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催眠副作用

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 それはまるで、自分の顔ほど、本人が認識することができないのと同じ感覚と言えるのではないだろうか。
 自分の顔は鏡などの媒体を使わなければ見ることができないという当然のことの確認のようだったのだ。
 弥生はどうやら、精神分析と犯罪心理に興味を持ったようである。つかさもそんな弥生に感化されるところがあり、彼女が持ってくる本などを見ては、自分なりにいろいろ考えていた。
 弥生が犯罪心理という本を読んでいるのに対し、つかさは、弥生が気にしている時代の探偵小説などを気にしてみるようになっていた。
 特に大正末期から昭和初期くらいまでの探偵小説と、戦後の探偵小説とでは、なかなか趣も変わってきている。
 当然その間に戦争があり、敗戦による占領時代という波乱の時代があったのだから、当たり前のことであろう。
 戦前の探偵小せつぃと呼ばれるものには、探偵小説の分野であったり、呼称というものが、作風によって、若干論争のためになるものがあった。
 例えば、
「本格探偵小説と、それ以外」
 という発想である。
 これを小説の分野の一種の歴史として見ると結構面白いことに気づくこともあり、つかさには興味のあることであった。
 まずは、小説家の中に、
「本格探偵小説」
 という言葉を提唱する人が現れた。
「探偵小説というものは、ストーリー性もさることながら、謎解きやトリックなどに重きを置いたものと、それ以外の小説全体の持つイメージ、つまりは、猟奇的なものであったり、怪奇、空想科学、幻想などと言った、ホラー、SF、オカルトと呼ばれるものに分かれていくことになる。実際に探偵小説の中では、猟奇的な不健全と見られる分野として、いわゆる変格探偵小説と言われる部門に分かれて行った」
 と言われている。
 つかさは、まずは、変格探偵小説から読み込んでみることにした。
 ストーリー、謎解きというよりも、猟奇的であったり、人間の内面にある隠さなければならない心理が犯罪という形になって表に出てくる。それが変格探偵小説と呼ばれるものである。
 それを見た時、
「これって、カタルシス効果と言えるような感覚ではないかしら?」
 と感じた。
 Kタルシス効果とは、自分の内面で抑圧してきたものを、我慢せずに吐き出す形である。犯罪というものも、広義で考えれば、カタルシスだと言ってしまえば、犯罪を犯す広い意味での動機ということになるのではないだろうか。
 小説をして書いている分には、自分の中での思いを発散させることが、自分の仕事になるのだがら、中には、
「趣味と実益を兼ねた」
 と思っていた人もいたであろう、
 中には、変格小説として、
「犯罪者が探偵小説家で、自分の作品をよりリアルに仕上げるために、実際に小説家を表の顔だとすれば、裏では犯罪者だった」
 というエピソードをテーマにした小説も少なくはなかったろう。
 その思いが過去から紡がれていると思うのは、かつて海外で書かれた。
「ジキルとハイド」
 という作品である。
 完全に相反する性格を二重人格として持ってしまった一人の男の物語であるが。これは開発した薬によって作られた、
「もう一つの性格のお話」
 であった。
 だが、実際に、これだけ長い歴史の中で、リアルに、
「ジキル博士とハイド氏」
 が存在しなかったと誰が言えよう。
 元々この作品も、何か題材が実際にあって、それをイメージして書かれた小説なのかも知れない。
 そう思うと、つかさは変格探偵小説に興味を持った。
 ただ、彼女の中では。
「これを現在のミステリーの中では一緒にできないものではないか?」
 と考えるようになっていた。
 変格探偵小説の中で好きな作家がいた。その作家は心理的な内容を言葉で表現し、その内容を小説のテーマとして挙げているので、小説で聴いた言葉を実際に専門書で調べてみたりした。
 それが、その時の趣味のようになり、意識の中で、
「心理学と犯罪学の融合」
 とまで思うようになっていた。
 その中で、実際にカタルシスについての話を描いている作家がいた。
 その作品では普段から、不満に思っていることを絶えず口にしている人で、言わないと気が済まないという、病気のようなものを持った人だった。
 せっかくいた友達も次第に遠ざかり、その中の一人がノイローゼになってしまった。その人は自分のノイローゼの原因が、その人だと思い込み、殺害してしまったが、実際のノイローゼの原因は他にあったのだという、
 なぜ分かったのかというと、その人が死んでも、自分のノイローゼが治ることはなかったからだ。ちなみにこの小説の主旨は、殺人事件を解決するという、単純な探偵小説ではなく、実際には捜査の途中の描写はあるが、それはあくまでも主人公に対しての聞き込みであったり、主人公について分かったことを描いたりした程度で、実際に犯人が捕まる場面も書かれているわけではない。
 最後まで読み終わってしまうと、そのあたりの描写を書いてしまえば、この話の趣旨から離れてしまうということで、敢えて載せていないのではないかと思ったほどだった。
 主人公のノイローゼが相変わらずで収まるわけではないというよりも、彼が死んで誰も不満を人に言わなくなったことで、主人公は自分のノイローゼがなくなることは永遠になくなってしまったと思い込んでしまった。
 彼のノイローゼは、殺してしまった人がいう不満からではなく、むしろ、誰かが不満を言ってくれることで、自分のノイローゼの部分を吸い込んでくれていたということだったようだ。
 それを自らの手で消し去ってしまったのだから、永遠にノイローゼから逃れられないと思い込んでしまったのも無理もないことだった。
 彼とすれば、殺した相手が、自分の代弁をしてくれていたのだろうと解釈をした。なるほどそばにいて聞いていれば、不快な気持ちに陥って。自分のノイローゼに火をつけているかのように思えてくる。しかも不満を人にぶちまけるようになった頃に、ちょうど自分のノイローゼが自分の中で確定したように思ったからだ。
 それまではノイローゼも若干あったのだが、それはノイローゼ気味という程度で、そこから先発展するのか、徐々に下火になっていくのか、どちらともいえる状況だった。
 しかし、その状況をノイローゼだと確定させるくらいまで発展させてしまったことで、自分の中で、
「カタルシス効果というのは、その人に効力のない。まわりに対しては害でしかないものなのだろう」
 と思い込んでしまったのだ。
 そもそも、この思い込みという精神状態が、ノイローゼを引き起こしてしまったのだろう。自分では勇気がなくて、自分の中の不満をぶちまけるというカタルシス効果を持つことができなかったくせに、無意識にその人の感情に乗っかかっていたことを本当に知らなかったのだろうか。知っていて、そんな自分に対して嫌気がさしてしまったことも、ノイローゼの原因だとすれば、相手を殺してしまうというのは、まったくのお門違いであり、本末転倒な仕業であった。
 その小説の結末では、結局主人公が自殺をすることになる。そして、この小説のテーマとして、
作品名:催眠副作用 作家名:森本晃次