逆さ絵の真実
何かやりたい学問があれば、きっと、大学で猛烈に勉強し、ひょっとすると、大学教授にでもなっていたかも知れないと思うほど、勝野の弟子になってからの準之助は、前だけを見て邁進していた。
勝野自身は、感性だけを信じ、先を目指してきたが、準之助は勉強するということから入るのだ。
ある意味理屈っぽい考えから入ることになるので、先生としては、嫌なのかと思えば、
「俺がやってこなかった新しいやり方を、君が行ってくれるのは嬉しいことだ。まったく同じだったら、それはサルマネにしか過ぎないからな」
と言われた。
モノマネよりもあざといサルマネ。モノマネであれば、研究することでどこまで似せるか考えるが、サルマネは考えることなく、まずはインスピレーションだけでマネをするということになる。
ここでいうインスピレーションは、感性と違うものであり、ただの勘と言っていうだろう。
感性というものは、感じることで成立するもの、勘とは違うものである。そのことを分かっていないと、モノマネがサルマネでしかなくなってしまう。しょせんサルマネは本能によるもので、その本能というものを意識もしていなければ、下手をすれば、
「サル以下」
ということになるのかも知れない。
そのことを、ハッキリと自覚していたのかどうか分からないが、結果として自分の口からでも説明ができるようになった今、完全に逆さ絵の山本流は、かつての一世を風靡した勝野流とは違ったものであったのだ。
勝野先生に一度聞いたことがあった。
「僕のこのやり方。間違っていませんよね?」
もちろん、答えは分かっていた。
「ああ」
たった一言、ただそれだけだった。
そんな時、K芸術大学の享受に、橋本教授という人がいるようだが、その人は、独自の逆さ絵を描いていた。準之助もそのことは知っていたが、別に自分の絵とは別流派だと思っていたので、気にもしていなかった。
だが、準之助の弟子の一人がある日、芸術雑誌を片手に準之助のところに駆け込んできて、
「先生大変です」
というではないか。
「どうしたんだい? 一体」
と訊くと、
「これをごらんください」
と言って取り出したのが、その雑誌に挟んでいた付箋のページを開いた。
そこには、橋本教授の談話が描かれていて、内容としては、逆さ絵というものは、そもそも一つであって、流派のあるものではないというところの論説になっていた。現状は、師匠で先駆者である勝野先生の流派と、先生が弟子には継がせたくないということで、独自のオリジナルを開発した準之助の流派、さらには、かくいうそんな論文を書いている本人である橋本氏の流派があった。
皆それぞれ事情があった。
準之助は師匠が、この絵の手法は俺ですべて終わりだ。継承などする必要はない」
と言ったことから、オリジナルを生み出し、橋本教授もマネのできない人だということで、これも彼のオリジナルであることは明白なのに、何を今さら、そんな論文を書いているのか、言っていることとやっていることがまったく逆に思えて理解できなかった。
橋本教授の考え方は、
「何か新しい手法が生まれると、それはすでに枝分かれしたものであって、さらにそこからの細分化は、ほぼないに等しい。もし、細分化されるとすれば、それはただの派生であり、それを流派と呼ぶのはおこがましいと言えるだろう」
と書かれていた。
もっとも、逆さ絵に言及しているわけでもないし、逆さ絵も流派と厳密に口にしているわけではない。だが、橋本教授のこの言葉は、完全に準之助のことを示しているように思えてならなかった。
「それにしても、自分のことを棚に上げて、一体この橋本という教授は何を言っていやがるんだ」
と、弟子はかなりご立腹であった。
「まあまあ、いいじゃないか。言わせておけば。何も我々に言及しているわけではないんだ。下手に騒ぎ立てると、逆にこっちから宣伝しているものだし、相手の挑発に乗ってしまったことで、完全に主導権を相手に握られてしまう」
と準之助は言った。
まさにその通りで、準之助が一番恐れているのは、主導権を相手に奪われることであった。
「でも、これは相手が喧嘩を売ってきているようなものじゃないですか。このまま放っておくというのも癪なんですよね」
と、この助手は、気が短いことでは定評があったが、それも勧善懲悪の精神から来ているのであるから、むやみに怒るわけにもいかない。
そんな助手が、教授にこの件で会う前から怒り心頭に発しているというのは、珍しいことであった。
着は短いが、わきまえてはいるのだ。それは彼が自分で勧善懲悪を意識しているからで、気の短さを自分では長所と思っているようなのだが、その理由がその勧善懲悪の意識なのであった。
それにしても。教授の意図はどこにあるのだろう。教授をしているだけに、理論を元に考えられているので、よほどのことがない限り、言葉の暴力や挑戦的な言葉を発することをしない。
「じゃあ、何が彼をそんなよほどのことに駆り立てたというのだろう?」
と思ったが、思い当たるふしはない。
ただ、まわりの人は知らなかったが、準之助は橋本教授とは中学の頃の同窓生で、よく一緒に学校から帰りながら話をしたものだった。
内容まではハッキリと覚えていないが、今思い返せば、彼がいうには、将来において、自分たちは何かで対決することになるだろうと言っていた。彼がそのことを覚えているかどうかは分からないが、結果的にそうなるのではないかと思うと、複雑な気持ちになっていた。
――よく中学時代のことを覚えているな――
と感じた。
さらに彼の描いているのは、
「私の逆さ絵に対しての作風は、先駆者である勝野氏のものとも、さらに、現代の第一人者である松本氏のものとも違っている。あくまでも私は私の作品であって、過去にただ似たような作品を掻いていた人がいたというだのことである」
と書かれている。
助手はこの部分を刺して、
「自分でオリジナルだと言っておきながら、何を言っているんだ。これでは彼の説でいけば、どちらが本物か、対決で白黒つけようと言っているようなものじゃないか」
ということであった。
その中にはそこまでは書いていなかったが、完全に挑戦状であることに違いない。
「どうしますか? 先生」
と弟子に促されなくても、準之助の腹は決まっていた。
「面白い、白黒つけたいというのであれば、それもよかろう」
と準之助もやる気のようだった。
「そうこなくっちゃ」
と弟子は言ったが、
「いや、私は対決で白黒つけるということに対して面白いとは思ったが、これでどっちが勝ったからと言って、それが逆さ絵の主流を決定するというわけではない。それはあくまでもやつの説だというだけで、そのために買う喧嘩ではないということをハッキリとさせておかないといけないよ」
ということで、
「負けたからと言って、そちらにはペナルティはなしということでなら、その喧嘩、勝ってやろう」
という話をすると、
「負けた時のいいわけか?」
と言われたが、