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短編集122(過去作品)

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 顔が真っ赤になって冷や汗も出てくるだろう。そこまでは分かるのだが、私ならそこを逃げ出したい衝動に駆られるが、もし相手にそれ以上触発されるような言動をされると、このままでは引き下がれない思いも浮かんでくる。
 男は完全に切れているようにも見える。こちらがもう少し冷静であれば、そう思う前に優勢な言葉でも浴びせられたのだろうが、すでに時は遅く、喉はカラカラに渇いてしまっていて、どうやら、目は虚ろだったようだ。
 男が何やら喚いているが、ハッキリと聞こえてこない。聞こえていたとしても、それを理解するだけの余裕すら失っていた。
 完全に私の劣勢である。まわりの人たちの視線も感じ、何とか早くこの場を立ち去りたいという気持ちで一杯だった。
 男にとってその場で何をしたいのか、本人も分かりかねているようだ。逆にその方が恐怖を感じる。お互いに一触即発で睨み合っているが、仕掛ける様子はない。そう、将棋のように動けば隙ができると思っているかのようにである。
 しかし、将棋との決定的な違いは、本当に先を読んでいるわけではなく、次の行動がまったく分からないのだ。本人にすら分からないのに、相手に分かるはずがない。読み合いをしているわけではなく、自分の行動すら分かっていないのだ。
 実に始末に悪い。このまま硬直状態を続けるわけにも行かず、少し私が動いてしまった。前に少しだけ動いただけだが、相手はビックリしたのか、思わず私の胸ぐらをもう一度掴んだ。
 相手も困惑していた。どうしていいのか分からないのだ。私ももちろんどうすることもできない。当事者それぞれに考えあぐねているからだ。
「おいおい、それくらいにしたらどうですか?」
 パッと見た感じでは大学生のような爽やかさのあるお兄さんが、涼しい顔をして声を掛けた。スーツを着ていたので、サラリーマンであろう。その表情は実に爽やかで、まわりの人には絶対にない表情である。
「ああ、そうだな」
 胸ぐらを掴んだ男は、手をどけて、男の顔を見つめている。バツの悪そうな顔をしているが、その実、安心しているのかも知れない。そのことは助けてくれた男にも分かっているかも知れない。
「ああ、そうだよ」
 この答えがそれを物語っていた。会話だけを聞くと知り合いのように感じる。これだと喧嘩を売ってきた男の面子も保てるというものかも知れない。
 男にしても因縁だと思って喧嘩を売ってきた。自分が悪いのに売ってしまう喧嘩もあるのだろう。それこそ喧嘩を売らないとバツが悪くなってしまうと思ったに違いない。
 男にしても、振り上げた鉈の落としどころに困っていたはずだ。
 戦も始める時よりも終わる時の方が難しい。始めは勢いでできるが、終わる時は遺恨を残さないようにしないといけない。
 一番いいのは、第三者に仲介してもらうことだ。そういう意味で若いサラリーマンの登場は二人にとってありがたかった。
 バツの悪い男は、もうその男に会うことはないだろう。だが、私はその人とその時だけで終わりたくはなかった。
 タバコを足で揉み消して、
「けっ」
 と精一杯の虚勢を張って、捨てゼリフを残し離れた車両から乗っていった。
「ありがとうございました」
 私は、そのサラリーマンに深々と頭を下げた。
「本当にマナーやモラルの守れない人がいるから大変だよな。気をつけた方がいいよ」
 サラリーマンは、そのまま隣の車両に乗り込んだ。私はその人の背中を見ながら、
「また会えそうな気がするな」
 と思ったものだ。
 意外とその機会はすぐに訪れた。学校の近くで一度空き巣事件が発生したことがあった。学校の近くだったこともあり、目撃者探しで学校のまわりを刑事が聞き込みに歩いていた。
「あれ?」
 見覚えのある人だと思ったが、帽子をかぶって制服を着ていたので最初は分からなかったが、紛れもなく助けてくれたサラリーマンだと思った人だった。
「この学校かい?」
「ええ」
 まさか、警察の人だとは思わなかった。
「警察の方だったんですね」
 なぜか後ろめたさを感じながら話し掛けた。服装からすると巡査ではないだろうか。刑事のように格好いいわけではないので、相手も少しバツが悪かったかも知れない話しかけなければよかったとすら感じた。
「いやいや、巡査部長だからね。あまりパリッとしているわけではないよ」
 その笑顔は、マナーの悪かった男を撃退してくれた冷めた目のサラリーマンではなかった。どこかに田舎臭さを残したいかにも「おじさん」で、しかし、それだけに親近感が湧いてくる。
 その日は空き巣狙いがこのあたりを横行していると言って、元々パトロールの予定だったという。パトロールが終わればその日は昼から非番だったのだ。
「今日は早く終わるから、一緒にお茶でも行かないかい?」
 本当に気さくな人だ。警察の人というと、サスペンスドラマで見た雰囲気しか知らないので、事務的で、しかも人情味があまりない人ばかりを思い浮かべていた。それでも、
「以前のおまわりさんは、それほどひどい人はいなかったよ」
 父親あたりはそう話す。だがおじいさんあたりに聞くと、また話が違ってくる。
「おじいさんの頃は戦争中で、憲兵隊というのがあって、それこそ反政府のような連中を取り締まるためだけの警察があったものじゃよ」
 話には聞いたことがあるが、悲惨なようだった。
 学校が終わると、おじさんはスーツ姿で校門の前で待っていてくれた。先ほどの人懐っこさから、敢えて「おじさん」と呼びたい気持ちになったことを心の中だけで了解を得ていたが、おじさんには分かっていたかも知れない。
「近くにある喫茶店でいいよね」
「はい」
 学校から駅に向かう途中にある喫茶店。一度友達と入ったことがあったが、あまりコーヒーを飲める方ではないので、それ一度きりだった。
「コーヒーでいいよね?」
「はい」
 さすがに苦手だとはいい辛く、我慢してでも飲もうと思っていたが、実際に口にしてみると、それほど苦味もない。一応気心知れていると思っても緊張はするもので、程よい緊張が苦さを甘さに変えてくれたのだ。
「おじさんが警察に入ったのは、昔からモラルを守れない人が許せなかったからなんだ。君のようにモラルを守れない人に対して毅然とした態度が取れる人が羨ましくてね」
 自分からおじさんというところが、やはりイメージしている雰囲気を感じ取ったのかも知れない。
「おじさんは、モラルを守れない人に注意したりしたの?」
「いやいや、そんな度胸はなかったね。頭の中で妄想していたりはしたよ。相手をぶん殴ったりするような想像までしたくらいだ。だけど、想像してしまうということは、それだけで満足してしまうということで、その時は満足できても、後になってから後悔の念に襲われたりする」
「後悔の念ですか?」
「ああ、それは変な想像したことではなく、その時に満足してしまったことになんだ。もし嫌な思いでもしていれば、もう少しモラルを守れない人間に食ってかかるくらいの根性を持てたかも知れない」
「おじさんに根性がなかった?」
作品名:短編集122(過去作品) 作家名:森本晃次