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催眠副作用

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 マインドコントロールというのは、事会で聴いたことはあっても、実際に自分のまわりにはそんなものは存在していないと誰でもが思っているに違いない。それこど、無意識に意識している証拠なのだ。マインドコントロールというものを実際に信じているのに、自分には関係ないと思う。その他人事な考えが躁状態を作りだし。その状態が、マインドコントロールを引き起こさせることになるとは、何とも本目津点灯なことではないだろうか……。
 マインドコントロールと、カタルシス効果、この二つがいかに絡み合って催眠術を構成するか、見てみたものである。
 だが、実際に行うのは大学生なのだろう。しかも、これは奇術団における「魔術ショー」などとは違うものなので、いかな結果になるか恐ろしい。
 しかも、お題目は、
「実験」
 ということである。
 当然、実績があると考えてもいいのだろう。特に催眠術というのであれば、かかるだけは問題ではない。元に戻らなければ、それこそ大問題だ。
 ちなみに催眠状態というのは、どういうものなのだろう?
「実験ということですが、催眠術のようなものだと考えてもいいんですか?」
 と聞くと、
「一種の催眠状態だと思っていただいていいのではないかと思います。ただ、『厳密な催眠術なのか?』と訊かれれば、私は何と答えていいのか、返答に困ってしまいます。とにかく一度自分の目でご覧になってもらうしかないですね」
 と先輩は言った。
「催眠術というのはどういう状態なんでしょうね? 私が以前見た催眠術では、生理的に受け付けない嫌いな動物であっても、催眠状態であれば、掴んだり、身体に乗っけたりするのを笑顔でできるくらいですから、本当に、相手に死ねと言えば、殺すこともできるんでしょうね」
 という話であった。
「だけど、人間の生理的なものというのは、本能で動くものなので、洗脳されると、本能よりも強いものということなんでしょうね。その間の記憶というのは、まったくなくなってしまうものなのでしょうか?」
 とつかさが聞くと、
「催眠状態というのは、意識はないそうです。だから、生理的に受け付けない動物を催眠状態で触っても、催眠から覚めて誰から何も言われなければ、まったく覚えていないということです。つまりは、意識だけではなく、感覚すらもなかったことになるんでしょうね」
 と先輩はいう。
「本能が覚えているようなものだと思うんだけど、そんなに自分お内面よりも催眠術の方が強いというのも、何とも釈然としないですね」
 とつかさがいうと、
「というと?」
 と先輩は言う。
「私たちは、どうしても、自分中心主義が頭にあるので、無意識であっても、本能におるものが一番強いと思うんだけど。催眠術はその本能よりも強いものを残しているということになるんですよね。ということは、催眠術という他人の意識づけの方が強くなり、やはり釈然としないんですよ」
 とつかさがいうと。
「それは違うんじゃないかな? 催眠術というのは、あくまでも人間の奥にある潜在的なものを引き出すだけで、やはりその人が持っているものを利用するだけなんです。生理的に受け付けないものでも、催眠術で受け付けるというのは、その人が究極に自分を極めれば。苦手な動物はなくなるということなのかも知れないですね。人間の限界というのか、催眠術は人間に限界というものを押し付けてはいけないということを教訓として教えるためにあると考えるのは、かなり危険なことなのかも知れないですね」
「そういう意味で、催眠を胡散臭いと考え、宗教によろ洗脳や、人間の限界を極めるような考え方が、普通に生活している人間に対して不安や恐怖を与えることから、宗教団体は敬遠されるのかも知れない。宗教団体を擁護するつもりはないが、すべてを否定するというのも違う気がする。かといって、宗教団体がそれぞれ個性があっていいものかという考えも一つにはある。だって、人間にとっての全知全能の神とされる宗教ごとのカリスマが、そんなにたくさんいてもいいものだろうか?
 そもそも、世界での戦争の半分以上は、宗教戦争だと言っても過言ではない。
 洗脳であったり、マインドコントロールが宗教というものを司ってきたのであれば、やはり人間の限界というその存在を勝手に求めてもいいものなのか? あるいは、その限界を決めるのが人間であっていいものなのか、実に疑問である。
 神話などに出てくる神というのは実に人間臭い。嫉妬や恨み、性欲や名誉欲などが人間界と絡み合って、歪な世界を作りあげている。
「神だってしょせんは人間の創造物だ」
 と言えるのではないだろうか。
「だが、神話では神が人間を作ったことになっている。これは、タマゴが先かニワトリが先かという無限ループ」
 という考え方に近いのではないだろうか。

               カタルシス効果

 この矛盾をどう考えればいいか、つかさは自分なりの考えを持っていた。それは、
「人間のエゴイズム」
 に起因するもので、
「人間が自分が他の動物よりも優れていること、さらに人間だけが優遇された存在であることを、神話を使って、人間を神が作ったものだとしておくことで、権利の裏返しに義務があるように、特権の裏には責任が存在するのだが、その責任を創造主の神に押し付けようという考えから、神というものを創造したのではないか?」
 と考えている。
 だから、人間が行うおろかな行動はすべて責任が神にあることから、聖書などの宗教書物では、時々、神が人間を滅ぼそうとしたり、浄化を試みるのではないだろうか。
 そう、人間には「浄化」というものが必要なのである。
ここで、先輩の言っていた、
「カタルシス効果」
 という言葉が結び付いてくるのだが、この言葉と結びついたのは、最初から結び付けるつもりで結び付いたものではない。
 あくまでも偶然であったのだが、えてして人間の考えというのは、一周まわって。同じところに着地するつもりで、気になっているところに着地してしまっていることがあったりする。それが夢だったりするのだろうが、そのメカニズムがどこから来るのか、つかさには想像もつかなかった。
 そもそもカタルシスという言葉には、
「悲劇が観客の心に怖れ(ポボス)と憐れみ(エレオス)の感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」
 という意味があるらしく、精神を浄化する効果をカタルシスというのであれば、その効果というものも、神から与えられたものと考えてもいいのかも知れない。
 人間が神というものを創造したのは、創造主を作ることによって、人間の弱さの辻褄をわせるためであり、そのために、定期的な浄化を正当化することで、過去の戦争や災禍までも正当化させようということなのではないだろうか。
 つかさがそもそも神に対して疑問を感じているのは、
「なぜ、宗教によって全知全能の神が違うのだろうか?」
 という意味である。
 人間という動物種を、一つのものだと考えた場合、人間という動物種に複数の宗教や考え方があるというのもおかしな気がしていた。
作品名:催眠副作用 作家名:森本晃次