催眠副作用
そこに書かれている犯罪は、きっと今の性犯罪の元になったようなものなのかも知れない。その中の一つに、夜になると、ある場所で起こる女性暴行事件。一人が捕まっても、次から次に同じ場所で犯罪が繰り広げられる。最初は犯行が凶悪だったことで、その道を通る女性がほとんどいなくなったが、犯人が捕まると、また増えてきた。しかし捕まったにも関わらず、さらに犯罪が続くと、また人が減った。
だが、一回目とは明らかに減りはすくなかった。警察の努力により、また犯人が捕まったという。
それなのに、また犯罪が起こった。今度は若干二人目の逮捕から時間が経ってからのことだったという。
すると、今度は人が減ることはなかった。犯罪は繰り返させるのだが、なぜか人は減らなかった。ただ、女性の側でも準備している人がいたようで、一人歩きをしている中で、少し離れたところを、屈強な男が彼女を護衛するように歩いているのを犯人は分からなかったようで、一人歩きしているその女を襲うと、電光石火でその男が襲い掛かり、暴漢をやっつけてしまったという。いわゆる最終的には殺害したのだ。女を他紙桁男は現行犯逮捕され、刑に服すことになったが、今度はそのあとからは、女性を狙った犯罪ではなく。男が暴漢をやっつけるという犯罪の傾向に移行したという。
ウソのような本当の話としてその本には書かれていたが。要するに、
「犯罪は連鎖する」
ということが言いたいのであろう。
「事故は連鎖反応を起こす」
と言われているが、犯罪というのは、特に計画的なものは、犯人が意志を持って行うものなので、連鎖反応というものは、
「模倣犯」
だと考えていいだろう。
犯罪心理と模倣犯
普通、愉快犯であったり、異常性欲を満たすために行う犯罪は、犯人が抑えることのできない感情を、犯罪という最悪の形で表に出すものだ。だが、捕まりたくはないのは当然なことなので、一度行うと何とかそこで自分の感情を抑えることができると思っていたのかも知れない。
だが、一度やってしまうと、その成功が心の中での自信につながったのかも知れない。
「犯罪を犯しても、無能な警察などに捕まるわけはない」
という驕りである。
だが、一度成功すれば、二度目はハードルが一気に下がることだろう。犯人が捕まらない以上、警察は同じ場所の同じ時間の警備を厚くするはずだからだ。それでも警察の一瞬の隙をついて犯行に及び成功などしてしまうと、さらに犯人は自信をつけることになるだろう。
警察には、
「警備を敷いた」
という自負と、
「まさか、同じ場所、同じ時間に犯行を繰り返すはずはない」
という油断の隙をついたのだ。
つまり、精神的な心理の溝を抉ったと言ってもいいかも知れない。
だが、次は警察も必死だ。犯人がまた犯行に及べば、今度は完全に袋のネズミであり、飛んで火にいる夏の虫だった。つまりは警察と犯人で交互に優勢さが逆転するという発想である。
では、一般人の感覚はどうであろう。
最初はまったく想像もしなかったところで起こった犯罪に、恐怖の底に叩き落されたことで、少々不便でも別の道を通ることになる。そちらの方が明るくて危険はないというわけではないが。一度起こってしまった場所を通るという心境にはならなかった。
だが、そう考えるのは半分くらいの人だろうか。それでも一度目はほとんどの人がその場所からいなくなったが、犯人が検挙されることで、人出は戻ってくる。再発の危険を予見しながらも不便さを再度味わう感覚にはなれないのだった。
だが、二度目が捕まり、今度は三度目……。
そうなってくると、群集心理は感覚が鈍ってしまうもののようで、彼女たちは考えるようだった。
「これだけ何度も犯行が行われる場所で、危険だと言われている場所なので、警察の警備も厳重になっていることだろう。それもごく当たり前のこととして警備されている。でも、それがマンネリ化することはない。何度も起こっているだけに、今度再発すれば警察の面目は地に落ちてしまう。そういう意味で、ここほど警備という意味で安全な場所はないと言えるだろう」
という心理が働くのだ。
だが、、この心理は当たり前のことであり。犯人の心理と警察の捜査能力とは関係のないものだった。したがって、連鎖で犯行が起ころうとも、いつもここを利用している婦女子にとって、一番安全な場所であるということに変わりはないのだった。
それをまわりの人は他人事のように分析して。
「狙われる方も、どうしてこんなに犯行が繰り返されるのに、どうして人が減らないのか不思議でしかない」
と思っていることだろう。
そう、他人事で考えていたのでは、深層心理を見抜くことはできない。自分がその立場に陥った時として考えなければ、同じ立場にはなり切れない。
だが、あくまでも自分は襲われるはずのない立場をしてみるのだから、どこまで心境に近づけるか分からない。分かってはいけない結界のようなものがあることだろう。
だから、その場所を毎日のように通っている婦女子の気持ちと、事件を記述して後世に残そうとした人の心理は違っているはずなので、その人たちの心理を、その本から見ることはできない。
むしろ、その本から、被害者が減っていないということに対してその人たちの心境やその理由を考える人がいるだろうか?
あくまでも、この本は、当時起こった模倣犯のような事件が、数件続いた時代だったという事実を書きたかっただけのであろう。
心理的な話はほとんど書かれていないが。その本を見つけてきて。わざわざつかさにその内容を見せようとした弥生の心境は、一体どういうところにあったのか?
ただ、この時代には性犯罪が多く、その中でも通り魔的なものが多かったと言いたいのか、それとも、模倣犯が流行していたといいたいのか、それとも連鎖が事故と違い、作為の元に行われたといいたいのか。よく分からないまま弥生の顔を覗き込んだが、こういう時の弥生は徹底的に表情を変えようとしない。きっとつかさが弥生の顔を見つめる時は、そのほとんどが、彼女の問題としたいものが見えてこずに、いくつかの仮説の中で考えたことを目で訴えようとしたものを受け付けないといった構図が生まれているようであったのだ。
この本における犯罪には、何か異様な寒気を感じたのだが、それはつかさが時代背景に強い意識を感じていたからだった。
実は弥生が言いたかったのも、この時代背景の中で起こったこの犯罪が、どれほど自分を驚愕させたのかということであった
弥生も、
「つかさならきっと同じことを思っているはず」
と感じたから、敢えてこの本の内容をつかさに教えたのだった。
何度かこれからも弥生が見つけてきた本の内容を弥生に示そうとすることがあるのだが、そこにこのような彼女の意図が含まれているのだということを、徐々に知っていくことになる。
そこまで分かってくると、弥生がつかさの感情をいかに知りたいかということも分かってきて、弥生はつかさのことを知りたいという感情が、ひいては自分の感情の本質を見つめることになると思うようになったのだ。