奴隷とプライドの捻じれ
女将さんがいないということは、普通に考えると二つが考えられた。そのどちらも事件に大いに関係していることであるだけに、駐在がサッと緊張したのも無理もないことだった。
一つは、ズバリ、女将さんが犯人だという説だ。
人を殺しておいて、行方をくらませるというのは、よくあることだが、そうなると、問題なのは、なぜ女将さんが被害者を殺さなければならないかという動機の面が考えられるであろう。
被害者が男であることと、常連の客であることを考慮すると、被害者が女将さんに邪な思いを抱き、それを行動に移したことで、女将さんと揉みあっているうちに、衝動的に札がしてしまったのではないかと思えることだった。
だが、そうなると、なぜ死体をあの場所にわざわざ持って行ったのか、何かのカモフラージュであったり、偽装工作があるとすれば、何を意味しているのであろうか? まだ何も分かっていない状況なので、何とも言えないが、偽装工作をした上で、行方をくらませるというのは、何か違和感を感じないわけにもいかないことで、さらにもう一つの説が考えられた。
そのもう一つというのは、女将がこの犯罪に巻き込まれてしまったというのが考えられるだろう。そして一番有力な説とすれば、
「犯行現場を目撃してしまった」
ということである。
それは、偶然目撃してしまったのか、それとも、犯人が犯行を犯そうとした時、そこに女将がいたので、仕方なく女将を巻き添えにしてしまったという考えだ。そうなると、犯行がいつ行われたかというよりも、犯人はその場面でしか犯行に及ぶことができなかったということを示しているとも考えられるであろう。
そうなると、女将はすでにこの世の人ではない可能性が出てくるのだ。
そうなるともう一つの疑問が湧いてくる。
「なぜ犯人は、被害者のうちの一人である佐山先生だけを滝に晒しておいて、女将の死体を隠す必要があるのか?」
ということだった。
ただ、その疑問はすぐに解消された。
「女将を行方不明者にすることで、犯人を女将だということにして、すべての責任を女将に擦り付ける」
というものだ。
そもそも、女将が行方不明になった理由の二つのうちの一つは、
「女将が犯人だ」
という説ではないか。
そう思うと、女将が犯人でないならば、犯人だと思わせるように犯人の策略だと言えなくもない。
今の状況では何とも言えないが、そのうちにやってくる警察署の刑事や鑑識の捜査によって、ある程度のことは明るみに出るであろうとは思えたのだった。
それに一つ気になったのは、さっき発見されたブローチだった。
以前からここにあったとは思えないのは、もっと以前からあったとすれば、この場所の特徴から言って、時間が経ては経つほど、ブローチは発見されにくいように、地中に埋まっていくのではないかと思えたからだ。
少なくとも、ここ二、三日の間に落とされたものであることは明白であり、その間、旅行客は多かったということだが、帰って行った客から、後日問い合わせがあったということもなかった。
やはり、過去の宿泊客のものでないことは、ほぼ間違いないと思えたのだ。
駐在は頭の中でいろいろな推理を巡らせている間。時間は思ったよりも経っていて。気が付けば、どこからか、パトカーのサイレンの音が響いてきていて、どこから聞こえてくるのか分からないという状況にあったことで、それがまるで錯覚であるかのごとく感じれたことで、誰も、何もいう人はいなかった。
逆にサイレンの音が鳴りやんだのが、すぐそばだったこともあり、
「あ、警察が来た」
と、誰かが言ったことで、皆やっと我に返ったかのようだった。
県警からは、山田刑事と、富田刑事の二人がやってきた。さっそく駐在が二人の元にやってきた。駐在が敬礼すると、二人の刑事も敬礼し、
「佐々木さん、大変な事件だと聞いたけど?」
と、山田刑事が訊ねると、
「ええ、そうなんです、こちらの宿に宿泊されていたお客様の一人が、この奥の滝で殺害されて発見されました。さらに、原罪分かっていることは、この宿の女将さんが行方不明になっているということです」
と佐々木巡査が報告すると、
「早速、鑑識に入ってもらおう」
と言って、鑑識が写真を撮りながら、死体を現場から離し、陸地で検屍が始まった。
「死因は、絞殺。ロープのようなもので首を絞められていますね。死亡推定時刻。これが少し怪しいんです」
と答えた。
「どういうことですか?」
と山田刑事が訊ねると、
「これは、犯人が意図してのことなのかが問題なのかも知れませんが、滝の一番強い部分に死体を放置し、水が当たる状態にしていたので、かなり身体が表から見ているよりも皮膚の内部や、内臓は傷んでいるようです。さらに、水によるかなりの冷却がありますから、たぶんですが、死亡推定時刻は凍らされていたのと似たような状態、つまり実際よりもかなり前の可能性はあります。ただ、身体全体の傷み具合と比較することは今までにはありませんでしたから、幅はかなり広がるかも知れません。今現在としていえることは、夕べの夜半の九時前後から、朝の六時くらいまでの間の、九時間ちかくにはなろうかと思います」
と、鑑識は話した。
「九時間ということは、今のところ、死亡推定時刻はほぼ不明と言ってもいいくらいですね?」
「ええ、申し訳ありませんが、今の時点では判別は難しいです。あとは、実際の内臓の状態や、胃の内容物の消化状態など、解剖してみないと分からないことばかりだということですね」
と鑑識に言われて、少し落胆した二人の刑事だが、
「ということは、逆にいえば、あの場所に死体を置いたというのは、犯人の見立て犯罪というよりも、犯行時刻を少しでもごまかそうとする計算ずくのことだったのではないかとも言えるわけなので、そのあたりから捜査もできるかも知れないですね」
と山田刑事は言った。
それに関しては、佐々木巡査の方でも、怪しいと感じていた。なぜあの場所に死体をわざわざ晒しているのか、当然何かの理由があると思って不思議はないだろう。ただ、それも警察の鑑識の見解を訊いた今だから、
「怪しい」
と思ったのかも知れない。
これは、ある意味暗示にかかっているという意味でもあり、この事件の犯人は、事件が解決してから分かったこととして、絶えずこのように、皆に暗示を与えるかのような細工を用いていた気がする。
ただ、この時は誰もそんな犯人の策略が分かるはずもなく、一つ一つ見つかる事実を、積み木を組み立てるように、重ね合わせていくしかなかったのである。
鑑識があと気になったのは、
「山田刑事。この仏さんですが、どうも身体の至るところにミミズ腫れのような傷跡がいくつも残っているんですよ。最初は、何か分かりませんでしたが、どうやら、折檻の傷のようにも見えますね」
という話を訊いて、
「じゃあ、どこかに監禁されていた時に、折檻を受けて、何かを白状させられるというようなそんな感じだったんでしょうか?」」
というと、
作品名:奴隷とプライドの捻じれ 作家名:森本晃次