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静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:④岐阜県東濃の旅(明智、岩村)

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 南北街道を南に歩いた先にあった「大正村資料館」は実に素晴らしかった。
 その「銀行蔵」には、今は機能していないようだが手動エレベーターがあり、時代の先駆けを感じた。全ての階には多くの展示物があり、主だったものをざっと読んだだけだったが、当時の生活が偲ばれ、次第に大正時代について興味が湧いてきた。出来れば、丸一日掛けて、全ての展示物をじっくりと読みたくなった。今回は妻と一緒なので、ソロの「キャンピングカーの旅」の時に再訪しよう。
 隣の「大正の館」も見学した。名家の生活が偲ばれる重厚な佇まいだ。そして、私自身が憧れていることもあり、広い土間が特に魅力的だった。最後は、休憩所でストーブにあたりながら、暖かいお茶を頂いた。

 南北街道から少し西に入った所にある「大正時代館」には何故か、隣のスナックに一旦入ってから入館する順序になっていた。先ずはその2階に上がると、幾つかの大正時代の煉瓦造りの建築物の模型が展示されていた。そして大正時代館に入ると、1階は明智の歴史、2階は大正天皇についての展示だった。ここも、ゆっくり回りながら、じっくりと説明書きを読んだ。興味ある展示物が溢れていた。

 日本の歴史で、特に西欧諸国に追い付くために産業振興を強力に進めた時代が大正、それによる独特な文化も盛んになったのも大正、きちっと復習しなければと感じた。
 日本の歴史の教科書は、縄文時代から学び始めるカリキュラムだが、そのため、3学期の終わり頃に近代をバタバタと学ぶ。今の学校教育は、明治以降をしっかりと学ぶ比重が小さいように感じている。歴史を時の流れに沿って学ぶより、現代から時を遡って学ぶ方が正しく深く理解できるのではないかと思う。

 何に浮かれていたのかと思いながら「うかれ横町」を歩いた。
 路地を跨ぐ渡り廊下が見える。このあたりには、大正や昭和から時間が止まっているような佇まいの部分もあり、その中を歩いた。かつては、旅館と芸者置屋をつないだ渡り廊下、当時は街道を行き交う旅人が芸者と酒に浮かれたのだろう。その下を歩きながら耳を澄ませると、旅館に急ぐ芸者の足音が聞こえた気がしたと妻に言うと、「まさか」と笑われた。

 南北街道に戻り、少し引き返しながら、先ほどの「大正路地」からの十字路まで歩き、その反対側の坂道を上ると間もなく「大正村役場」に到着。
 「日本大正村役場」と書かれた門を入ると、役場の玄関には「大正歴」で今日は「大正109年2月2日」と表示されていた。面白い。そこから一気に大正時代の雰囲気になった。
 先ずは休憩室でお茶を飲みなが小休止。その時、Winkの相田翔子さんが2代目村長の司葉子さんの息子さんの嫁であることを知った。ちなみに1代目村長は高峰美枝子さん、現行の3代目は竹下景子さんだ。
 この休憩室を退出してから、順路案内に従って館内を見学した。大正村を作った経緯(※)やイベントに関する情報が掲げられていた。

 ※ 財政力が豊富な明智だったが、昭和50年代の技術革新時代、主産業の林業や製材業の不振により急速に過疎化が進み、国鉄明知線が廃線の対象になった。その中で、明智の町並みを活かす「大正村」構想についての激論が繰り返され、明智が時代に取り残されていくという危機感もあり、「大正村」の建設が決定された。昭和59年、「日本大正村」が立村、旧明智町役場を「日本大正村役場」として看板を掲げ、新しい歴史がスタートした。その後、観光客を迎えるには不十分な箇所もあり、大正路地から大正村役場までの道を石畳に、資料館を設け、町営駐車場の建設など様々な手を打ち続け、現在に至る。【参考情報:「公益財団法人 日本大正村」のネット情報】