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奴隷とプライドの捻じれ

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「それも先生にお訊ねしたことがあったんですが、他の場所というと、自分の部屋の書斎だけだと言います。この宿に気を遣ってそう言ってくださっているのかと最初は思いましたが、実際には本当に、先生の定宿はここだけのようです。そういう意味では私どももありがたいという気持ちになって。精いっぱいのおもてなしをしようと心がけているんですよ」
 と仲居が言った。
「それは本当にいいことですよね。私も以前は作家の先生のアシスタントや、編集部でのアシスタントの真似事のようなことをしたことがあったのですが、その時は本当に新鮮に見ることができました」
 と由香がそう答えた。
 由香の気持ちはまさにその言葉通りであり、話をしながら、アシスタントをしていた頃を思い出していた。
 あの頃は、今から思えば毎日があっという間だったような気がするのだが、一週間は結構長かった。
「まるで、一週間が十日あるんじゃないかと思うほどだわ」
 と思えるほどだったが。sの実毎日が本当に充実していたのかどうか、それに疑問を感じたことで、その仕事を辞めたのだった。
 表向きは、
「寿退社」
 であったが、結婚しなくても辞めるつもりだった。
 充電期間を設けて復帰ということも考えられたが、プロであるわけでもなく、それほど気にする必要もない。
「やっぱり、飽きたのかしら?」
 と思ったが、飽きたという風には感じられなかった。
 由香がやっていたアシスタントは、恋愛小説家が相手だった。
 その恋愛小説家は、よくスランプに陥っていたようだ。前のアシスタントの人も、
「あの先生は、気まぐれなので、対応が難しいわよ、それにね、小説の世界と現実の世界を混同するという悪い癖があるのよ。気をつけなさい」
 と言われていた。
「私は、アルバイトなので、そこまでの責任は持てないわ」
 と笑って言ったものだったが、その時、先輩は何も言わず、ニンマリと何か厭らしい笑みを浮かべたが、その時はその笑みの意味がよく分からなかった。
 どせすぐに辞めるのだから、余計なことを言って、嫌われることもないと思ったのだろう。
 しかし、逆にその厭らしい笑顔の印象だけが最後に残ってしまった。
 確かに先生は、普段はそれほど手のかからない人で、締め切りもしっかり守る気さくな人なのだが、急に、
「何も書けない」
 と言い出したかと思うと、その顔は苦悶に歪んでいるかのように思えた。
――ここまでプロの人は顔が変わってしまうものなのだろうか?
 と感じたほどで、
「こんなに書けないと、焦ってしまう」
 とばかりに、おかしな行動を始めた。
「ああ、息苦しい」
 と言って、先生は着ている服を脱ぎ始めた。
 由香はその場に立ち尽くしたまま、どうすうこともできず、金縛りに遭っていた。
――このままでは危ない――
 襲われることが分かっていただけに、まるでヘビに睨まれたカエルのように、食べられるのを待つばかりなのだろうか?
 そう思っていると、先生は、ニンマリと笑ったが、襲ってくるわけではない。そのうちに先生の目が虚ろになってきた。
 まったくの静寂の中で聞こえるのは、先生の、
「ぜぃぜぃ」
 という息遣いだけだった。
「先生」
 と怯えたような声をあげると、
「ぐへへへ」
 とばかりに、不気味に笑い、口からは、涎のようなものを流しているのを感じた。
 そのうちに、身体が硬直してしまったのではないかと思うほど、目をカッと見開いたかと思うと、またしても、虚ろな目になり、全身に脱力感を感じた。
――まさか、先生――
 そう、何と先生は、由香を見ながら、妄想していたのだ。どんな妄想なのか分からないが、その妄想により、指も手も何も使わずに自慰行為に耽っているのだ。何度も何度も昇天し、由香はその気持ち悪い視線に晒されながら、気が付けば、そんな厭らしい状況の中で、自分も興奮していたのだ。
――本当に、こんなの嫌だわ――
 とその状況から逃げ出したいという思いとともに、強烈に襲ってきた快感を、身体を触れることもなく、味わえていることが不思議で仕方がなかった。
 そんな経験をしたのだから、男性に対して恐怖症を抱いたり、作家という人種にトラウマを感じたりするものなのだろうが、確かにそれから数日は、自己嫌悪とともに、世の中のものすべてが汚らしいものに感じられ、立ち直ることができないのではないかとさえ思えたが、一週間もすると、そんな感情はどこ吹く風で、すっかりなくなっていた。
 そのかわり、男に対して、異常性癖が芽生えてきたような気がしてきた。
 その時最初に感じたのは、
――私は不倫であったり、訳あり男性でなければ、感じない身体になったのかも知れない――
 という思いであった。
 それと、もう一つ、
――不倫でなくとも、異常性癖、例えばSMのような関係であったり、レズビアンであったりと、普通の男性でなければ、感じることができるかも知れない――
 という、とにかく、アブノーマル嗜好になってしまったことを感じたのだ。
 そのため、自分から彼氏を作ろうなどという意識はなかった。
――きっと自分がアブノーマルなオーラを出しているだろうから、私に声をかけてくる男性があるとすれば、まともな男性ではないに違いない――
 という思いから、普通に声をかけられることのない女になったと感じるようになっていた。
 そんな時に、声をかけてきたのが、柏木徹だった。
 徹は、誰がどう見ても、普通の男性で、
――こんな私に声をかけてくるような男性ではないわ――
 と最初は思った。
 どこか、坊ちゃん坊ちゃんしたところがあり、話をしていても、理屈っぽいところがあり、
「世間知らずのおぼっちゃま」
 というイメージで凝り固まっていた。
 だが、彼は、性的アブノーマルな男性だった。
 普段も見せかけだけであって、実は彼はある人間の従者であった。
 付き合い始めることになった時、元々、主である男性の眼鏡にかなったのが、由香だったのだ。
 その男性からしてみれば、
「この女、誰か男に催眠状態にされて、異常性癖でも宿るように調教されたのかも知れない」
 という、
「当たらずも遠からじ」
 と感じさせるだけの鋭い眼力を持っていたのだが。実際に接近してみると、どうも想像していたのとは違っていたようだ。
 由香は、半分、その主者を好きになりかけていたのに、まるで途中で梯子を外された形になってしまった。そのため、かわいそうだとでも思ったのか、従者である男に、由香を押し付けたのだ。
 それが徹だった。
 彼は、由香のことを気の毒だと思いながらも、
――何か、この感覚、過去にも味わったことがあるような――
 と感じながら、その記憶に一時期嵌り込んだ。
 だが、押し付けられはしたが。彼には彼女の良さが分かっていたような気がした。自分のことをジロジロ見られているようで、晒されることに快感を覚えていた由香は、通りに次第に惹かれたのである。
 二人は、異常性癖という意味でも整合していた。お互いに世の中に感じている不満やストレスを、相手が補ってくれるという存在だったことが、二人を急接近させた。