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催眠副作用

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 別に自分でも小説を書いてみようという気持ちがあるわけではないが、最初はセリフばかりを斜め読みのような形で読んでいたものが、情景を思い浮かべながら、想像力を生かすようになったのは、無意識にであったが、作者の気持ちになって読めるようになったからではないかと思っている。
 小説を読んでいると、いろいろな情景が思い浮かんでくる。特に今の時代の光景ではないので。
「昭和初期の写真」
 などという本が図書館に置いてあるので、それを見てみたり、時々百貨店などの催し物コーナーで、
「百年前からの我が街の歴史展」
 などというものがあると、率先して出かけてみた。
 結構人はたくさんいるもので、いるとすれば年配の人ばかりなのではないかと思っていたが、行ってみると、若い人が多いことに驚かされてしまった。
 ほとんどの客が一人での拝観で、じっと黙って見つめている姿を見ると、何か頭が下がる思いがあるくらいで、本当は、どうして見に来ているのか聞いてみたい気がするのだが、それを聞くのは何かマナー違反のようにさえ思えた。それこそ、自分で想像するものであり、果たして。あの人たちの目に写し出される写真には、どんな思い出や想像が去来しているというのだろう。きっと、まわりの人がつかさを見る時も同じような興味を持って見ているのだろうが、その人たちも聞いてみることはマナー違反だと思っているに違いない。この空間にゆとりを感じるのは、つかさだけではなかったであろう。
 逆にこんな世界をマンガに描いたら、どんな絵になるというのだろう。
 昔のそれこそ、昭和初期を描いたマンガもないわけではないが、想像しているものとさほど違っていなかった。
 写真で浮かんでくる想像力でしかないのだから、そんなに豊富な想像力であるはずはない。どれだけ想像を形にできるか、それこそ漫画家の技量なのだろうが。やはりその偉大を描く人が少ないのは寂しいところだ。
 逆に、明治、大正を描く人は少なくない。それらの時代の表舞台よりも、貧しい農村などで起こっているホラー的な作品が売れていたり、あるいは、大正ロマンと言われる庶民よりも少し上流階級を描いた華やかな作品も人気があったりした。そういう意味ではあまり知られていない大正という時代を描いた作品に興味を持つ人は、想像力が豊かなのではないかと思えた。
 その時に、つかさは、再度思った。
「小説とマンガの境が分かりにくくなっているんだ」
 という思いである、
 しかもそれは、マンガが小説に近づいているのであり、小説がマンガに近づいているわけではない、確かにまだ小説も十分に娯楽として本屋のほとんどを占めているが、雑誌や専門書も少なくない中での文芸作品。それに比べてマンガの張っては底を知らないと言ってもいいだろう。
 ただ、実際に売れる売れないを別にして、マンガを描いている人を考えると、その絶対数がどれほどのものなのか、想像もつかない。そういう意味で、hン屋で増えてきているマンガというのは、この世に生を受けたすべての完成品の中からいえば、本当に氷山の一角でしかないのかも知れない。
 小説などが文庫本になって本屋の一角を賑わしているように見えるが、それも親などから聞くと、今の本の並びはまったく変わっているという。
「昔の小説などは、有名作家の本がどれだけ並んでいるかというのが、一種の本屋の規模を見る指標のようなところがあって、出版社も、出せば売れるという時代があったことで、有名作家の本は、作家の先生の中では。これを発表するのは恥ずかしいくらいの駄作だと自分で言っているような作品でも出版社が発行するんだよ。それでも売れる時代だったのだから、今の本屋からは想像できないだろう? 本棚の二段くらいを一人の作家が占有するなんてザラだったんだよ。百冊以上の文庫本を発行している作家さんは、いくらでもいたからね」
「へえ、今では想像もできないな」
 というと、
「今は本当に売れるものか、統計的に過去に売れたものしか置いていない。過去に一世を風靡したものも、今では覚えている人が一部のファンに限られているので、本を置くだけ無駄だということよね。相当が廃刊になったんじゃないかしら? もっとも。今は電子書籍というものがあるけど、これだって、すべてが電子書籍になっているわけではないよね。紙媒体であっても、電子書籍であってお、忘れた頃に、復刻版などと言われて売り出されるけど、本当に売れる作品なのかどうか。分からない。だから、誰にも気づかれずに復刻版も廃刊になるのかも知れないね」
 と言っていた。
「今は、ライトノベルというような作品が多くて、表紙もマンガが描かれているようなものが多いのよね。それだけならいいんだけど、昔の探偵小説などは。鬼気迫るような恐怖の絵が主流だったのに、今は、怖いんだけど、イケメンの探偵や主人公が、怯えている姿を見せることで、いかにも探偵小説というイメージを醸し出しているんだけど、それをもし今の若い人が読んだらどんな気持ちになるのかしらね?」
 とつかさがいうと、
「以前は、表紙カバーの絵が、結構本を手に取るきっかけになっていたものだけど。今のマンガの作風で書かれた絵であれば、手に取る若者もいるかも知れないわね。でもそれを買って読んでみる人もあるいはいるような気がするの。でも、本を読むのにはかなりのハードルがあると思う。ライトノベルなどを読む人は、どうしても行間が空いていないと読めないという人がいたり、セリフがほとんどない作品は目が痛くなるという人もいるでしょうからね。でも、少しでも読もうとすると、今の子だって想像力はあると思うの。逆に想像力に飢えているかも知れない。マンガやドラマを見ているだけで、想像力を感じているとすれば、本当の意味での想像力を知らないということでしょうからね。そう思うと、読み始めると、案外、本当の想像力に目覚める人だっていないとも限らない気がするのよね」
 というではないか。
「それは希望的観測なんじゃないかしら? そんな人がたくさんいれば、もっと本が売れそうな気がするもも」
 とつかさがいうと、
「確かに下どまりの状況にあるんだけど、決して本屋から文庫本がなくなることはないでしょう? それはきっと年配の読者だけではなく、若い人の中に、想像力を掻き立てられることで、本を読もうとしている人がいるからなんじゃないかと思うのよ。そういう人はきっとなくならないと思うの。今が下どまりだとすると。今後も、この状況を数位すると思うんだけど、ブームというのは、必ず回帰するものなので、また来ると思うのよ。その後がどうなるか、それが興味深いところなんじゃないかな?」
作品名:催眠副作用 作家名:森本晃次