催眠副作用
「そう、そうなのよ。友達が宗教団体に入信したというのも、自分を見たというその相手の人が、今あなたと同じような話をしてくれたのがきっかけで、自分もその宗教で学びたくなったんだって、彼女にとっては宗教団体というよりも、人生の勉強会のようなイメージのようで、彼女が信じているのなら、反対しようもないような気がしていたんだけど。今でも仲のいいお友達なのよ。それに彼女は私をその団体に決して誘ったりはしないのよ。入る気があるのなら、自分から行動するだろうって言ってね」
と弥生が言った。
「弥生はその団体に入ろうとは思わないの?」
とつかさが聞くと、
「うん、今は入ろうとは思わない。だって、せっかく大学に入ったんだから、他にももっと面白いことがあるかも知れない。まずはいろいろ見てから考えようと思ってね」
と弥生がいうので、
「じゃあ、まったく選択肢がないというわけではないのね。いろいろな候補の中の一つということか?」
「ええ、それに私は何かを作り出すことが好きなので、その道を目指したいと思っているの。芸術的なものだったり、学術的なものだったりといろいろと見てみたいの」
と言っている。
つかさとしても、
「私も同じなのよ。創作意欲が湧きそうなものが好きなのよ。ただ、今までが飽き性だったので、なかなか一つに集中することができないでいたのよ。いろいろとやってみたけど、どれも中途半端に終わってしまったわ」
という思いがあったのだ。
「でも、やりたいとは思っているのよね? それで集中力が出てこないということは、きっと自分に自信がないのかしら? 自分には無理だという考えがあったとすれば、集中はできないのかも知れないわね。私も小学生の頃にやってみたいと思ったことがあったんだけど、結局できなかったのよ。どうしてなのかその時には分からなくて、そのうちに考えるのをやめてしまったんだけど、今から考えると、結局自分にはできないという思いからだったのね」
と弥生は言った。
「それだけ自信がなかったということなのかしら?」
とつかさがいうと、
「さっき、私は自分で自信がないから、自分には無理だと思ったんじゃないかって言ったけど、ひょっとするとそうではないのかも知れない。自分に自信がないことと、自分には無理だと考えることとは、一緒ではないんじゃないかって思うのよ。どこに根拠があるというわけではないんだけど、そんな風に思うのよね」
と、弥生は言った。
「なるほど、じゃあ、自分に対して不安を感じる時というのは、自分に自信がない時というよりも、自分が何かをしようとして、できないと感じている時なのかも知れないわね」
というと、
「自分に自信がないという中に、自分にはできないと思う気持ちが入っているかと言われれば、入っていないと思うのよ。本当にできないということであれば、逆に自信をもって、できないと言えばいいのであって、できるかも知れないしできないかも知れないという中途半端な気持ちがどちらとも決めかねている自分に対して自信を持てない、つまり判断力の欠如を自信のなさとして感じているのだとすれば、不安に感じるのは、やはり自分に自信がない時なのよ。だから、逆に自分にはできないと感じた時、考え方を変えると、できるようになるかも知れない。その考え方の違いをその友達は、その時宗教団体の人から教えられたんじゃないかって思うのよね」
弥生がここまで一つのことに饒舌になったのは初めてだったので、ビックリしてしまったが、つかさには、弥生がこれくらいのことはいえるほど、知識があると思っていた。心理学的な本を読むのも好きだし。何と言っても弥生は今のように、話をしながら、自分の考え方を成長させることのできる人だということが分かっただけでも、彼女と友達になれてよかったと思っている。
元々心理学的な、そして精神分析学的なことに興味があったつかさは、弥生の登場を待ちわびていたのではないかと感じたほどだった。
今まで十八年、十九年と、違った人生を歩んできたはずの二人だったが、どこかで出会ってすれ違っていた回数が今までに一番多い相手ではなかったかと思うのだ。お互いに知り合うまでのカウントダウンは、ずっと始まっていたのかも知れない。
「ひょっとして、私、一年浪人したのは、弥生と出会うタイミングを計っていたのかも?」
と、これ以上にない、ポジティブな考えに、思わず笑ってしまった。
何も知らない弥生は驚いていたが、つかさの楽しそうな笑顔を見て、訳が分からないままに笑顔になっていた。
弥生はその時の顔を、残しておきたかったと思うほどだったのは、その時ハッキリと鏡などの媒体がなければ見えるはずのない自分の顔を意識したと感じたからだった。
きっと、こんな感覚になるのは、一生のうちで、最初で最後のことであろう。もっとも、普通の人は一度たりとも思えないと思うからだ。
――いや、人はみな、一生に一度この感覚を味わうのであって、私はたまたま今になっただけなのかも知れない――
と弥生は感じていた。
いよいよ催眠術が始まった。
女の子が目を瞑っているところに、催眠術師が話掛ける。
「何が見えるかな?」
と訊かれた彼女は、
「何も見えません」
と答え、次第に身体が震えているのを感じた。
震えは止まることもなく、催眠術師は手を彼女の上に翳して、指で空間を広げるようにしなから、まるで見えない糸で彼女を傀儡しているように思えた。拘束されているわけではない彼女は自由に身体を動かしているように見えたが、それを見ているつかさは、自分が催眠術師に操られているかのような錯覚を覚えた。
目の前にいる子が舞台から客席を見ている。その中につかさ一人が照明に当たって、光って見える。
彼女と目が遭ってしまったことで、目をそらそうとするつかさ。以前にもどこかで似たような感覚を味わった気がした。
――そうだ、この間までの自分じゃないか?
一年間浪人して、一年前の自分は浪人したことで、完全にまわりから置いて行かれた気がして、本当にすべてを失ったかのような気持ちになった。どんなショックなことが起きても、浪人するまでは、後ろに下がった気はしなかった。絶えず前を向いていて、成長だけしか考えられなかった自分が、一度受験に失敗して、一年は大学生になれないという時間を過ごさなければならないことで、どれほど落胆したか。それは、完全に焦りであった。一緒に同じ時代を過ごしていさえすれば、どんなに成績が悪くても、追いつけないわけはないと思えるのに、浪人というのは、一年は絶対に前に進めないのだ。しかも、この一年という歳月は、絶対に縮まることはなく、取り返すこともできない。
こんなにネガティブに感じたことのない一年間。今から考えても、どうやって挫折せずに過ごせたのか、その思うの方が強かった。
そんな一年間に、どれほど嫌な夢を見た事だろう。毎日のように夢を見ていた気がした。
「怖い夢というのは、忘れることはないけど、もう一度見たいと思う夢ほど、覚えていないものなんだよな」
と言っていた人がいたが、まさにそうだった。