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短編集123(過去作品)

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時代回帰



               時代回帰


 自分の先祖がどんな人であるかということを、いろいろ考えたことがある人はどれほどいるだろうか? 年を取ってくるとそんなことを考える。佐久間四郎は現在の年齢が五十歳、最近までは、
「俺もまだまだ現役だ」
 と思っていたが、ふとしたことで年齢を悟ってしまうと、気持ちよりも動いてくれない身体を訝しく感じるものだった。
 先祖のことを気にし始めたのはその頃で、歴史には造詣の深い佐久間にとって、ご先祖様といってもどの時代のご先祖様を思い浮かべるか、深く考えたことはなかった。
 歴史に思いを馳せる時、その時代に生きていた人間の中に、自分の祖先を探してしまうという妄想が起こる程度で、「ついで」に近かったのだ。
 歴史については学生時代よりも、卒業してから本を読んだりするようになった。二十歳代の頃は仕事も忙しかったが、その合間の息抜きに本を読むことにしていた。ミステリーなどを中心に読んでいたが、ふと歴史の雑誌が目に止まり読んでみると、これがまた面白い。
 人物に焦点を当てるわけではなく、時代時代の事件についての話題が多かった。それだけに人物もたくさん出てきて、時系列を追う総論があって、その後にそれぞれの人物について歴史小説家や大学教授が原稿を書いていた。それが佐久間の興味を誘ったのだ。
 学生時代は歴史の授業は嫌いではなかった。歴史が空きはないが、嫌いでもない人が興味を抱くであろう時代に佐久間も若干の興味を抱いていた。大半の人が気になるであろう戦国時代である。
 織田信長から始まって、関が原、大阪の陣くらいまでの百年未満の時代に、「下克上」なる小さなクーデターが日本全国に起こり、それこそ国盗り合戦が繰り広げられる。そして何よりも興味深い人間が数多く登場してくる。
「食うか食われるか」
 判断を誤れば、たちまちにして滅亡の運命が待っている。名門と言われる大名の家名の汚してはならないという思い、まわりの国は絶えず自分の国を狙っているという緊張感、さらにその緊張感が自国の家臣にもいえなくはない。虎視眈々と自分の地位を狙っている者がいるかも知れない。君主としてしっかり部下を叱咤しなければならない時もあるが、あまりやりすぎると反感を持たれてしまう。難しい時代である。
 ただ、学生の頃はそこまで考えたことはない。確かに時代は今と違って緊張していたのは分かるが、歴史を見ていると、戦国時代だけではなく、他の時代も同じことの繰り返しではなかっただろうか。
 卒業するまでは、歴史に興味を持ったとすれば、戦国時代だけだった。だが、卒業してから知り合った友達に歴史に造詣が深いやつがいて、彼と話をしていると、話のほとんどが通じない。戦国時代以外の話をされると、まったくついていけないからだ。
「ああ」
「う、うん」
 終始などという曖昧な返事の繰り返しで、まともな返事ができていない。友達はそれでも話し続けるが、彼にとって、こちらがハッキリ理解できていなくても関係ないようだ。
――とりあえず、ひとしきり話をすれば満足するタイプなんだな――
 それはそれで安心だが、聞いていて理解できないというのは、自分的にはあまり嬉しくない佐久間だった。
 友達は確かに満遍なく歴史に造詣が深いようだが、何度も話を聞いていると、ある程度のパターンがあるようだ。やはり安定した時代よりも激動の時代が好きなようで、そうなってくると、戦国時代がおのずと多くなる。
 それ以外の時代としては、聖徳太子から平安京設立くらいまでの動乱の時代、平安末期から鎌倉初期までのいわゆる「源平争乱」、戦国時代を経て、幕末から維新、さらには、日清戦争から太平洋戦争終結までと、それこそ動乱である。
 佐久間も同じ時代に興味を持った。しかし、聖徳太子から奈良時代までは、どうにも時代が古すぎて、本当に遠い昔か、自分たちの祖先とは違う人種の世界のような気がしてくる。これも不思議な感覚であった。
 歴史的にも研究が続きある程度分かってきているのだろうが、どうしてもドラマになるような時代ではない。それだけに馴染みも薄くなってしまう。
 佐久間は本屋に行くと、最初に歴史のコーナーに行くようにしている。最近では都心部にも大きな本屋ができて、歴史関係の本も豊富に置かれているし、さらには人物についても、いろいろな歴史小説家が書いている。歴史的な事件について読むことが歴史の醍醐味でもあるのだが、三十歳を超えてきた頃から、
――人物の一生について追いかけてみよう――
 という思いが強くなった。
 その頃から本屋でも人物文庫が気になってきた。文庫なので、それほど高くもなく、一人の人物から見た歴史の事件を追いかけるのもいいものだ。
 ただし、一つ気になっているのが、どうしても作者の主観が入っているのではないかと思える点である。同じ人物であっても、違う人が書けばまったく違うイメージの作品が出来上がるかも知れない。
 それでもよかった。なぜなら、
――他の人の作品も読んでみたい――
 と思うようになるからで、それだけ歴史に使える時間が増え、さらには自分の中での歴史認識が広がり、自己満足ではあるが、教養を深めた気分になれるというものだ。
 人物文庫にはさらに利点があった。
 現代の世の中にも通用するものが必ずいくつか含まれている。もちろん、そのまま利用できるものではないが、参考にはなるだろう。状況判断などを要する時に、
「この人が現代に生きていたら、どうするだろう?」
 などと考えるのも楽しいものである。
 しかし、歴史の話題というと、なかなか他でできる人はいない。卒業してすぐに友達になった人とは数年間友達だったが、彼が仕事の関係で転勤になってからは、なかなか話すことも会うこともできなくなってしまった。それ以降に友達になった人で歴史に造詣の深い人はなかなかいなくて、歴史の話は佐久間の中で封印している。
 歴史に興味のない人ばかりが、偶然自分の周りに集まってくるのか、それとも、まわり全体が歴史に興味のない人が多いのか、最初は分からなかった。
――偶然というのは、あまりにもおかしい――
 やはり、歴史に造詣の深い人が本当にいないのだろう。
 特に女性はそうである。
「歴史に興味ある?」
 話を始める前に必ず断わっておかないと、佐久間も歴史の話を始めると、相手の反応を忘れて熱弁を振るうことが多くなる。要するに自分の世界に入ってしまうのだ。それを歴史に興味のない女の子が聞いているのは酷だろう。
 特に相手が熱弁を振るっていれば、
――邪魔してはいけない――
 というしおらしい気持ちになってくれるからだ。
 しかし、それも我慢の限度があるに違いない。我慢できなくなると、女性は間違いなく切れるだろう。
 男性と女性の違いについて話を聞いたことがあるが、
「男はあまり我慢せずに、嫌なことは嫌とやんわりと言える。だけど、女性はなるべく我慢しようとするんだ。それだけに我慢の限界を超えると、それを抑えるのは至難の技だぞ」
「そんなものなんですか?」
作品名:短編集123(過去作品) 作家名:森本晃次