短編集123(過去作品)
声に出してみた。自分の声は少し若返ったように思う。しかし、実際の世の中でも、二十歳くらいの頃から老けて見られていたので、声の質は基本的には変わっていない。二十代から老けていた男というのは、得てして三十歳を前に老けは一度止まってしまうようだ。意外と四十歳くらいになっても、まだ三十歳くらいに見られたもので、
――若い頃の老け顔は悪くないんだ――
と思ったものだ。
三十歳くらいまで嫌いだった自分の顔も、今ではすっかり好きになった。迫もついたし、実際にそれだけの実力も身についているのだろう。部下の態度を見ていれば分かる。決しておべんちゃらだけで佐久間を見ているのではなさそうだ。
「本日の参内では、殿下のお気に召しますようにお願いいたします」
「?」
こいつは何を言っているのだろう?
「殿下は最近、ご機嫌があまり麗しくないと聞いております。殿をお呼びになったのも、そんなご自分の気持ちを一度整理したいからではないでしょうか。くれぐれも言動には注意あそばせ」
殿下に呼ばれたというのはそういうことか。しかし、ストレス発散で呼ばれるということは、佐久間憲正も、さては、結構落ち着いた武将として殿下からの信任も厚いのであろう。
――下手なことは言えない――
肝に銘じなければならない。
――だが、この時代の言葉遣いが本当に正しいものかどうか分からないぞ――
確かに歴史が好きで、歴史の雑誌や歴史小説もかなり見てきた。特に戦国時代が好きなので、戦国時代の本はかなり読み漁ったものだ。
――だが、本で読んだとはいえ、いきなり殿下に拝謁の席というあまりにも緊張した雰囲気で、そう簡単に言葉が出てくるものだろうか――
お城の広間に通されて、きっと左右を大名だったり、奉行がズラリと顔を揃えているところに召し出されるのかも知れない。
それとも殿下と二人で酒を酌み交わすのだろうか。相手が分からぬだけに想像も膨らむはずがない。
まず、殿下と言われて想像するのは、戦国の雄、三人である。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康であるが、織田信長の場合はどうであろう。
まず、顔を上げることができるだろうか。何しろ冷酷非道で名前が通っている。気に食わぬことがあれば、大衆の面前でも平気で斬りかかってくるに違いない。しかし、佐久間は信長という人物が好きだった。もしこれが夢であるとすれば、好きな信長に好かれるかも知れない。ある意味、この三人の中では一番単純ではないだろうか。
秀吉だとどうだろう?
この三人の中で一番気を許してはいけない人物だ。何と言っても彼にはいくつかのコンプレックスが存在する。それも根は一つである。
――出身が農民であること――
すべてがここに集約される。
現代では立身出世のお手本で、歴史上の人物でもその意味で一番の男と称されているが、実際にはどうだったのだろう。配下の大名たちは元々皆信長の下で自分の上司だった連中だ。平伏していながら、何を考えているか分からないというのが、秀吉の考え方だ。
秀吉という男、まわりの人間の反応には敏感である。悪戯好きに見えるが、それもまわりの武将の反応を試しているためで、
「戯れが過ぎる」
と単純に考えると、秀吉の術中に嵌ってしまう。
憲正が殿下に拝謁することは、今までにもあったように思える。夢であるにもかかわらず、以前にも殿下の前に拝謁した覚えがよみがえってきたのだ。何しろ君主を目の前にして、まわりを名高い諸大名に囲まれて、どれほどの緊張感があるか。思い出しただけでも冷や汗ものである。
その場所が大阪城以前なのか、聚楽第なのか、はたまた伏見城なのか分からない。ハッキリしているのは、その場所がどこであるかということが、自分に置かれた立場に微妙な影響を与えるものである。
大阪城の前の、長浜城、山崎城であれば、まだまだ秀吉が天下を手中にできるかどうか分からなかった時代で、しかも、長浜城であれば、信長存命中ということもあり、まだまだ野心を表に出す前であった。百姓あがりの片鱗が十分に残っている。
姫路城も中国攻略において大きな役目を果たしたが、どれほど秀吉が城にいたかということも不明である。戦に明け暮れた時代であり、まだまだ戦国時代の真っ只中、それほど相手を見下すこともないだろう。
しかし、大阪城を築いてからは、自分の権力を見せびらかすようになった。家来を試す真似や、時には馴れ馴れしさを表に出して、相手の気持ちを探すこともあった。
秀吉は部類の女好きでもある。大阪や聚楽第に城を構えてからは、大名の細君を京に住まわせたりして、まるで人質を取ったかのようである。
それも自分が権力を持ちすぎたことで、
「俺は本当にこんな権力を持っていいのだろうか?」
という思いと、
「俺は権力者なのだから何をしてもいいんだ」
という気持ちが共存していただろう。
大雑把に考えている時ほど、心の中に不安が燻っている。
「いつかやつらの中に、俺を倒して天下をとりたいと思っているやつがいる」
疑心暗鬼にも陥るであろう。そのこともあって、秀吉は、
「俺の次の天下は誰だと思う」
と、家臣たちに聞いてみたりしたこともあるという。その反応を見て、半分楽しみながら、
「こやつら、次の天下人が見えてくれば、そっちに根返るに違いない」
と思ったことだろう。天下というものが秀吉という人間一人の背中に負ぶさっているが、その重みは秀吉一人にしか分からない。結局天下人といっても、所詮は孤独なのだ。
馬の歩みは遅かった。天守閣が見えているのになかなか辿り着かないもどかしさは、どういうものだろう。背が高いせいか、まわりを見下ろしてしまう。景色はいいものだが、心境は複雑だ。
「憲正様、ここからの景色はいかがでしょう?」
手綱を引く男が前を見ながら訪ねた。
「どうって、いつも見ている光景ではないか」
「そうでございましょうか? あなた様の見ている景色はいつもと少し違っているはずですよ」
佐久間はドキッとした。見透かされているというのだろうか。
――こやつ、俺が初めて見る光景だということを知っておるのか――
しかし、そう考えると、初めて見る光景ではない気がしてきたから不思議だ。
「旦那様は、今心境の変化を感じられましたね。そうですよ、旦那様にはこの道がお似合いになるんですよ。我々も毎日お供する甲斐があるってものですよ」
どうやら佐久間は、毎日この道を通っているようだ。
「おぬしには何でも分かっておるようじゃな」
「はい、旦那様のことなら何でも分かります。ですから、今日はお気をつけあそばせ」
「どういう意味だ」
「殿下の機嫌が本日はあまりよくありません。何かに怯えているようです」
心当たりがなくもない。ただ、今がいつの頃の秀吉なのか分からないので、何とも言えない。それを家臣に聞くわけにもいかず、佐久間は困っていた。
「先日の小牧・長久手での合戦では、徳川様に一応勝利したとはいえ、局地戦では完全な負けでしたからね」
――おお、それなら知っている――
秀吉の天下への野心に危機感を示した信長公の三男信雄が、徳川家康に泣きついて、
作品名:短編集123(過去作品) 作家名:森本晃次