謎を呼ぶエレベーター
「いえ、これと言ってはありませんでした。結婚してからまだ二年くらいですので、そろそろ新婚気分が抜けてきた感じで、二人の間で、そろそろ子供もほしいねなんて話も出ていましたから、おかしな雰囲気というのは私は感じませんでした」
と隆二は言った。
「ところで、死体が発見された場所がラブホテルというのは、少し微妙な感じがするんですが、お二人で今までにラブホテルを利用されたことはありましたか?」
と言われて、
「ええ、独身時代には何度か利用していますよ、たまには気分を変えたいという意見がどちらからともなくあり、お互いにそれについて抗うことはありませんでした。相手も同じ気持ちだったと思います。少なくとも彼女がそれを言い出した時は、私も同意見でしたね」
と隆二は答えた。
「よく利用されるところは決まっていたんですか?
と訊かれて、
「決まった場所というのはありません。いつも同じところで行くわけではなく、衝動的に行きたくなっていくことが多いので、わざわざそこまで行くということはありませんでした。でも、大体の地域の中で、このあたりだったら、どのホテルというのは、ある程度決まっていました。このあたりだったら、確かにここのホテルを使うことは多かったと思います」
「じゃあ、奥さんはこのホテルについては熟知していたということでしょうか?」
「ええ、そういうことだと思います」
この会話を捜査本部で報告すると、
「旦那は、奥さんが不倫をしていたかも知れないという思いはあったのかな?」
と、清水警部補がそう訊ねると、
「本人は否定していましたが、私の見た限りでは、完全には知らないまでも、疑いの目では見ていたような気がします」
と辰巳刑事が聞くと、
「じゃあ、旦那かあるいは旦那に頼まれたか何かの他の人が、不倫相手と彼女を尾行していたということはありえないわけではないとも言えるのかな?」
「私はそう思います」
「その根拠は?」
と清水警部補が聞くと、
「あのホテルに、彼女の義弟がいたからです。確かにラブホテルというところ、その時のインスピレーションで入るのだから、最初から分かっていたわけではないと思うんです。そういう意味で、殺された彼女が何かを思って義弟のそばにいたとは思えないんです。それよりも彼女が殺されたことで、その犯罪の矛先を逸らすのであれば、表に出ているのが義弟ということで、彼を表舞台に引きづり出せばいい。少なくとも偶然が重なったように見えるのであれば、それは必然の可能性もあるわけですよね? その必然が被害者を飛び越したものであったと考えられるんです。被害者の向こう側に義弟を見ていたのか、それとも彼女を見ていて、その向こうにいる弟を見たのかと考えれば、後者も十分にありえる気がするんですよ。つまり、想像力を膨らませようとすると、いくらでも発想することができる。それがこの事件の特徴ではないかと思うんです」
という、分かりにくい話を辰巳刑事が言った。
「じゃあ、君は、この事件が表に出ているだけでは測ることのできない何かを秘めているとでも言いたいのかな?」
「ええ、そういうことになりますね。しかも、そのことを、例の義弟は気付いているのではないかと思うんです。やつは見た目はさえない、自分の意見を持っていないやつに見えますが、それだけに、何かに気付いていて。それを自覚できない性格にも見えるんです。だから私は、この事件のカギを握っているのは、彼だはないかとも思っているくらいなんですよ」
と辰巳刑事は言った。
「旦那と、第一発見者の秋月氏とは実の兄弟だというではないか。ひょっとすると、あの弟は姉のことを意識しているということなのか?」
「それはあると思います。それがすべての発端だとは言いませんが、過去において何かあったのだとすれば、秋月氏と殺された遠藤玲子さんの因縁に関係しているかも知れないと思うんですよ」
と辰巳刑事はいう。
清水警部補は、普段から事件における、
「偶然」
というものをあまり信用していなかった。
どちらかというと、そのお偶然は必然ではないかと思うのだ。
偶然には偶然が重なることで、それが必然となる。その考えが清水警部補にはあり、偶然と見える裏に潜んでいるもう一つの偶然を探そうとするのが、清水警部補のやり方だった。
辰巳刑事はそんな清水警部補の考え方を最初から知っていたわけではない。だが、辰巳刑事も捜査の基本の一つとして、清水警部補と同じ考えを持っていた。今では辰巳刑事も清水警部補の考え方を分かっているつもりなのであるが、最初はあまりにも似ているために、
「まさか、同じ考えが根底にあるなんて、信じられない」
という思いが強く、信じられないという考え方が支配していたのだ。
「それにしても、どうして半人は四階にこだわったんですかね? 弟が四階にいるからという意識から、四階にしたんでしょうか?」
と山崎刑事が言ったが、
「それだけではないような気がする。だって、他の四階の客が出てきてからでは、とてもエレベーターの前の仕掛けを利用することは難しいんじゃないですか?」
という辰巳刑事の言葉を補足でもするかのように、
「壁にもたれかかるようなあの姿も、おかしいんだよな。四階に留め置くために、死体を扉が閉まらないように使ったのだとすれば、あの短い時間であそこまで起こせるとは考えにくいし、ましてや、何かを置いていたとすれば、それをどこかにやるには、もっと時間が掛かる気がする。だから、死体が何らかの役目を果たしたことは間違いないんだ。そのあたりから考えてみる必要があるんじゃないかな?」
と、清水警部補がいうと、捜査会議は誰も発言する者がいなくなった。
「あの恰好に何か意味があるのかな?」
と、山崎刑事が呟いたが、すぐに何か返事のできる人はいなかった。
この言葉に意味があるようで、それは誰にも分からない。すぐには分からなくても分かる日がやってくるのは間違いないが、それが、本当に事件の核心部分なのか、その時点では何も分からない。
「旦那の様子はどうなんだい?」
と訊かれて、
「憔悴しきっている感じはしましたが、明らかに何かの動揺は感じました。最初は旦那だから仕方がないと思っていましたが怪しいと思えばいくらでも怪しく感じられるのがこの事件の特徴でもあります」
と、山崎刑事は答えた。
このあたりに関しての話は、秋月の方でも感じていたことであり、何しろ実兄なのだから当たり前のことといえば、それまでだが、秋月が感じているのは、
「あの兄は、よく分からないところが分かるということだ」
というところに行きつくことであった。
弟としても、他人の目から見ても同じに見えるというところが、兄の最大の特徴であり、そんな兄が自分の好きだと思っていた女を、
「横取り」
したのだと思っていた。
弟が兄の好きなものを欲しがるということは、親の育て方によっては、よくあることだった。だが、それは兄も弟もお互いにある一定の関係を維持している場合に言えることで、この二人に限っては逆の関係だった。
「兄が弟のほしがっているものを欲している」
という関係は、普通に見ていて気付く人はいないだろう。
作品名:謎を呼ぶエレベーター 作家名:森本晃次