謎を呼ぶエレベーター
「免許証から判明しました。名前は遠藤玲子という方で、年齢は二十七歳。住まいは市内の寿町ということになっていますね」
と報告した。
それを聞いた刑事よりも、先に、
「えっ?」
という声を挙げたのは、さくちゃんだった。
それを聞いて、事情聴取に望んでいた刑事が、
「ん? 君にはその女性に心当たりがあるのかね?」
と訊かれて、
「え、ええ、たぶん、僕の義理の姉に当たる人です」
というので、
「義理の姉ということは、この被害者の女性は既婚者ということになるのかな?」
と訊かれたさくちゃんは、
「ええ、僕の兄の奥さんです」
と答えたさくちゃんに、若い刑事が、
「君は、その死体を見ていて、すぐに分からなかったのかい?」
「ええ、何しろ向こうを向いていましたし、何と言ってもあんな苦悶に歪んだような表情なんて見たことありませんでしたからね。当然、こんなところにまさか姉がいるなんて思いもしないので、想定もしていないですよ。最初から知り合いだなんて思わずに見ていますからね」
と、さくちゃんは答えた。
――それは、まあ、もっともだろうな――
と刑事は思ったが、
「それにしても、ただの偶然なのかね?」
と、さすがに刑事は疑ってなんぼ、当然、そう来るというのも当たり前のことだった。
それでも、謂れのないことで疑われるのは気分のいいものではない。
「もちろん、ただの偶然です」
と言い切ったが、それよりも、さっきの自分の言葉の中で、
「姉がまさかこんなところにいるとは思いもしない」
と答えたが、姉の方としても、まさか、自分の弟がここにいるとは思わなかったと、生きていればいうに違いない。
どっちもどっちということで、さっきの言葉は少し反省する必要のある言葉だと感じていた。
「それに姉とは姉が結婚してから会っていませんから、最近の姉のことは知らないと言ってもいいくらいなので、元々あんな派手な服を着る人ではなかっただけに僕もビックリしています」
という話を訊いて、刑事二人と、モコちゃんが初めて目を合わせるかのようで、誰も何も言わなかった。
三人が同時に感じたのは、被害者が来ていた服を、義弟が、
「派手な洋服」
と表現したことだった。
どちらかというと、大人っぽくて、
「夜のオンナ」
というのを見負わせる感じだったので、黒系の暗い色が多かったこともあって、お世辞にも派手な洋服という表現にはならないだろうという思いが、さくちゃん以外のその場の人間の間で統一されていたということである。
「お姉さんとは、ずっと会っていなかったということは、ほとんど会ったことがなかったということでしょうか?」
と聞くと、
「いいえ、実はお姉さんは僕の大学の先輩でもあるんです。同じサークルだったんですが、そもそも兄にお姉さんを紹介したのが、この僕だったわけで……」
と説明した。
「サークルというと?」
「文芸サークルです」
と答えたが、さくちゃんを見ているとお似合いのような気もするし、被害者の洋服のセンスから、どこか芸術的なものを感じることで、文芸と言われて、
「なるほど」
と感じた二人の刑事だった。
ややこしい関係
「被害者はどんな感じの方だったんですか?」
と訊かれたさくちゃんは、
「あの頃はメガネをかけていて、清楚さは感じましたけど、成績優秀な女の子というイメージで、詩や短歌などをよく詠んでいましたね。俳句や長文関係はしていませんでしたけどね」
と答えた。
「あなたは、同じような分野だったんですか?」
と訊かれて、
「いいえ、僕は長文でした、小説を書いたり、シナリオを描きたいと思ったりですね。だから、あまりサークル内では一緒になることはなかったんですけど、一度飲み会で話しかけられてですね。その時は、同じ文芸でも、別のジャンルを、どのような心境で書いているかということを知りたいということで、話をしました。結構言いたいことがお互いにあったようで、飲み会の時間だけでは足らず、別の日に、学校が終わって、喫茶店などで文芸談義をしたりしたものです。二人とも話し始めると止まらなくなる性格で、まわりの人が喧嘩しているんじゃないかとビックリするくらいでした」
と、さくちゃんは答えた。
「文芸サークルなので、機関誌や同人誌関係の雑誌を発行していたりしたんじゃないですか?」
「ええ、あの頃はすでに紙媒体の出版物は限られていましたけど、私たちのサークルはあくまでも印刷物にこだわりました。部員皆で積み立てる感じで、年に何度か機関誌を発行していましたね。正直、サークルの醍醐味はそこにあったと言ってもいいと私は思っています」
と、いうさくちゃんであった。
「なるほど、分かりました。どころでもう一度申し訳ありませんが、被害者の確認をもう一度お願いできますか?」
と言われて、
「はい」
とさくちゃんは答えたが、正直、最近の彼女のことはほとんど知らない。正直、彼女が大学を卒業してからもう御免も経っている。その頃は先輩というよりも、
「兄貴の彼女」
という意味合いが強かったので、敢えて会うことはしなかった。
結婚してからも同じで、その気持ちはさらに深かったような気がする。
――あれ?
その思いを感じた時、今までなら感じることのなかった別の思いを感じたさくちゃんだった。
――僕は、彼女に玲子さんに対して、先輩としてというよりも、もっと違った感情があったということなのだろうか? もしそうだとすれば、兄に紹介してしまったことを後悔していたことになるが、それと同じように、その覆いを求めたくないという思いも一緒にあったのではないか――
と感じていた。
―ー玲子さんを好きだったのだったら、兄に紹介したのは、完全にミイラ取りがミイラじゃないか――
と感じ、その思いが苦虫を噛み潰したような、悔しい顔になったのだろう。それを見て、モコちゃんは、どうやらさくちゃんの気持ちを悟ったのか、実に気の毒そうな表情をしたのだ。
それは、同情以外の何者でもなく、
「それ以上でもそれ以下でもない」
と言いたかったに違いない。
そんなモコちゃんは、自分で自分をいじらしく感じた。
さっきまであんなに童貞喪失を、
「かわいい坊や」
とでも呼んでいた相手だったのに、まったく様相が変わってしまったことを感じていたのだ。
二人の様子を見ていた刑事が、
「ああ、今日のところはこのあたりで帰ってもらって結構です。もしまた何かありましたらご連絡差し上げますが、大丈夫でしょうか?」
というので、
「ええ、構いません」
とモコちゃんは答えたが、さくちゃんの方は、少しモジモジしていたので、
「ああ、君のこともなるべく、警察の方から必要以上のことを話すことはないので、今の状態であれば、君のことを家族の人に話すことはないんで安心したまえ」
とさくちゃんには言った。
それは当然、
「君がこの事件に何も関係がないという場合に限ってのことだが」
という言葉が大前提であることはいうまでもないだろう。
作品名:謎を呼ぶエレベーター 作家名:森本晃次