瀬火薬」の威力がすごかったというべきであろう。
 つまり日本は、強運と薄氷を踏む戦闘によって、かろうじて勝利したということだ。そこには米英に対しての外交が功を奏したという重大な事実があることを忘れてはならないのだ。
 戦争が終わって、いざ講和条約なのだが、日本は、領土的なものや、権益を満州において確立することができたが、戦争賠償金を得ることができなかった。もはや戦争継続の力は日本には残っていない。渋々受けるしかなかった。
 つまり、戦争における優位性はないに等しいということである。
 戦勝に沸き立っていた日本国民は、そんなことを知らないものだから、戦争に勝ち、多大なる犠牲を払ったのに、賠償金がないことに、政府の弱腰を見てか、日比谷公会堂の焼き討ちなどの事件を起こしたのであった。
 さらに、そこから激動の世界史が繰り広げられ、第一次世界大戦を経て、日本は大陸、主に満州の権益、さらには勢力拡大に躍起になっていた。それはソ連の南下を防ぐという明治以来の野望があったからで、さらに、中華民国による、反日運動への懸念から、満蒙問題としてその解決策を、柳条湖事件という列車爆発未遂事件を機に、満州事変を起こすきっかけになったのだ。
 実際に、当時の満州では、日本人拉致や暗殺が横行していて、とても、治安が安定しているなどと言える状態ではなかった。さらに、一番の問題は、日本国内の人口問題である。それを解決させるためには、外国に移住できる場所を確保することが急務であり、満州事変はそういう背景の元に起こったのだ。
 満州事変が成功し、満州に傀儡国家「満州国」を建設することで、日本人の移民を募った。
「王道楽土」
「五族共存」(五族とは、日本人、朝鮮人、満州民族。漢民族。蒙古人を差す)
 と呼ばれるスローガンのもとに、次々に満州に渡った。
 だが、そのクーデターを国際連盟に否定され、日本は連盟を脱退。世界では未曽有の経済恐慌が起こり、ナチス台頭、ソ連の世界共産化計画などで、一触即発の状態になった。
 そのうちヒトラーのポーランド侵攻で始まった第二次大戦。日本は、泥沼の日華事変に突入していて、それを諸外国は許さなかった。日本は経済的、軍事的、政治的すべてに孤立し、最後は米英蘭中に対して、宣戦布告を余儀なくされた。
 その時に日本が生き残るためにはどうすればいいかを話し合われた時、
「普通に考えれば、自殺行為の戦争である。勝ち目はないが、負けるにしても、その被害を最小限に食い止めるには、緒戦で相手の出鼻をくじき、相手が戦闘継続を諦め、反戦ムードが高まった時に、一気に講和に持ち込む作戦しかない」
 ということになり、マレー作戦、真珠湾作戦が計画され、緒戦では想像以上の戦果を挙げた。
 だが、緒戦で勝ちすぎてしまい、今度は鞘を納めるタイミングを逸してしまった。それが大東亜戦争の敗戦に繋がることになった。
 それが大日本帝国の滅亡に繋がることになるのだが、ここまでが、大日本帝国の歩んできた歴史だと言えるだろう。
作品名:逆さ絵の真実 作家名:森本晃次