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催眠副作用

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 ただ、睡眠の場合は、
「目が覚めなかったら、どうしよう」
 と感じることはほとんどない。
 確かに、眠れなくて悩んでいる時、睡眠薬を飲んででも寝ようとするのだが、その時はクスリの効果があることから、目が覚めない場合を想像して、恐怖を感じることもあるだろう。
 躁鬱状態に陥った時など、特に鬱状態の時は、すべてを悪い方に考えるので、逆に目の前のことに集中してしまう感覚がある。だから、睡眠薬に頼るのも仕方がないと思うのだし、睡魔が襲ってくると、今度はその時になって、
「目が覚めなければどうしよう」
 という感覚に襲われるのだ。
 鬱状態というと、
「朝って、本当に来るんだろうか?」
 と思うこともある。
 これは、目が覚めなければどうしようという感覚に似ているものであって、目が覚めるかどうかが、自分だけの問題だが、朝が来なかったら問題はすべてに波及してしまい、本来なら、目が覚めないどころの話ではなくなるだろう。
 だが、朝が来ないということを意識してしまうと、今度は気が楽になって、目が覚めることを意識しなくなるという逆転の発想が浮かんできたりした。
 これは、三すくみの関係にも似ている。
「ヘビがカエルを呑み、カエルはナメクジを飲み込む。そして、ナメクジはヘビを解かしてしまう」
 というもので、これは考えてみると、自然の摂理に適っているとも言える。
 つまりは、
「三すくみが自然界の環境を司っている」
 と言っても過言ではないだろう。
 だから、精神分析や倫理、さらには人間の本性の中で、何か三すくみが存在しているのかも知れない。
 それを知らず知らずのうちに感じていることで、何気なく生活していることも、無意識だと思っているのだとすると、
「目が覚めなかったらどうしよう?」
 という感覚が、睡眠によるものであったり、催眠術によるものであったり、クスリによるものであったとしても、何があっても、目を覚ますという感覚を持っているはずである。
 となると、目が覚めなかった場合は、別の理由から来るモノだと言えるだろう。
 病気であったり、人から殺されるなどの、自分の意志とは直接関係のないことで死んでしまう場合である。
 人によっては、
「睡眠と、催眠の区別がつかない」
 と思っている人もいるだろう。
 それは、その人が普段から睡眠と催眠を考えているからなのかも知れない。考えれば考えるほど、その違いが分からなくなり、混乱してくることを示している。
 ただ、一つ言えることは、
「睡眠は、一人にしか効力はないが、催眠というのは集団で掛けることができるものだ」
 と言えるのではないだろうか。
「集団催眠」
 という言葉があるが、これは言い換えれば、
「洗脳や、マインドコントロール」
 と言えるものであろう。
 他人から掛けられたものであり、自らが望んだものを睡眠というのに対し、自分の潜在しているものを引き出してくれる力が催眠なのではないだろうか。
 今目の前で繰り広げられている、
「カタルシス効果の実験」
 もそうなのではないか。
 しかし、カタルシス効果というのは、不満などのネガティブなものを口に出したりして、発散させることで、ストレスを解消させるものではなかったか、今ここで行われている儀式は、完全に静寂の中で行われていて、ストレスというものを発散させている様子は見られないようだった。
「ひょっとすると、これが今回の実験なのかも知れないな」
 と感じた。
 声を出さずに静寂で行うことで、催眠効果を高め、それを中心に集団催眠に掛けようという考えがあるとすれば、恐ろしいという想像ができていた。
 もちろん、声を出すことがストレス解消には一番いいことなのだろうが、それを敢えて抑え込む形にしたことで、意識が目の前だけではなく、室内というエリア全体に影響する形になると考えると、これは単純な、
「カタルシス効果」
 と言う名の実験ではなく、
「集団催眠への実験」
 なのかも知れない。
 集団で催眠を掛けてどうしようというのか?
 そのあたりまではまったく想像はつかないのだが、集団催眠だということになると、話の辻褄が合っているような気がしてくるのだった。
 つかさの横で弥生も、何かの催眠にかかっているように見えたが、どこか抗っている様子もあった。
「弥生も、催眠に掛からないように抗っているのかしら?」
 とつかさは感じていたが、横顔を見る限り、顔色はあまりよくなく、顔は赤いのだが、紅潮しているというよりも、病的という雰囲気だった。
 だが、弥生の表情は、何かを抗っているような表情なので、明らかにつかさとは違う。
「ということは、同じ催眠であっても、その効果が違うということなのか?」
 と考えると、その人一人に掛ける催眠ではないのだから、何か一つに特化した発想からの催眠ではない。それぞれ、状況の違う状態で催眠を掛けることになるということであれば、催眠はもっと深いところで掛けることになるだろう。
 つまりは、一掴み深いところの感情を掘り起こすということになるのであって、感情の根底は、皆同じものだと言えるのではないだろうか。
 その感覚があるからこそ、集団催眠が可能だと考えられるのであって、問題は堀個々した状態が、抑えの利かないモノであった場合、どうすればいいかというところであろう。
 そのあたりの検証も臨床試験が終わっていないと、本番ではできないことである。
「一体、どこで誰を相手に実験を行ったんだろう?」
 ということが問題になるのだが、危険性のない連中でなければいけないのではないか。
「まさか……」
 つかさは。今自分の考えた発想を打ち消そうとしたが、できなかった。
 この発想は、してはならないものであり、発想自体が罪になりそうな気がしたのだ。
 最近世間では、コンプライアンスや家庭内暴力、あるいは苛めなどというワードが慣れっこになってしまっている。昭和のある時期から言われ出したことだが、それまでは同和問題による差別や、肉体的な欠陥による差別用語を放送禁止用語として言わなくなってきた。
 そのこともあって、実際に精神的な病気や疾患がある人が表に出てくることはなくなり、ある意味隔離状態にされることで、誰も意識しなくなっていた。
 まさか、そんな人たちが急にいなくなるわけもなく。ただ、世間の注目から漏れてしまっただけだった。
「そんな彼らは今どこで何をしているのだろう?」
 と思うと、表に出てこないのだから、裏に潜んでいる。そのウラというのはどこにあるというのか?
 そんなことを考えていると。
「ウラというのは、病院などに隔離されている」
 と言えるのではないだろうか。
「昔は精神病院などと言っていたけど、言わなくなったのは、名前を変えて存在しているのではないか?
 その場所は、近くて遠い。見えているようで気付かない。そんな場所ではないかと思えてきた。

                催眠連鎖
作品名:催眠副作用 作家名:森本晃次