短編集123(過去作品)
「秀吉の横暴は許せません。亡き信長公の意志を無視して天下への野心をあからさまにしている」
と家康に挙兵を促した。家康も、
「織田の息子が後ろ盾なら」
と、大義名分を得て、戦になったのだった。
時代は、その後だということは、すでに徳川家康は秀吉に臣下の礼を取っているということになるのだろうか。
いや、まだだとしても、すでに時間の問題で、越後の上杉景勝あたりは、秀吉に臣下の礼を取っていることになる。
上杉景勝には、直江兼継という陪臣がいる。上杉家は二人で一人なのだ。もっと性格に言えば、一足す一が、三にも四にもなるということであろう。
歴史を知っているだけに、表から見ているこの時代のことは実に面白い。他人事であれば、人間関係を見ているだけで勉強になるのだが、
「まさか自分がそんな世界に置かれるとどうなるだろう」
などと、考えたこともなかった。
そういう意味では歴史というのは、うまくできている。それ相応の人がその時代を生きているからだ。
しかし、その考えは歴史に名を残す人間から見た考えで、一部の人間に対して言えることだ。大半の人間に対して歴史は実に薄情だったりする。特に戦国時代などは、「下克上」の名の下に、君主を見限ったり、戦って敗れた相手の親族から復讐されないため、そして自分の家を守るために、相手の家族を根絶やしにすることも公然と行われた。むしろ、それが当たり前だったりもする。
女だろうが、子供だろうが容赦はしない。十歳にも満たない子供が処刑されることもしばしばあった。もちろん彼らには何の罪もない。親が戦争に敗れたという事実があるだけで、その時は復讐など考えられるはずもないまだまだ子供なのにである。
しかし、それを公然にしたのも歴史だった。
その例が平清盛であろう。源頼朝を助けてしまったこと。そして、源氏をそのままにしてしまったこと、これこそが平家滅亡の直接の原因である。
そのことを一番意識していた武将は誰であろうか。頭に浮かぶのは、家康である。冷静で、時代を読めるのは家康が一番。当然歴史の勉強も一番していただろう。
信長は、冷酷非道な人物のように謳われている。それに間違いはないだろう。しかし、冷静な面も十分持ち合わせているし、何よりも先見の明がある。
南蛮文化に興味を示し、海外を見つめていた。
子供の頃に、
「うつけ者」
と割れていたが芝居っ気が多かったのも分かっている。鷹狩りを好んだというが、鷹狩りを数人で行うことによって、戦略的な要素を磨き、さらに、自分の領地内を公然と見回ることができる。それこそ彼の考えていることだったのだろう。
秀吉にしてもそうだ。農民から成り上がったのだが、信長のような残虐的な殺戮を行うことは天下を取るまではあまりなかった。
といっても、彼も戦国武将、敗軍の将に切腹を命ずることは仕方がない。それでも、切腹の場面、つまり男の最後の花道を自分の目で確かめるという人情的な部分もあった。
「明日は我が身だ」
と思っていたかどうかは分からないが、少なくとも信長のような自信家ではなかったことは事実であろう。
何と言っても、秀吉は猜疑心の固まりのようなところがあった。
彼にはコンプレックスがある。今の世の中での彼への評価は、一介の農民から這い上がったということで、
「立身出世の代表格」
と評されているだろう。だが、それだけに妬みや嫉妬が渦巻いている。
「自分の部下だった農民上がりの男に、なぜひれ伏さなければならないのか」
そう思っている大名も少なくなかったはずだ。
特にその最たる例が、越中の佐々成政であったり、薩摩の島津義久であったり、もっと大きな領土を持った武将としては、関八州の北条氏政であったであろう。
彼らは秀吉に攻め込まれたが、その時に殺されることはなかった。北条氏政は殺されたが、息子は助けられた。薩摩の島津に至っては、
「領土を安堵する」
というお墨付きまでもらっている。これは天下を統一するための秀吉の作戦でもあった。
「俺は天下人なんだ」
そうやってまわりにひれ伏す大名たちへの宣伝、そして、領民への宣伝も大きかった。やがて秀吉は天皇に接近するが、それも筋書き通りであろう。彼のまわりには軍師もいれば、政務や経済を取り仕切るのが得意な人物もいた。黒田官兵衛がそうであり、石田三成がそうであった。彼らは彼らなりに秀吉に尽くしてきたが、天下が統一されるにつれて、時代が少しずつ動き始めていた。今、佐久間はその時代にいるのだった。
佐久間の脳裏には、一人の女性が浮かんでいた。薄桜色の着物に傘をかぶり、傘からは透けて見える絹のような生地から、顔がかすかに見えるといった女である。夢だと分かっているので、おしとやかな女性をイメージしている自分に気付くが、まるで天女のようないでたちである。
「憲正様。お暑うございますわね」
一緒に歩いていると、さらさら風に揺れる長い黒髪は、現代も戦国の女性も同じである。むしろ戦国時代の娘の方が、煌びやかに光って見えていた。
空を見れば雲ひとつない。雲があったとしてもスモッグなどの余計なものがあるわけではない。雲がないと、太陽はまともに当たる。日焼け止めクリームなどないこの時代、色が白い人が多い気がするのはなぜであろう。
――紫外線が少ないのかも知れないな――
紫外線などと言う言葉、誰も知るはずもない。だが、意外と昔の人は科学的なことも理解していることが多い。紫外線だとは知らなくとも、日焼けが日の光によってどのようにもたらされるか、知っているかも知れない。
女が絹のベールをかぶっているのも、それが一つの理由であろうが、外国のように、
「肌は露出するものではない」
という意識の下、顔を見せるものではないと思われていたのかも知れない。
だが、夢なのだから、思っているのは佐久間だけかもしれないが、佐久間にとって、自分が女性に対してどのように思っているかということが分かった気がした。
女のかすれた声は、むろん佐久間にしか聞こえない。その声を聞いているとむず痒く聞こえてくるから不思議だった。
「身体の芯から燃え上がる」
身体の一点に血が集まって、ドックンドックンと脈打っているのを感じた。
普段は、いつ誰に狙われるか知れないという緊張感ばかりを持っているはずなのに、この女といる時だけは爽やかな風が通り抜けていく。
女の名は、お香という。香りを好む佐久間は名前だけで気に入ってしまった。しかし、お香から香ってくるものは、決して華やかなものではない。どちらかというとおしとやかなものだ。
――この女、おしとやかが似合う女なんだ――
と最初に感じ取った。
近い過去にお香を抱いた記憶があるが、目の前の光景を見ていると、かなり昔だったとしか思えない。不思議な気配が佐久間を襲う。
佐久間にとって女を抱くと言うのは、どちらかというと、儀式のイメージが強かった。現実の世界では、結婚して子供もいる佐久間だが、結婚前と結婚後、それから子供が出来る前と出来た後、それぞれで、女房に感じる思いが変わってきたことに気付いていた。
「あなたのセックスは単調なのよ」
女房に言われたことがあった。
作品名:短編集123(過去作品) 作家名:森本晃次