奴隷とプライドの捻じれ
SMの世界などでは、奴隷とペットとは同意語であるかのように思われるが、実は違っている。確かにペットというと飼い主との間に主従関係が存在するが、
「ペットは家畜のようなものであり、他の人間から見ても、奴隷は奴隷なのだ」
と言えるのではないだろうか。
それだけに、奴隷を他の人間も奴隷として見てしまう風潮がある。しかし、奴隷はペットであり、家畜ではないのだ。だから、他の人から奴隷扱いされれば自己嫌悪にも陥るし、それは自尊心というものを持っているからだ。だが、主に対してはそんな余計なものはない。そんな余計なものがない方が、奴隷として従順でいられ、ジレンマに陥ることもないからだ。
それでも、由香に対しては彼女が山内を奴隷と感じているかどうかよくわからないが、山内にとって不安があるとすれば、そのあたりが分からないところだった。
山内としては、
「由香には自分を奴隷扱いしてほしい」
と思っていた。
しかし、それを奴隷の方から主に願い出るのはお門違いである。主従関係には暗黙の了解と言えるルールが存在し。その中に、奴隷の方から、奴隷扱いをしてもらいたいと思うことは法度だということになる。
今回のように、
「あなたのことなら、私は何でも分かる」
と由香に言ってもらえたのは嬉しかった。
その理由も、
「奴隷として扱う以上」
という、奴隷の側にも納得できる、ハッキリとした理由を示してくれるからだ。
奴隷として一番主を頼もしいと思うのは。
「自分のことを何でも分かってくれて、その理由が、奴隷だからだということを奴隷に対して分からせるように言ってくれる」
ということではないだろうか。
由香にそんなことを感じていると、昨日露天風呂で会った麗子のことを、どんどん忘れていっているようで、不思議な気がした。
――それにしても、昨日、麗子はどうしてわざわざ戻ってきてまで、自分と一緒にいたのだろうか? そして、今度の事件に、麗子はまったく関係ないのだろうか?
と、考えたのだ。
山内はいろいろと思い出していた、
大きなことで思い出したのは二つだった。その二つが今回の事件に関係があるかどうか分からないが、なぜかこの二つのことを忘れていた。
山内が近々のことを忘れてしまっていて、それを思い出した時というのは、たいてい、一度意識的に忘れようとしたが、実際に忘れてはいけないことであるがゆえに思い出すということ、そんな時、意識的なのか無意識なのかは自分でも分からない。その時々で違うのかも知れないとも思うのだった。
まず一つは、昨夜、麗子と露天風呂に入ったあとのことである。
その時、今回のように変な時間に翁長が減った。実際は夕飯に出た鍋が美味しく、胃下垂であるという自分を忘れて、結構食べたような気がした。実際に子供の頃から旅行で食べる食事はいくらでも食べれるという意識があり、実際に食べ過ぎて、夜になって腹が太って苦しくなることもあったが、ただ、そんな時はしゃっくりを伴わないので、二時間もすれば、お腹が減ってきて、すぐに何かを口にしていたものだ。
今回の旅行でも、麗子と話をした時の温泉に浸かるという機会は、二度目だった。しかも温泉に浸かるということがお腹の膨らみを抑制したようだ、ただお腹だけが減り、温泉から出てくる時は、すでに腹が減った状態だったのだ。
温泉から出てきたのは、確か十時すぎくらいではなかったか。すでに布団が敷かれていて、待ちつかれたのは、由香は寝息を立てて眠ってしまっていた。その時無意識に時計を見ると、やはり想像していた通り、十時半くらいだった。
それにしても、普段であれば、カラスの行水に近い山内が、よく温泉に一時間以上も浸かれたものだ。話に夢中になったからなのか、温泉の効用なのか、おかげで胃下垂になることもなく。腹が空いた状態で、温泉を出ることができた。部屋に帰って、自販機に置いてあったカップ麺を購入し、部屋のポットで湯を入れて、縁側から夜景を見ながら食べたものだ。
――こんな感覚はいつ以来だったのだろうか?
それまで、夕飯を食べて夜食も食べるなど、ほとんどなかったことだ。夜食を食べるなら、夕飯の時間にちょうど胃下垂状態で、腹は苦しい状態だったので。それが癒されるのが夜食の時間にならないと、解消されないという、悲しい習性のためだと言ってもいいだろう。
そもそも、温泉でのぼせたかのように話をして、湯から上がるきっかけを作ったのは、自分ではなかったか。そのことと、部屋の戻った時間が、十時半を過ぎていたということで、彼女は自分と一緒に十時半までは一緒にいたということであった。
さて、もう一つ気になったのは、
「鳳麗子という女の子の性格」
であった。
麗子は子供の頃から、ずっと同じような性格だとずっと思っていた。誰かの影響を受けて、コロコロ言っていることを変えたり、優柔不断なところのない、いわゆる「男前」な性格だったということを感じていた。友人はあまりいなかったが、彼女の友人は、皆彼女の緒精錬実直な性格を気に入ったことで、仲良くなった人たちだった。
子供の頃からすでに奴隷を意識していた山内も、麗子のそんな精錬実直の性格を分かっていて、他の人同様、彼女の信者のようになっていた。
ただ、それは彼女がお嬢様のように育ったことで、
「自分たちとは住む世界が違う」
という感覚が、そう思わせたのだろう。
しかし、それは普通の精神状態を持った連中にだけ感じることで、自分に奴隷を意識させたこの性格の下では、それだけにとどまらなかった。
「鳳麗子という女性は、精錬実直でまっすぐな性格とは裏腹な、別の性格も有しているのではないか」
と思うようになっていた。
数多くの人が信じて疑わない精錬実直な性格をウソだとは言わない。だが、彼女には正反対の性格を封印するかのように隠している。ジキルとハイドのようではないか。いつ、そのスイッチが入るのか分からないが、ハイドに変身した時の彼女は、きっと誰にも分からないに違いない。
もし、犯罪などを犯したら、完全犯罪を成し遂げるかも知れない。
と、性格的な意味での完全犯罪であれば、誰にも気づかれないという意味での、疑われることすらない犯行に、完全犯罪を見たのかも知れない。
今、刑事が滝つぼで現場検証をしている、まさにそのタイミングで腹を空かし、この二つのことが頭によみがえってきた。
――なぜ今なんだろう?
と感じたが、ピンとくるわけでもなかった。
滝つぼの付近を調査していた警察が、新たな、そして重大な発見をしたのは、それから少ししての夕方くらいのことであった。宿泊客は、全員が足止めを食らっていた。アリバイと言っても、犯行時刻がハッキリしない以上、誰もこの現場から離れることを警察から許されなかった。
湯治目的で来ていた人の一人に、会社を経営している人がいて、
「どうしても、明日は会社に戻らないといけないんだ」
と言って、話をしていたが、
「どういうことなんだ?」
作品名:奴隷とプライドの捻じれ 作家名:森本晃次