謎を呼ぶエレベーター
「じゃあ、あの男が、結婚前の所業までご存じではないでしょう?」
と綾子がいうので、
「ええ、そこまではまだ捜査はしていませんが、そんな前からいろいろあるんですか?」
と辰巳刑事が聞くと、
「そりゃあ、今あれだけの所業が分かっているんだから、他にもいっぱい出てくる可能性だって出てきますよね。しかも、過去に捕まったという事実がないのに、今そんな所業があるということは、当然、過去からエスカレートしているといってもいいんじゃないかしら?」
という綾子の言葉を聞いて、
「確かに、言われてみればそうですよね。ひどいことを何度も平気で繰り返す男は、およそ反省なんて言葉とは無縁でしょうからね。そうなると、どこまでさかのぼっていいのかというのも困りものですよね」
と、自分で今言った言葉にハッとした。
――帰って、もう一度、防犯カメラを見直そう――
と思ったのだが、それは後の話で、とりあえず、綾子の話を訊いてみることにした。
その話をいかに偏見を入れずに聞くことができるかというのも自分の課題だと思っていたが、そもそも、こんなクズのような人間に、少々の偏見も仕方がないとも思えたのだった。
「それでですね。あの男が大学時代のことなので、もう十年以上も前になるんでしょうか? その時、付き合っていた女性がいたらしいんですが、その女性が、一度浮気をしたらしいんです。たった一度だけで、バレるはずのないことだったんだけど、それがバレてしまった、理由は浮気男と、付き合っていた正治との間に協議があって、浮気の事実を作ってくれたら、謝礼を出すというものだった。正治としては、それをネタにして、彼女を自分のSM趣味の奴隷として扱いたかったんでしょうね。それには既成事実を作って、追い詰めればいいとでも思ったんでしょう。そうすれば、相手は自分の言いなりになるだろうし、やつの偏見の中に、『女は皆マゾヒストで、苛めれば、奴隷のように従う』という意識があったんです。そのために、彼女は男の異常性癖の犠牲になったんです。二人の間でどんなことが行われたのか、ハッキリとはしません。彼女はその後で記憶喪失になり、自分がどうしてこうなったのかをいえなかったようなんです。でも、あの男がバカなので、それをまわりに自慢たらしく話したそうです。さすがに片棒を担がされた浮気相手になった男性は怖くなって、彼から離れたそうなんですが、まわりの人はあまりにもひどい話なので、誰も架空の話だと思ってうて合わないほどの話だったようです。私は、その話を彼女の奥さんの透子さんから聞きました。あの男は澄子さんに対しても夫婦でありながら。SMの関係を続けていたので、脅迫のつもりで過去の話をしたんでしょうね。澄子さんはどちらかというと、マゾの気があったので、それほど苦しむことはなかったようですが、さすがに最近では溜まったものではなかったようです。それで、私に相談してきたというようなわけですね」
という、これまた、ひどい話を訊かされた。
「それは酷いですね。それで、その女性はどうなったんですか?」
と訊かれた綾子は、
「そこまでは澄子も知らないそうなんです、何しろ、あの男が床の言葉として言った言葉ですから、戯言かも知れませんが、あの男であれば、それくらいの過去があってもまったく不思議がないですよね」
というのだった。
「確かにそうですね。そのあたりをこちらでももう一度洗ってみましょう。まさか被害者の不倫相手に、そんな過去があったなんて、思いもしなかったですね。じゃあ、この不倫の関係の二人にもSMのような異常性癖な関係があったと見ていいんだろうか?」
と訊かれて、
「ええ、あったと思います。さすがにそこまでは私の口からは訊けなかったですねどね。でも、澄子さんの口から旦那に対しての暴露になるような話が訊けたというのは、少なくとも憎んでいることには違いはないと思います。でも……」
と言って、綾子は少し黙った。
「でも?」
と促されて、綾子は意を決して言葉を続けた。
「身体と精神とでは一致しない場合もありますからね。心では憎んでいても、身体が反応してしまうこともあるでしょう。特に男の方はそういうものだと思っている。しかも、長年の異常性癖を続けていると、相手のオンナがSMに対してどういう反応を示すかなど分かるんでしょうね。だから、澄子と結婚したのかも知れない」
「ということは、澄子さんは、あの男にとって、妻になるにふさわしい女性だったということでしょうか? 澄子さんの方では悩んでいるのかも知れませんが」
「そうでしょうね。逃げることのできないところまで、自分を追い詰め。男からは身体を開発されてしまったという、哀れな女ということかも知れませんね」
と、綾子はうな垂れるように言った。
さらに続ける。
「私は確かにデリヘル嬢なんて仕事をしているけど、別に嫌でやってるわけじゃない。男の人が喜んでくれれば嬉しいし、今までの自分を変えるにはいい機会だと思ったのも事実。しかもお金までね。だけど。あの男のように、自分の満足のためだけに、たくさんの人を不幸にしたりはしない。だから、あんな男が存在するのが怖いんですよ。こういう仕事をしていると、いつあんな男に引っかかるか分かったものじゃない。本当は警察も風営法で営業に市民権がある風俗業なんだから、他の人たちと同じように守ってほしいわよね。せめて、他の人たちと同じくらいまでにはね」
と、強調していった。
それは、普段から警察にいい思いがないからだろう。
そういえば、この間も少し話をしていたのを思い出した。
「警察というのは、本当に何かがないと動いてくれないもんね。少々の被害くらいだったら、親身になってくれないもの。本当に殺されたり、障害や窃盗などのような刑事罰に値することでもなければね。少々の脅迫や、ストーカー行為くらいだったら、まず動かないから、ほとんどの場合は手遅れなのよ」
といって、くだをまいていたっけ。
それを思い出した秋月は、
――ひょっとして、綾子がこのタイミングで警察にこの話をしたのは、最初から計画されていたことだったりして?
つまりは、秋月が単独で警察に事情聴取されることを予知していて、それを狙ったというべきか、
今日、警察が訪ねてくることはメールで知らせていた。だから、綾子は知っていたのである。
前に遭った時、
「お互いに警察から何かを聴かれることがあったら、お知らせするようにしましょうね」
といって、申し合わせていたのだ。
――それも、最初からの計算ずくだったとすると、綾子は一体何を考えているというのだろう?
そう思うと、綾子が何を考えているのかまったく分からずに、怖さだけが残る。
――そうなると、最初の発見もただの偶然で済ませることができるのか?
と考えた。
大団円
綾子からの話も衝撃だったが、辰巳刑事は、署に戻って確認したいことがあった。
「俺はなんて迂闊だったんだ。せっかく防犯カメラの確認までしたのに」
と辰巳刑事は悔やんでいた。
作品名:謎を呼ぶエレベーター 作家名:森本晃次