奴隷とプライドの捻じれ
というリアクションを起こしたが、さすがに佐々木巡査ほどに腰を抜かすことはなく、懐中電灯を向けたまま、硬直してしまっていた。
そこに浮かび上がっているのは、後ろにい鶴シルエットの影響が恐怖を煽ってはいたが、一人の人間が倒れている姿だった。シルエットのせいで大男に見えるような錯覚だったが、よく見ると、小柄な人であった。長い髪が乱れて顔が分からなくなっている和服の女性であることが分かったことで、
「女将さん」
と、今まで腰を抜かしていた佐々木巡査が、変わり果てたように動かないその人物を見て、そういったのだった。
朝から行方不明となり、今のところ、事件の最重要容疑者と目された女将がこうやって動かぬムクロとなってしまったことで、事件がどうなっていくのか、この時点では、誰も想像できるものではなかった。
急転直下
女将さんの死因は、一目瞭然の絞殺であった。一目瞭然と言ったのは、その首にロープが巻き付いていたからだ。女将さんの表情は、完全に断末魔の様相を呈していて、いかにも、絞殺されたという雰囲気が醸し出されていた。
鑑識が入ってまたいろいろと調査されたが、鑑識の報告を待たずに分かることとおすれば、
「女将さんは、佐山先生よりも後に殺害された」
ということであろう。
もちろん、ロープの形状を確認してみないと分からないが、これほどの至近距離で二つの絞殺死体は発見され、一つの首には凶器が残っていなかったのだから、同じロープが凶器だったということは、想像しやすいのではないだろうか。
その想像は当たっていて、ろーおうに形状と、佐山氏の扼殺痕との間は一致したようだった。つまりは、
「同一犯における同一凶器での凶行で、先に殺されたのは、佐山氏だ」
ということは、ほぼ確定だと言ってもいいだろう。
この中で一番怪しいというか、確証としては薄いのは、同一犯であったかどうかということだけで、それ以外は、ほぼ確定だと言ってもいいだろう。
同一犯かどうかに対しても、女将さんの死体を、見つかりにくい場所に隠したということに何か意味があるような気がして、それは同一犯であるがゆえの犯行だとも言えるのではないか。もし、別人の犯行であるとすれば、一つを隠したのであれば、もう一つも隠すはず。つまり、最初から犯罪がなかったと隠蔽しなければ、下手をすると、二つの殺人の罪を、片方はやってもいないのに、やったと思わせることになるだろう。それを思うと、なぜ女将さんだけを隠そうとしたのか分からないが、別々の人間による犯行だと考えるのは無理がある、別々の人間が、別の人を同じタイミングでしかも、同じ場所で犯行に至るなど、偶然にしては出来すぎている。それだけでも、別々の犯行だとは思えないのではないだろうか。
ただ、これで一つ分かったことは、
「女将さんは失踪したのではなく、殺されていた」
という事実である。
この事件は、事件自体をややこしくしたようにも見えるが、逆に犯人を絞らせることになるのではないだろうか。二人を巡る人間関係を調べることで、だいぶ捜査は限定された範囲内に絞られるような気がしていたのは、山田刑事だけではあるまい。
だが、実際にはそうも簡単にはいかなかった。
次の日一日、いろいろと女将さんと佐山先生の身元調査が行われていたが、それぞれに秘密になっている部分もなく、その経歴はほとんど違和感のない時系列で明らかになっていた。
一人の身元を捜査するのには、結構時間がかかるものだとは思うのだが、この二人の身元は結構早く調査が進んでいた。
「隠れている部分が少ないということは、こうも簡単なことなのか」
と捜査陣に思わせたが、それが却って事件を袋小路に迷い込ませた。
「どうも二人を結ぶ線が、なかなか出てこないですね。過去にさかのぼって調査しても、二人の接点はありません。出身地から、年齢や境遇もまったく違う二人なので、最初から接点があるなどということはないと思われますね」
と、それぞれの身上を調査した捜査員は、口々にそういった。
「そうか、だったら、二人を結ぶ線からの捜査は難しいか。これが分かれば、ある程度捜査も絞れてくると思ったんだが、残念だ」
と。捜査本部長が言った。
捜査本部の空気はさすがに重く、解決の突破口になればいいと思った女将の遺体の発見は、完全に空振りに終わった。まるで袋小路に入り込んでしまったかのようなこの事件を象徴するかのように、捜査本部の雰囲気は一変していたのであった。
――これは思ったより厄介な事件なのかも知れない――
一縷の望みが断たれたことで、疑問だけが残ってしまった女将の殺害。
「どうして女将は殺されて隠されなければいけなかったのか。そして、女将がこの事件でどんな役割だったのか、そして、いずれは見つかるかも知れないと思った場所であっても、隠さなければならなかった理由」
いろいろと疑問点は多かった。
最初の被害者である佐山先生の遺体は、すぐに発見された。しかも何かの見立て殺人であるかのように、滝つぼに叩きつけられるような殺され方である。その遺体を見た時、何かの見立てだと思ったが。次第に本当の目的は、死亡推定時刻を曖昧にすることではないあkと思った。
だが、考えてみると、死亡推定時刻が曖昧にするというのは、死亡推定時刻を早いか遅いかのどちらかに思わせるため、つまり、自分にアリバイがその時間であればあったことで、死亡推定時刻の偽装は成り立つのだ。
しかし、この犯罪には、死亡推定時刻を偽装して、それがどんな影響が、犯人にとっての都合のいいことがあるというのかが分からないのだ。アリバイ工作をしたいのであれば、死亡推定時刻が曖昧なことは逆に困る。
「死亡推定時刻が十二時であれば、アリバイがあるから、犯人ではない」
となった場合、本当の殺害時刻が九時とすれば、九時にはアリバイがないことで、自分に致命的とも言える殺害後浮きがあれば、犯人にされてしまう可能性がある。重要容疑者として逮捕拘留され、警察での尋問、しかも、犯人扱いという状態の中で、自分を保ち続けられる自信はない。それを思うと、死亡推定時刻をごまかしてでも、アリバイを作ろうという思いに至っても仕方のないことだ。
だが、死亡推定時刻の幅が広がれば。その時点で、アリバイトリックの入り込む隙間はない。そしてもう一つ、アリバイトリックを考える場合であるが。どういう精神状態の時にアリバイ工作をする必要があるかということである。
たぶん、被害者が犯人にとって、殺害するだけの理由を十分に持っていて、一番に容疑者として疑われる場合である。これは前述の意味でもあるが、逆にどんなに動機が有力であっても、鉄壁のアリバイが存在すれば、警察は追求することはできない。警察も最初から、アリバイ崩しを狙うわけではなく、他に犯人がいる場合を優先して捜査するであろうから、アリバイというのは、存在する時点では鉄壁だと言ってもいいだろう。
作品名:奴隷とプライドの捻じれ 作家名:森本晃次