謎を呼ぶエレベーター
自分相手にだけであれば、決してそんな思いを抱くことはなかったが、玲子が彼を慕って、旦那の不倫相手の名前まで暴露してくれたのを聞くと、
「そこには、何か彼女の意図的なものがあるのではないか?」
という思いと、
「秋月が玲子の気持ちを引き付けたからだ」
という思いがあるのだが、どちらが強いのかと言われれば、後者に違いないだろう。
だが、前者を否定することはできない。むしろ、前者だという考えが頭から離れないのは、殺人事件という重たい事実があるからだ。その事実があるから、殺人事件のような理不尽なことが起こった理由を求めるのは当然のことであるし、そこには必ず強い何かの意志が働いているはずなのだ。
それが動機ということになるのだろうが、動機を巡るその中で、細かい意図が微妙に絡み合って、結び付いているのを気付かずにいてしまうと、それが複雑に絡み合って、本当は単純なことだったはずなのに、その単純さを見抜くことができず、本質に迫ることができないというのが、事件を難しくし、解決をいたずらに遅らせてしまうということになるのだろうと、綾子は感じたのだった。
この秋月という男が、玲子からその話を訊かされて、一体どんな気分になったのだろう。自分の精神を抑えるどころか、身体の方が反応してしまったことで、今度は身体を抑えることができなくなって、綾子を呼ぶことになったのかも知れない。だが、初めてのわりには、綾夫が現れたのに、必要以上のドキドキを感じた。それはこれから童貞を失うということに対してのドキドキではなく、自分が何かから逃れられるかどうかの瀬戸際のように感じていることで、綾子も彼が初めてだということは看破してはいたが、
「何か、普段の初めてという人とは違っているような気がするわ」
と、漠然として感じていたが、その理由が分からずに、綾子自身も戸惑ってしまったことも事実だった。
身体と、身体から直接に感じる神経は、まさに初めての人間であったが、それ以外は初めての人間とは思えないようなものがあった。
一つには何かの覚悟があった。
初めての行為に対しての覚悟というものでもなく、それは身体から直接感じる精神に属するもので、そんなことは最初から分かっていることであった。
綾子はその時の秋月の心境を思い出していた。
さっきの秋月の話を訊いて、どこ自虐的なところの強さを感じていたのは、きっと投げやりな気持ちになってしまった自分を苛めているからではないかと思えた。
――やっぱり、この人も、銃なのかも知れない――
と、その時に再認識したが、どうも少し違っているような気がした。
――同じ従であっても、私の従とは違っているわ――
という思うであった。
彼が感じている従が、何に対してのものなのかが分からないのだ。
玲子に対してのものと言えなくもないが、その理由の一つに、この間玲子の死体を発見した時、ビックリしている中で、秋月のホッとした印象が垣間見られたことがあった。
最初は、
――どういうことなのかしら?
と感じたが、ハッキリとした理由が分かるわけでもなかった。
「玲子さんは、僕に不倫をしていることと、その相手の人の名前を言いたかったんだろう?」
と秋月がいうと、
「まさかとは思うけど、玲子さんは自分が殺されることを予知していて、その前に旦那の不倫相手を誰かにいうことで、もし自分が死ぬことになったら、その人が怪しいということを誰かに知っておいてほしかったと思っているのかも知れないわね。それともう一つ考えられることとしては、他に何か旦那に対して恨みのようなものを抱いていたとして、その気持ちをぶつけたかったのかも知れないわね。後者は、かなり考え方としては抽象的なんだけどね」
と綾子は言った。
「前者はあり得るかも知れない。言われてみれば、あの時の玲子さんは、何か思いつめたようなところがあった。確かに今から思い返してみるから、綾子さんが殺されたという目で見ることで少し見え方が歪んでいるのかも知れないけど、元々が殺人事件を遡って考えているのだから、最初から歪んでいたわけなので、この考え方が普通とは違っても、普通ではないもの同士が絡みあって、負に負を掛けると整数になるというのと同じ感覚なんじゃないだろうか?」
と、秋月は自分の意見を述べた。
「ところで、秋月さんは、玲子さんという人にどういう感情を抱いていたの? 好きだったという感覚意外に」
と綾子に訊かれて、
「そういえば、あまり考えたことがなかったような気がする。自分が綾子さんのことを好きだったという感覚すら分からなあったからじゃないかな?」
と秋月が答えたが、綾子は少し考えて。
「それはきっと、あなたが普段玲子さんに感じている思いをなるべく表に出したくないという潜在的な思いが、玲子さんを好きだという自分の想いに近づかせたくないから、好きだという感覚迄も覆ってしまうほどの大きな風呂敷包みを抱えていたのかも知れないわね」
と、言った、
「どういうこと?」
と秋月が聞くと、
「きっとあなたには、玲子さんを慕っているという気持ちがあったと思うのよ、慕うという言葉は漠然としたもので、いろいろな意味があると思うのよね。あなたの場合は、相手に従うという意味での慕っている気持ちが強かったんじゃないかしら?」
と、自分で言いながら、自分も澄子に似たような感情を抱いているということを感じていたのだ。
もちろん、微妙には違っているのだろうが、その思いがあることから、綾子は、秋月の気持ちに近寄りたいと思っている。
ただ、一つ綾子が気になっているのは、
――今ここにいる二人は、二人とも従の関係にある二人である。だから、主の考えていることがどういうものなのか、分からない二人だとも言える。考えが偏ってしまったらどうしよう?
という思いであった。
秋月がどのような従であるのか、綾子なりにいろいろと考えてみたが、どうしても肝心なところが分からずにいる。
「僕にとって、主というのは、やはり玲子さんなんだろうか?」
と自分の主が玲子であるということを玲子が死んだことで認識しながら、それを確認すべき相手である同じ玲子が、もう二度と同じ空間で話すことができない相手だと思うと、自分の中に決して覗くことができない、
「開かずの扉」
が存在してしまったことを悟ったのだ。
綾子が興味を示してくれたことで、自分と一緒にいることが多くなってくれたことが嬉しかった。だがその反面、冷静になると、綾子の行動がいちいち気になってくるのであった。
確かに彼女は小説を好きで書いているというが、それだけのために、好きでもない男に連絡をしてくれるだろうか?
しかも、普通に知り合ったわけではなく、デリヘル嬢と客という、謂れのある仲ではないか、しかも一度だけ相手をしてもらっただけで、たまたまその日、事件に遭遇したというだけの、ただ、それだけの関係。それなのに、積極的に連絡先を交換してくれたり、さらにはこうやって自分の方から、
「逢いたい」
と言って、事件の話を訊き出そうとするのは、彼女にも何かあるのかも知れない。
作品名:謎を呼ぶエレベーター 作家名:森本晃次