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催眠副作用

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「自分からまわりに対して」
 という印象が強いが、配っているというのは、まわりが彼女を気にしているので、そのことに気づいた彼女が、気に掛けているという程度のものに感じる。
 実はそれくらいの関係性が一番いいのだが、彼女に何かの力があるから、まわりが彼女を気にしているのだろうが、つかさにはその意識はない。普段から一緒にいる相手だからかも知れないが、もし自分が仲良くなっていなかったら、
「何か気になるところがある人」
 という印象を持っていたかも知れない。
 その視線に気づいた弥生が話しかけてくれることで、自然と弥生も話しかけられる雰囲気を作ることができ、相手もわざとらしさなど感じることなく、逆に自分を気にしてくれたことに感謝することだろう。
 たぶん最初の出発点は弥生の視線なのだろうが、最初が自分からだったように思わせるその視線に、
「気を配ってもらった」
 と感じることになるのだろう。
――これも一種の催眠のようなものかも知れない――
 とつかさは感じた。
 ただ、このことを気付かせてくれたのは弥生自信かも知れない。
 他の人には自分からの視線を感じさせたかったのだろうが、つかさに対しては、つかさ自身が弥生を気にしたと思わせたい。それが、彼女のつかさの前で見せる。天真爛漫で楽天的なところなのかも知れない。
 弥生が本当はどのような性格なのか、実は誰も分かっていない。弥生という女の子は、相手によって、自分がどんなタイプに見えるのかを、催眠のようなものに掛けているようだった。
 だから、弥生のことを楽天的で天真爛漫に思っているのは、つかさだけだったのだ。
 つかさは、弥生に自分のことを正直にいつも話している。それを聞いて弥生が、いつも的確な意見をしてくれるのが嬉しかった。
 それは、まるで自分が以前から意識していたことを、自分の中で消化できずに、言葉にできない内容を言葉にしてくれているかのようであった。
「痒いところに手が届く」
 という感覚が、一番的確な気がするが。それを言葉にしてくれるだけに実に分かりやすい。
 それが、元々何も言わなくても分かってくれる人が一番自分にはふさわしいと思っていたのに、弥生が現れてからは、
「言葉にしないと伝わらないことだってあるんだ」
 ということを思い知らされた気がした。
 よくテレビドラマなどで、
「言葉にしないと分かり合えないことも多いんだ」
 と、夫婦や恋人の関係でのセリフの中にあるのを感じていたが、それはあくまでも、夫婦や恋人のように、まだなったことのない相手のことに思いを馳せても。どうしようもないという感覚があったのだ。
 それだけに弥生に対してそのように感じたというのは、
「これは友情ではなく、愛情なのかも知れないわ」
 と感じていた。
 それは自分が嫌いなライトノベルでのジャンルである。BLと反対のGL、「ガールズラブ」ではないか?
 と感じていた。
 BLよりも明らかに生々しさを感じたが、
「弥生であれば、悪くもないかも?」
 と感じたのだ。
 つかさは、まわりのことも見てみた。人はまばらであるが、思ってよりも、単独の客の方が多い。
「こういうところに、一人で来る勇気、よくあるわね」
 と、隣の弥生に話掛けたが、
「一人の方が来やすいのよ。誰かとくると、その人に気を遣ってしまう人だったら、集中したいのにできなくなるという可能性があるでしょう? だからこういうところには一人で来る方が効果的なんじゃないかなって私は思うの」
 と弥生は言った。
「じゃあ、弥生はこういうところに今までに来たことあったの?」
 と聞くと、
「ええ、何度かあったのよ。もちろん、自分から進んでくるということはなかったけど、友達に誘われたりしてね。私は高校時代に、結構宗教団体に入信している人もいたりしたので、いろいろな意見も聞けて楽しかったのよ」
 と言っている。
「宗教団体? あなたが?」
 と意外な言葉が訊けたので、ビックリした。
「ええ、でも入信するわけではないので、話を訊くだけね。でも、話を訊いていると結構いろいろと面白いことも聞けて結構楽しかったわ。何か私って、昔から宗教団体の人とかに話しかけっれやすいのかも知れないわね」
 と、言っていたが、つかさから見ていて、宗教団体の人が話しかけやすそうには見えなかった。
 どちらかというと話しかけるのに勇気がいる気がしていて、よほどのきっかけがなければ彼女に話しかける勇気は出てこないような気がしたのだ。
「そういえば、その時一緒にいた人が、宗教団体に入信したんだっけ」
 と弥生は言い出した。
「というと?」
「あれは催眠術を見た時とは違う時だったと思うんだけど、一緒にいた人と二人で歩いていた時に宗教団体の人に話しかけられたの。友達は何か気持ち悪そうにしていたけど。、私が楽しそうと言って話を訊こうというと、仕方なしに一緒に近くの喫茶店でその人の話を訊いたのね。別に勧誘されたわけではないんだけど、私としては話の内容が面白いと思ったのよ。だから、話の内容を中心に聞いていたんだけど、友達の方は、途中から表情が真剣になって、それまでとは違った雰囲気で聴いていたのね。それに最後の方では、質問をしたりもしていたわ。だから私は彼女も相手の話に大いに興味を持ったんだって思ったんだけど、話を訊いているうちに、話よりも、ようやら相手の女性に興味を持ってしまったようで、今から思えば、その友達は相手の人の中に自分を見たようなのよ」
 と弥生はいうのだった。
「どこからか、話にのめり込んでしまったんでしょうね。でも確かに相手に自分を見ると、まるで金縛りに遭ったようになって、大いに興味をそそられるものなのかも知れないわね」
 と、つかさは言った。
 何といっても、自分が弥生に興味を持ったのは、まったく違って性格であるにも関わらず、弥生の中に、中学の頃の自分を見たような気がしたことで、弥生に興味を持ったのだった。
 今ではそのことを後悔するどころか、知り合ったことへの喜びしかない。弥生の友達というその人も、あの時のつかさと同じ思いを抱いたのだろうか?
 ただ、他人の中に自分を見るというのは、そうあることではない。まず、自分が何者であるかということを理解していないと、そもそも他人の中に自分を見るなどありえないことではないか。
 普段、自分の姿を見るには、鏡であったり、自分を写し出すための何か媒体を介することがなければ、見ることはできない。つまりは自分を見るのだという意思がなければ、自分を見ることはできないものだと思っている。
「見ようと思っても、そう簡単に見ることのできない自分」
 というものを見ることができたら、人生に新たな発見ができるのではないだろうか?
 その話を弥生にしてみると。
作品名:催眠副作用 作家名:森本晃次