短編集122(過去作品)
父兄参観などで、つけている香水は、嗅いでみれば多少の変わりはあるかも知れないが、似たり寄ったりで、個性を感じさせない。きっと百貨店の一階にある化粧品売り場で、
「奥さん、これなんかお似合いですよ」
と店員におだてられて買ったものに違いない。事実、家族で百貨店に出かけた時、一階の香水売り場で母親が店員のおねえさんかおばさんにおだてられて、楽しそうにしているのを何度見たことだろう。それに比べて直子の母親には、しつこさを感じさせる匂いがない。百貨店の匂いはなかなか消えないが、直子の母親がつけている香水は、いやらしさを感じさせることもなく、自然と通り過ぎていく。しかし、確実に鼻を揺さぶったに違いなく、そよ風が桜の花を散らして通り過ぎていく光景を思い浮かべることができる。それも、背景はなぜか夜で暗い。夜桜に似合う香水だった。
大人の女性と、本当に純粋無垢な女性が親と娘だと思うとおかしな気持ちになる。直子も大人になると、こんなに妖艶になるのかという思いと、直子の母親も子供の頃はこんな純粋無垢な女の子だったのかという重いとの両方がある。
ということは、どこかで変わってしまったということになる。変えるとすれば男の存在であろうが、小学生の頃の私にはそこまで思いが浮かばなかった。
時々今でも直子の夢を見ることがある。子供に戻った私は、直子とは違う純粋無垢な女の子と遊んでいるのだが、そこに妖艶な女性が、
「早く帰りなさい」
と迎えに来る。
その女性は直子が大人になった姿で、面影は残っているが、妖艶な雰囲気が全体を包んでいた。
「はい」
その子は素直に従うが、その目には妖艶さが滲み出ている。明らかに直子のお母さんの雰囲気だった。
――夢で親子関係が入れ替わっている?
と思った瞬間に、今度は私の親が迎えに来た。
その姿を見た時、
「あ、俺だ」
思わず声を上げると、今度は今まで見上げていた視線ではなく、見下ろしていることに気がついた。
そこにいるのは、私であった。それも子供の頃のw足し。本来であれば、鏡でしか見ることのできない自分の顔を、しかも、子供の頃の自分だと瞬時に分かってしまうところが夢だと感じた最初だった。
夢だと気付くと、すべてが分かってきたようだ。
本当の自分は大人で、夢の中のお父さんは今の自分なのだ。それを見せてくれたのは、直子が成長した姿になったからであって、直子の母親が子供になっているのは、直子の子供時代を思い出したいと思ったからである。
――どうしてこんな夢を見たのだろう?
その理由は明白であった。
「俺は今の直子に会ってみたいのだ。会うことが叶わなくとも一目見てみたいという気持ちなのだ」
と自分なりに理解した。しかし、一目見れば話しかけたくなるのは当たり前のことで、夢の中でも言い訳を考えている自分が少しいじましく感じられた。
ネットに嵌ったのも、その気持ちがあるからかも知れない。
どんな人か想像するというのも楽しいが、実際に会った時にどんな気分になるか、そして、相手がどんなリアクションを示すかという気持ちが強い。
まだネットを始めてそれほど年月が経っているわけではないので、どれほど頭の中にリアルな雰囲気を抱いているか分からない。リアルなイメージと実際に会った時のギャップについてなど考えられないし、
――何から話したらいいんだろう――
というところから入ってくるものだ。
ネットをしていると、時間も忘れるが、自分自身のことも忘れていることが多い。
最初のネットではほとんど何を喋ったのか、後になってから思い出せるものではない。まるで時間が止まってしまったかのようだ。
だが、最初の頃から、勝手なイメージとして、直子を思い描いていたかも知れない。相手のイメージが、妖艶だと思うと、母親をイメージし、純粋無垢だと思うと、子供のまま成長したイメージを抱く。どちらかというと妖艶なイメージの方が強いかも知れない。
「本当に会ってみたいね」
何度か話をする人の中にはそういう人もいるが、それを言われると、気持ちが萎えてしまうこともある。不思議なものだ。
いまだに会ったことがないというのも、そのイメージが強く頭の中に残っているからかも知れない。
この間話をした人も、やたらと、
「会ってみたい」
を文字にしていたが、どうにもすぐに会いたいというのもネットが流行っていると増大してくるネット犯罪が頭をかすめ、なかなか素直に感情を出すこともない。
だが、本当に仲良くなった人とは、ぜひ会ってみたい。そういう人に限って、自分から会ってみたいとは言わないもの、何とか、言わせたいと思うが、難しいものだ。
そんな時、女性の中に恥じらいを感じ、純粋無垢な少女を思わせるのだ。それが直子であったらいいなどと思ってしまう。
初めて会う約束をした時はさすがにドキドキした。その日は相手の反応も心なしか遅かったような気がしたが、それは会う話を切り出す前からのことだった。
文字でやたらと「…」を使われると、ドキドキしてしまう。男から見て女性の恥じらいが感じられる文面だ。
会う約束を始めると、彼女も楽しそうな会話になったので、
――これは脈ありだぞ――
と思った。確かにデートの場所や、何をするかなどの話をしていると、私などよりも彼女の方が積極的に話してくれる。
お互いに写真交換は済んでいた。写真というのは写りのいい人も悪い人もその表情だけで想像してしまう。写真写りが悪いと思っている人も、実際に会えばイメージそのままだったりすることもあるし、抱く人によってもさまざまな想像力を与えるための、自由な発想を植えつける。
私は彼女の写真を見て、まず笑顔が似合うことが嬉しかった。笑顔が引きつっている人であっても、笑顔を作ろうとしている努力が伺えると、こちらの表情も穏やかになる気がする。
「早く会ってみたいな」
そう思わせるような写真で、ネットでも、何度も文字にした言葉だった。
「ええ、早く会いたい」
公園での待ち合わせが一番二人らしいということになり、公園の最寄駅で待ち合わせることにした。
都心部は待ち合わせのメッカで、いくら写真で分かっていたり、メールや電話が携帯でできるとはいえ、せわしい中での待ち合わせになるに違いない。それならどうせなら最初に行ってみたいところの近くがいいだろうということで、公園の近くになったのだ。
その公園は、大きな池が中央にあり、向こう岸まで一本中央に道ができている。まるで日本三景の天橋立のようだ。
途中には浮き御堂があり、琵琶湖を思わせる。随所に全国の観光地を思わせる場所が設けられていて、行ったことのない人でも行った気にさせてくれるそんな公園だった。
学生時代にデートで利用したことがあったが、あの時は、初めてのデートであり、最後のデートでもあった。何が気に入らなかったのか分からないが、
「あなたとは友達以上には思えないの」
と言って、次からデートをすることもなかった。
何とも今から考えれば常套文句ではないか。別れたい時、相手を傷つけることなく別れられると女性は思っているのだろうが、そう言われた方は、ショックと疑問だけが頭に残るだけである。
作品名:短編集122(過去作品) 作家名:森本晃次