催眠副作用
「うん、なるほど。私もそんな気がするわ。.確かにブームというものは、何年かに一井戸は巡ってくるものだっていう話も聞いたことがある。でも、そのことに敏感なのは、結構今の若い子だったりするのよ。それだけブームが短くて。目まぐるしく変わっていくものなんでしょうけど、逆にいうと、もっと続いてほしいと思っている熱狂的なファンがいることも確か。ブームにうまく乗っかかって、すべてのブームの中でずっと熱狂的になれる人はどこかコウモリのようで信用できないということを言う人もいるけど、そればかりではなく、当然それぞれにいいところを見いだせないと、ブームにも乗っかれないということよね。だから、それがその人の特徴であり、長所なのかも知れないわね」
とつかさは言った。
「私だって、嫌いなものもあれば好きなものもある。逆に嫌いなものがあるから、好きなものをどのように好きなのかと再認識することもできる。でも、今あなたの言ったようなことができる人というのは、きっとお母さんたちの時代にはあまりいなかったと思うの。いたとしても、きっとまわりからは、そんな考え方というのは否定される傾向にあった。今の人はあまり自分たちのまわりで否定する人がいないから、いいのかも知れないわね」
と母親がいうと、
「それは何ともいえない。たぶん、平成の時代にあった苛めや家庭内暴力。家庭崩壊などが地盤にあって。世の中を見ないようにしていることから、今のように人の気持ちを無駄に傷つけないようになったのかも知れない。だけどね、逆にその気はなくても人を傷つけることが増えたのも事実。それが集団意識からくるものなのか、感情のマヒが招いたことなのか。それとも、自分を正当化したいという意識からなのか分からないけど、最近問題になっている、SNSなどでの誹謗中傷。あれなど、誰だか分からないということをいいことに、自分の理想は思いを他人にぶつけているだけの人だっているわよね。でお、本当はそれは自分の中だけで解決しなければいけないことなんだけど、ネットの世界だからということで、分からないと思って。自分の中で勝手に解決しているのかも知れない」
とつかさは言った。
そう言って思い出したのが、
「カタルシス効果」
という言葉だった。
――ここに繋がってくるのか――
とつかさは思ったが、実におかしな感覚だった。
たまには親と話をするのも新鮮でいいのかも知れない。
催眠術
いよいよカタルシス効果の実験と称されたイベントの開催の日がやってきた。弥生とつかさは、ほぼ強制的にというくらいの立場で、見ることになっていたので、席も特等席になった。一番前のかぶりつきと言ってもいいくらいの席である。
今回、実験に選ばれたのは、物静かな女の子で、高校生くらいであろうか。見ていると、まるで自分の高校生の時のような気がして、他人とは思えなかった。
実は、この時代の自分と一番顔を合わせたくないと思っていただけに、彼女の顔を見ただけで憂鬱になった。
「まるで以前の私のようだ」
と言って憂鬱な気持ちを表に出してしまい、ハッとした気分になっていると、隣にいる弥生がじっとこちらを見ている。珍しいものでも見るような感じで、
「どうしたの? 何か顔色が悪い気がするわよ」
と弥生がいうが。
「そうなのよ。何かあの女の子を見ていると、他人ではないように思えてきたのよ」
というと、
「ああ、すでにあなたは催眠にかかっているのかも知れないわね」
と言われた。
「どういうことなの?」
「催眠術というのは、その人の普段気にしていることや表に出してはいけないと思っていることを引き出させるものでしょう? そうなると、催眠術を行うという場所で、誰であろうと普段押し隠しているものを表に出そうとしているならば、それは催眠にかかっていると言ってもいいような気がするのよね」
というではないか、
「確かにその通りかも知れないわ。あの子のように私も高校時代は自分を必死に隠して、すべての人が敵であるかのように思っていた自分がいたのを覚えている。でも、本当はまわりが皆敵だと思うことは嫌じゃなかったの。だって、勉強をするための意識として、人に負けたくないという思いがあるわけでしょう? となると、敵が存在してこその競争なのであって、仮想敵が重要であることは分かり切っている。でも、それはあくまでも好敵手であって、本当の敵ではない。そういう意味で、自分のそんな気持ちを他の人に知られたくないという思いから。内に籠ってしまっていたんでしょうね。だからね、まわりを敵だと思う感覚は悪いことではないと思うのよ。だからこうやって内に籠っている人を見て、その頃の自分を思い出す。だけど、思い出す時はいいことだけを思い出せばいいのであって。それを実現してくれるのも、また催眠術なんじゃないかしら?」
というのだった。
さすが、いつも楽天的なことを考えている弥生だけのことはある。だが、楽天的な言葉に説得力があると感じるのは。こんな時に迷いが生じている心の中を見せてくれようとする彼女の表現につかさは、親近感を感じるのだった。
「私は催眠術をあまり信じる方じゃないけど、弥生はどうなの?」
と聞くと、
「私は、信じる信じないというか、目の前で起きていることは信じるんじゃないかということくらいしか思えないわ」
と言った。
「でも、その通りなのかも知れないわね」
それ以上は何も言えなくなった。
いよいよ舞台の幕が開いて、開園となった。まばらな拍手が鳴る中で、ゆっくりを上がっていく幕から現れた舞台の上に、一人の女の子が中央で一人椅子に座っている。
顔を下に向けて、どうやら眠っているようだ。すでに催眠にかかっていると言われても不思議のないほどに首を下に垂れて、まわりからの光にもびくともしない様子は、本当に眠っているのだろう。
そこへ一人のタキシードを着た紳士と、アシスタントなのか、スタイルのいい女性が、レオタードに燕尾服を着たいで立ちで、慣れた手つきを示していた。
タキシードの男性は中年と言ってもいいくらいの人で、レオタードの女性は、モデルかと思うほどのビジュアルだった。もし、これがテレビの映像であれば、
「何とも素晴らしい、エンターテイメントだ」
と思うことだろう。
リアルすぎて、最初は何も感じなかったが、それがすでに相手の術中に嵌っていて、自分の感覚がマヒしかかっていることに、その時は気付く由もなかったのだ。
実際に舞台など見たことのないつかさには、舞台効果など分かるわけもなく、ただ、圧倒されていたのだろう。
自分にあまり経験がないと気にしてしまうのはまわりのことである。まず気になったは一緒にきた弥生だった。
弥生は、じっと前を見つめていて、女の子の目線に自分の目線を合わせているようだった。普段から笑顔を絶やさず、まわりに気を配っているのがよく分かる弥生がこの時ばかりは、一切まわりを見ていない。
弥生のことを見ていると、
「気を遣っている」
という言葉ではなく、
「気を配っている」
という言葉がピッタリしている気がしていた。
気を遣っているという言い方をすると、