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短編集123(過去作品)

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 前の出場の朝も熟睡できた。あの時も夢を見たように思えたからだ。さすがにステージがどんなものか知らずに、怖いものなしだと自信の固まりになっていて、ステージが終わった後に、その前のことを思い出せないくらいに大きなショックを受けていた。
 敗者復活戦の朝に見た夢、
「以前にも同じ夢を見たような気がするな」
 と、燻った気持ちがあることに気付いた。
 だが、それが最初に出場した朝に見た夢と同じだったことに気付いたのは偶然だったのだ。
 何かのきっかけがなければ偶然などありえないと思っている。偶然とは偶発的に起こるから偶然というのかも知れないが、坂上はそうは思っていない。
 偶然という言葉、あまり好きではない。必ず何か伏線があったはずだと思っているからだ。それは虫の知らせにも感じることで、むしろ、虫の知らせというものに、伏線を感じることで、偶然をありえないと思うようになった。もっとも、何かが起こる前の伏線自体が、虫の知らせというものであるのだろうが。
 夢の内容はすぐに忘れてしまった。夢というのは元来そういうもので、何かのきっかけで思い出すこともあるが、以前に見たのと同じ夢だということで思い出したというのも皮肉なものである。
「きっとクイズかテレビに関係のある夢なんだろうな」
 どちらもクイズ番組に出演する朝に見た夢である。必然性があったと思うのは無理のないことで、その必然性はその日の自分にどんな影響を及ぼすというのだろう。夢ばかりを気にしていては、現実が疎かになってしまう。その日ばかりは疎かにすることはできない。何と言ってもリベンジの場なのであるから当然である。
 緊張のないまま、テレビ局へと向う。その日の天気は実によく、まるで初夏を思わせるものだった。汗ばむような陽気に、夏の服装になり、身軽になったことで、再度緊張がほぐれてきていた。
 待合室も久しぶりに入ると、最初に感じていた広さから比べて、かなり狭く感じられた。待っている人は人数的に変わらない。全体が狭く感じられたのなら、最初に比べて窮屈に感じるはずなのに、実際に座ってみると、それほど窮屈ではない。それよりも緊迫した雰囲気があたりを包んでいるのが気になった。
 待合室の中は、喫煙コーナーと禁煙コーナーとに別れていた。坂上はタバコを吸わないので、禁煙ルームにいる。禁煙ルームからも喫煙ルームからもお互いの姿は見えるが、以前に来た時の方が喫煙ルームの人が多かったように思う。最初に来た時の喫煙ルームは皆タバコを吸いながら談笑していたし、禁煙ルームでも和気藹々が目立っていた。
 それに比べて今回は喫煙ルームに人はほとんどおらず、いる人はだれとも喋ることなく、タバコを吸いながら一生懸命に本を読んで勉強している。
 禁煙ルームでも皆勉強していた。口々に呟いている人もいるが、黙々と勉強している。鬼気迫るものがある。
 皆がライバルなのは分かるが、敗者復活戦ということもあって、
「せっかく与えられたチャンス、二度と逃がしてなるものか」
 という気持ちだろう。
 一度失敗をしているので、次失敗すれば、
「俺は本当に運がないんだ」
 と意気消沈するか、
「これだけ頑張ってもダメなんだ」
 と自信喪失に繋がりかねない。後者の方が重症で、運がないというだけなら、バイオリズムの周期が悪いというだけで片付けることもできる。しかし、自分に実力がないと思えば、そこから奮起して頑張れる人であれば立ち直ることも早いが、そうでなければなかなか立ち直れない。何しろ、事実としてクイズ番組で成功しなかったという烙印を自分自身で押すことになるからだ。
 もっとも、クイズ番組に出てみようというくらいバイタリティに溢れた人であれば、少々のことではへこたれることもないとは思うが、中には自分の実力を試すという目的で出ている人には、自分を信じることを忘れてしまう傾向があるかも知れない。そうなれば、少し怖いであろう。
 坂上にはそれほど深刻な思いはなかった。この敗者復活戦で敗れても悔いはないと思っている。敗者復活戦に残るためには、少なくともスタジオでの第一次予選をパスしなければいけない。それにはちゃんと合格しているからだ。
「気持ちに余裕がない人が、自信喪失になるんだ」
 と思っていた。だが、二十歳頃から少しずつ考えが変わってきていた。
 自信喪失には、それまでまったく兆候がなかった時に陥ることもある。だが、兆候がなかったといっても、虫の知らせのようなものはある。何となく胸騒ぎがしたり、夢見が悪かったりした時に、自信喪失に陥る予感を感じたことがあった。
 予感を感じれば、かなりの確率で自信喪失に陥る。最初こそ、
「気のせいだ」
 と思っていたが、どうもそうではないらしい。
 情緒不安定とはまた少し違うが、気持ちに余裕がなくなるという意味では似たようなものかも知れない。気持ちに余裕がある時は、自分で余裕があることを自分に言い聞かせる。休みの日でも精神的な贅沢をしてみたくなる。
 例えば美術館に行ってみたり、神社にお参りに行ってみたりする。別に絵が好きなわけでもないし、神社でお祓いを受けるわけでもない。ただ、精神的に贅沢な気持ちになるのは、時間の使い方を有意義にしているように思えるからだ。
「芸術に触れると心が洗われるようだ」
 という人もいるがまさしくその通り、絵の価値が分からなくとも見ているだけで時間を忘れさせてくれる。どこを中心に見ればいいのかなどの見方の作法も知らないのに、一生懸命に見ていると、絵の中に入り込んでしまいそうになるから不思議だった。
 しかし、絵を見ていて、
「俺は一体何をしているんだろう?」
 と急に感じることがある。余裕を持たなければいけないという義務感を感じてしまうと、自分の中で何かが弾けてしまうのだ。
 そんなことを考えていると、深みに嵌ってしまう自分を感じる。余計なことを考えてしまうと堂々巡りになってしまうことが分かっているのに、考えがまとまらない時は得てして堂々巡りに入ってしまう。そんな時に目の前に浮かぶのは「メビウスの輪」だった。
「メビウスの輪」とは、異次元への入り口、そして異次元を説明する時に用いられるもので、実際に不可能なことを示している。それが時空の歪みを表現しているのだ。
 時空の歪みは、自分の心の中の闇を模索している。どこまで行っても交わらない平行線が交わるのが見えたり、実際には直線なのに、曲がって見える絵を思い出していた。
 錯覚という意味では、左右対称の影絵などもその一例で、それも芸術作品の一つであった。
 一度不思議なものを見てしまうと、頭から離れないのも坂上の癖の一つだった。特にプレッシャーを前にすると見えてきたりしていた。
 坂上の人生の中で、二度の転機があった。
 一度目は転職した時だった。仕事が嫌いで転職したわけではない。会社が嫌いだったわけでもない。人間関係に不満があったわけでもない。
 当時、坂上は奥さんに頭が上がらなかった。別に尻に敷かれているわけではなかったのだが、細かいことをすべて嫁に任せることで、楽をしていたと言ってもいい。だから、嫁さんのいうことは絶対だった。
作品名:短編集123(過去作品) 作家名:森本晃次