奴隷とプライドの捻じれ
由香という女は、確かにSであったが、Mの自分と正反対なのかも知れないが、足りないところをお互いが補うという意味で、かっちりと組みあうとも言えなくないだろうか。それは、ノーマルなセックスにも言えることで、アブノーマルな性癖は、その形を包み隠さずに露骨なところが、SMの関係をうまくいかせるのかも知れない。
由香と山内はお互いに、ちょうどいい距離にいた。SMのような微妙な関係では、その距離感が微妙に影響してくる。ちょうどいい距離感が保たれなければ、お互いにうまくいかないというのも理屈に合っていて、その距離は、一歩間違えて、噛み合わない部分が生じると、正反対の考えに持っていくものなのではないか。その考えが、坂東あいりの小説を読んで、正反対の意見を生み出す要因だったのかも知れないのだ。
それを思うと、由香と山内にとって、坂東あいりはお互いのことを考えさせるためには不可欠な存在だった。
――その坂東あいりの正体が、麗子だったなんて――
と、山内は本当に夢を見ているのではないかと思うのだった。
由香が、坂東あいりの小説をどういうつもりで見ているのか、山内にはいまいち分かっていない。一度由香が、
「彼女の小説に出てくる男の子って、どこかあなたのイメージが強いような気がするのよ。主人公でありながら、しっかりしているはずのその男の子が、M性を帯びているように見えて仕方がないのよ。まるで過去に知り合いだったんじゃないの?」
とふざけて言っていたが、
「まさか」
と言いながらも、どこか玲子の言葉に信憑性を感じることができなかっただけに、坂東あいりという作家を意識してしまいそうで、意識できないでいたのだ。
ただ、どうやら生きている麗子を最後に見たのは、何と山内が最後だったようだ。
意外な発見
第一発見者の新之助の話からは、新たに詳しいことは訊かれなかった。ただ、彼の耳が異常と言えるほどに研ぎ澄まされているということは、みんなの意見に一致したものだった。それに、彼が少しお頭が足りないということを分かっているだけに、あのような面倒臭い手間のかかる犯罪を犯せるはずがないことは、関係者のほとんどが分かっていた。
これに関しては。佐々木巡査にも分かるくらいであった。
「新之助君は、従順で人を殺すようなことはしないですよ」
と山田刑事に話をしていたが、それを聞いて山内は違和感を抱いた。
――従順? 従順なだけに、誰かの命令であれば何でもする可能性だってあるんだぞ――
と感じた、
それを、山田刑事は分かっているようで、
「ここの女将が行方府営になっているということではないか? 新之助というやつが、従順であるのは、誰かに対して従順だということだろう? もし女将に対して従順だということになれば、女将のためなら、何でもすると考えられないかい? 従順になっているその人のためであれば、何をやっても許されると思い込んでいるとすれば、これは恐ろしいことで、一種の洗脳だと言えなくもない。まるで悪徳宗教のやり口のようなものではないかな?」
と言った。
その言葉を聞いて、山内は、
――もっともだ――
と感じた。
由香は佐々木巡査と山田刑事の話に聞き入っている山内の姿をじっと見ている、その様子はきっとまわりから見れば、異様に感じられ、この場所だけ違った空気が漂っているかのように思われるかも知れない。
だが、山内の勘では、
――女将と新之助は何か関係があるかも知れないが、今回の殺人に関しては関係がないような気がする――
と感じられた。
意外と山内の勘は鋭いものがあって、この勘の鋭さは、新之助の勘の鋭さと同じ種類のものであった。
そういう意味では、もし、山内がここにずっといたとして、新之助が感じたような滝の微妙な音の近いを感じることができたかも知れないのだった。
そのことを知っている人間は、いるのだろうか?
山内は、急に空腹が襲ってきたのを感じた。この騒動で朝食を食べ損ねたのは山内だけではなく、この場にいる人皆そうであった。
いつもであれば、一度空腹感に襲われても、それを通り越せば、しばらくはお腹がすくことはない。それを、
「胃下垂のせいなんだろうな」
と感じていた。
だが、今日は朝食の時間を通り越して、中途半端なところで空腹を感じるようになっていた。
今までにこんなこともあったという意識はあったが、その時も何か問題があった時だったような気がしたが、それが自分の奴隷としての性格に関わることだったような気がするので、
――ひょっとすると、村上との別れの時ではなかったかな?
と感じたが、本当にそうだったのか、自信がなかった。
気が付けばお腹が鳴っているようだった。それに気づいた由香がビックリしていた。
「お腹が減ったの?」
と耳打ちされ、頷くと、
「あなたが、お腹が鳴らしたのを初めて聞いたような気がするわ」
と耳打ちされ、
「そういえば、由香は僕がお腹を減らしているのを見るの、初めてだっけ?」
と聞くと、
「ええ、胃下垂だというのは分かっていたので、何も言わなかったのよ。自由にするのが一番だと思っていたからね」
と言われ、
「僕は基本的に縛られることが多いんだけど、一部身体の反応からか、自由にしていないとダメな部分があるんだ。由香はそれを分かってくれていると思っていたんだけど、違ったのかな?」
というと、
「そんなことはないわ。何となくだけどあなたのことなら何でも分かるのよ。そうじゃないと、私が支配できるわけもないからね」
と、由香がいうのだ。
それは、理屈云々よりも、山内という人間を分かっているということであろうか。ということであれば、由香が分かっているのは、男としての山内だから分かるのか、奴隷としての山内だから分かるのか、彼女の目線が山内という人間のどこを捉えているかということになるのであろう。
山内自身は、
「自分を奴隷と思っているからなんじゃないだろうか?」
と感じている。
もし、これが他の男性であれば、屈辱感に震えているかも知れない。自尊心を著しく傷つけられたと思うことで、自己嫌悪に陥るだろう。
しかし、山内にはそんなことはなかった。自己嫌悪に陥ることなどない。なぜなら、山内には、自分が奴隷であることで、傷つけられるという自尊心は持ち合わせていなかった。
ただ、それは、相手は由香だから、というか、その時の主に対してだけのことである。自分が主人だと思ってもいない人から奴隷扱いされたとしても、それは必死になって抗わなければいけないものである。自分を奴隷として扱ってくれる人に対して失礼であり、自分が、
「皆が考えている奴隷とは違うんだ」
と思っているからだった。
要するに、
「飼われている」
のである。
歴史の中に出てくる奴隷は、一つの民族と戦争をして、敗れてしまった民族を、勝者である民族が奴隷にするということで、その民族全員の奴隷であるかのように思われることが多いが、今の時代の奴隷という感覚は、一人の人に飼われているという感覚で、まるでペットのようなものだ。
作品名:奴隷とプライドの捻じれ 作家名:森本晃次