奴隷とプライドの捻じれ
「今回のことでついた傷だとすれば、あまりにも多すぎます。中にはかなり前のもので、治りかけているものもあります。そして、この傷ですが、どうやら、SMプレイなどの異常性癖の持ち主が使用する、『一本鞭』の傷ではないかと思われます。もしこれが『一本鞭』だということになれば、完全に被害者は調教されていたということになり、それもかなりの上級者による常習的なプレイの可能性もあります。そういうことになるのであれば、監禁されて、何か知っていることを白状させるための傷という考え方は違っているということになります。被害者の身元から、性癖を調べられることをお勧めしますよ」
と、鑑識が言った。
傷の正体
鑑識の話から、被害者が異常性癖ではないかという話が浮上してきた。刑事は、まず被害者の身元を知る必要があるので、この店の女将がいないことから、番頭を呼んだ。
「番頭さん、すみませんが、ちっと」
と言って呼ばれた番頭は、訝し気に刑事と鑑識の前に横たわっている遺体を気にしながら、神妙に近づいていった。
「番頭さん、この被害者の身元なんですが、この被害者はどういうお方なんですか?」
と訊かれて、
「ああ、このお方でしたら、だいぶ前から注目されている作家さんですよ。ここは秘境の湯という名前の通り、寂れた温泉宿ということもあって、芸術家の先生方が、ここにお籠りになって、お仕事をされることが多いのです。このお方もそのおひとりで、オカルト小説をお書きになっている佐山霊山先生なんですよ」
というのを聞いて、
「佐山霊山先生? そういえば聞いたことがあるな。そういう作家の先生がよくこの宿を利用されるというわけですね?」
「ええ、佐山先生も、年に何度かここで執筆をなさいます。滞在期間はたいていの場合が数週間が多いかと思いますよ。ですから、我々にとっては大切な常連さんということになります」
「なるほど、では、佐山先生はこの滝のことも当然ご存じだったんでしょうね?」
「ええ、この滝をモチーフに何作品か書いたとおっしゃっておられたことがありましたね。佐山先生は長編よりも短編が多いですので、結構似たような作品が多いという話でした。ご自分でもそのあたりは自覚しているようで、『短い作品が多いので、数多く書かないといけないので、その分、アイデアを出すのが難しいんですよ』とおっしゃっていたのを思い出します。そういう意味で、私どもの宿では、作品のイメージ作りにも最適だとおっしゃっていただいて、光栄だと思っていたんですよ。それなのに、その先生がまさか、こんな形で殺害されてしまうなんて、私にはまだ先生が亡くなったことが信じられないくらいです」
と番頭がいうと、
「じゃあm番頭さんは、被害者とはよく懇意にお話されていたわけですね?」
と刑事に訊かれて、
「そうですね。佐山先生は、業界では、どちらかというと無口で何を考えているか分からないと言われていたようですが、作家というのは、そういうものなんじゃないでしょうか? 作品だけに限らず、特に先生のようにオカルト系の作品を書いておられる方は、そのイメージもオカルトっぽく感じさせるような雰囲気を醸し出すことが多いと、よく伺っておりました。もっとも、佐山先生の口から出ただけの戯言なのかも知れませんが、世間でもよくあることなのでよく分かります。『形から入る』と、よく芸術家の方は言われるではないですか。それと同じなのだと私は思っていました」
と、番頭は話した。
ここの番頭は結構饒舌で、話をするのが好きなようだ。そういう意味では、佐山という作家が彼に話をしたという内容にも信憑性がある。もっとも、いまさらこことで番頭がウソをいうのも考えにくいことで、そのウソを考えるにしても、あまりにも時間がなかったはずだ。そういう意味でも話に信憑性はあると言ってもいいだろう。
「ところで番頭さん。この宿には結構何人かの常連さんがおられるということですね? ということは、この宿は佐山先生のような作家の人であったり、湯治客のような常連さんでもっているような宿と言ってもいいでしょうか?」
「基本的にはそうですね。でも、時々、旅行ガイドのコラムなどでうちの宿を知ってこられるお客様もおいでです。今日も一組、コラムを見たということで来られている初めてのお客様もいますからね」
と、通称」柏木夫妻のことを番頭は話した。
「先ほど、ちょっと耳に挟んだ話としては、昨日までは、結構たくさんのお客様が逗留だったと伺いましたが、それは団体の湯治客だったんですか?」
「ええ、老人会の湯治だったそうで、三日ほどのご滞在でした。他ではそれほどでもないのでしょうが、さすがにうちのような秘境の宿に、十人近いお客様だとさすがに忙しかったですね。今日あたりから、少し落ち着いたところです」
「佐山先生のような芸術家の方が、最近もお泊りになっていますか?」
と刑事が聞くと、
「ええ、昨日までは、坂東あいりさんという女流恋愛小説家の先生が来られていましたよ」
「その方も常連さんなんですか?」
「常連といえば常連ですが、さすがに佐山先生ほど頻繁に来られることはありませんね。坂東先生の場合は、ここ以外にも他にいくつか、作家活動をするための場所を持っているなどとおっしゃっていたのを覚えています」
と番頭は語った。
その話を訊いて、ドキッとしたのは他ならぬ山内だった。
――昨夜、一緒に露天風呂に入ったのではなかったか?
という思いであったが、混乱する頭の中で考えたのは二つだった。
一つは、
「昨日の彼女は、確かに鳳麗子ではあったが、鳳麗子が、作家である坂東あいりという人の正体ではなかった」
ということである。
ただ、それであれば、麗子がどうしてこの温泉に入りにきたのかということが理解できないが、逆に何か山内と話をしなければいけない理由があったのか、それとも、聞きたいことがあったのかのどちらかであろう。
もう一つ考えられることとしては、これも、山内に作家として何かを確認したいと思ったからではないかと思えた。どちらにしても、山内と何かを話したいと思ったことに違いはないと感じ、昨夜の露天風呂の中での話を思い出していた。結構長く入っていたと思うので、些細なことを口にしたかも知れないので、そのことも思い出してみた。
――そういえば、あの話もしたっけ――
と、山内が思い出した話として、こんなことを話していた。
「山内さんは、確か今もあまり食事がいけないんですか?」
と言われた。
作品名:奴隷とプライドの捻じれ 作家名:森本晃次