奴隷とプライドの捻じれ
「ええ、最初はあなたのことを見限ったつもりだったの。でも、あなたの存在は私の中で消えることはなかった。私の夢の中にあなたは出てきて、夢の中の主人公である私の前でひざまずくのよ。そして、世界で一番美しい私に対して、世界で一番美しい私に従うことができて嬉しいと言ってくれたの。私は、そのシーンが今まで自分の中で追い求めていた一番の美であると気付いたの。そう、夢の中でも私に美を見せてくれるのが、あなたという存在だと思ったの。何も疑いことを知らず。純粋に相手に尽くす。それが奴隷であり、人格のない存在なのよ。なまじ人格など持つから、美しさを損なってしまう。その人に従順になることがその人にとっても一番の幸せなら、それでいいんじゃないかって思ったの。その幸せがあなたの側から私への想い、そして私もあなたをただ、美しいとして愛でること、それが私の側からあなたへの想いだと思うこと。それ自体は最大の美だと思ったのよ」
と麗子はそう言った。
「なるほど、それがあなたの究極の耽美主義というわけですね?」
「ええ、でも、現実はそんなわけにはいかない。一人の人間の人格を否定するということは許されないことだからね。だから、夢を見るの、そして妄想するの。そこであなたは、私の従順で実直な奴隷になるの。それを私は違う形で美にすることを考えた。それが小説の世界だったの」
と、麗子は言った。
「麗子さんは、小説家になられたんですか?」
「ええ、これでも、最近、少し注目されてきたのよ。坂東あいりって作家、ご存じありませんか?」
と言われて、ハッとした。
「読んだことありますよ。というか、愛読書にしています。あなたの作品だったんですね?」
「ええ、モデルはあなたと私。フィクションなんだけど、私の中の妄想を忠実に描いた作品。あなたに読んでもらいたいと思っていたけど、すでに読んでいてくれたとは、光栄だわ」
と麗子がいうと、
「あなたの作品は、僕にとって、バイブルのような気がしていました。読んでいるうちに、次にどういうことが書かれているか、分かる気がするんです。それは内容というよりも、精神的なところでの気持ちの描写ですね。だから、今でも手放せないと思って読んでいます」
と山内は答えた。
「私はいつもあなたのことを考えていた。そして、あなたを奴隷としてしか見ていない自分に自信のようなものを持っているんですよ。あなたはあの小説を読んで、どう感じました? ほとんどの人は私の小説を、『恋愛小説』だと言ってくれるんですよ。だけどね、同じ恋愛小説でも二種類あると思うのね。一つは純愛小説、そしてもう一つは愛欲小説とね。私の小説を恋愛小説として読んでくれている読者の半分は、純愛小説だと言ってくださるんだけど、残りの半分の人は愛欲小説だという評価をしてくださるの。これをあなたはどう思っておられるのかしら? あなたには、私の小説を恋愛小説だと思ってくださる? そして恋愛小説だと思ってくださるのであれば、純愛になるの? それとも愛欲になるの? 私はあなたのご意見を伺いたいわ」
と、麗子は言った。
「僕の感覚としては、確かに恋愛小説なんだけど、愛欲だと思うね。だけど、それ以前に、純愛と愛欲の本当の違いって何なんだろうね?」
と山内が訊ねると、
「これは私の私見なんだけど、純愛というのは、見返りを求めないであったり、肉体関係を伴わない、そんな愛のカタチなんじゃないかと思えるのよ。そしてその逆で、見返り、すなわち身体を求めることで、そこに生まれるものが愛であり、精神的なことととして、欲が渦巻くような内容の小説が愛欲だと思うのね。だから、純愛というのも、大きなジャンルとして恋愛があり、その中に愛欲があった、その中の一部に純愛があると思うの。少し矛盾しているような気がするんだけどね」
と麗子が答えたが、
「矛盾ではないさ。見返りを求めないというのは、あくまでも建前、気持ちはそうでも、結果として愛し合うようになれば、そこには、愛情表現としての欲望が生まれてくる。欲望と愛情が一緒に存在してもいいんじゃないかというのが僕の考えさ。だから、奴隷を前提とした主従関係だって。広い意味では愛情表現の変格的な形なのではないかと僕は思っているくらいなんだ。僕に奴隷という意識があって、それをまわりが見て、プライドも何もないのかと非難する連中もいるけど、そうじゃないんだ。愛情表現をいかに自分で解釈するか、それが大切なだけなんじゃないかって感じているんだよ」
と、彼は答えた。
「恋愛小説というと、どうしても小説の世界では、ストーリーのパターンが決まっているというイメージが強いの、いわゆるロマン小説と呼ばれるものがそうなんだけど、それが純愛小説に繋がっていくのよ。愛欲というと、不倫だったり、なさぬ愛だったりすることが多いんだけど、それは不倫という言葉に凝縮されてしまうのよね。今の世の中で不倫というと、どうしても、恋愛する二人のうちのどちらか、あるいはどちらにも配偶者がいるという、狭い意味での不倫というものを刺すという風潮じゃないですか。でも、本当の不倫というのは、倫理に背いたという意味で、使われるべきなのに、そのあたりもよく分からないですよね」
「そうだね。でも、倫理に背く愛情って、どこまでが倫理に背いたと言えるんだろうか? 近親相姦であったり、男色、衆道、レズビアンなどと言った、同性愛なども不倫に含まれるんだろうか? それを思うと、不倫という言葉に対しての違和感がハンパではないと思うんだけど、どうなんだろうね?」
と山内がいうと、
「私は、今言われた不倫を、すべて許せるわけではないけど、仕方のない部分もあると思うの。それはまるで、必要悪のようなものではないかとも感じるんだけど、どうなんだろう? そういう愛情の形があるからこそ、純愛が成立で来ているんじゃないかという考えはおかしいかしら?」
「僕は少し違うかな? 今の君の考えだと、不倫という部分があるから、純愛というものが正当化されるものだと言っているようなものだと思うんだよ。そうなってしまうと、純愛というものは、すべてがそれ以外の不倫の反面教師のような形で正当化されているように思えてくるんだ。それって。寂しさしか残らないんじゃないかな?」
「じゃあ、奴隷というのがどうなの? 私は奴隷扱いされている人がいるから、他の人が平等でいられる理由だとは思いたくはない。そうすると、奴隷を否定することになって、それはひいてあなたの存在を否定することになると思うのよ」
と麗子は言った。
「じゃあ、この僕の存在というのは、奴隷という前提のもとに成り立っているというのかい? 他の人には理解できない感覚があるということ?」
「あなたが、自分で自分の存在を消すことができる人なの。私が昔あなたを追いかけた時、あなたはその存在感を消したわ。だから私はあなたに気づかずに通り越してしまった。あなたは、さぞやあの時、私に置き去りにされた気がしたでしょうね。私はそのことを小説を書き始めて気付いたの。でも、あなたは無意識だったはずなので、たぶん分かっていないと思うんだけど、いかがなのかしらね」
と、麗子は言った。
作品名:奴隷とプライドの捻じれ 作家名:森本晃次