動機と目的
と思い、事務所の電話から、警察へ連絡した、そして警察が到着する前に、まずは上司に報告をしないといけないと思い、山口はまず、所長に連絡を入れた。
本当であれば、所長直接ではなく、副所長の波多野氏へ連絡を入れなければいけないのだろうが、どうしてもそれはできなかった。
署長の清武に連絡を入れると、
「分かった。すぐに行こう。それまではなるべく何も触らずに、警察がくれば、警察の指示にしたがって行動してくれ」
と言ったあと、思い出したように。
「どうして私に最初に連絡をしてくれたんだい? 緊急時のルールとしてはまず副所長だということになっているのでは?」
と、社長は、電話がかかってから死体があったという報告を受けただけの時に思い出したようにそう言った。
「それが、そうもいかなかったんです」
と山口がいうと、彼が一体何が言いたいのか分からず、疑問は収まらず、
「どういうことだ?」
と聞くと、
「実は、最初に発見した女性というのが、副所長の妹さんである、波多野千晶さんだったんです。社長としても、秘書であり助手ですので、まずは肉親の副所長よりも、直属の上司である所長に連絡をすべきだと感じました」
と山口はそう言った。
一瞬言葉を失った清武所長だったが、
「よし分かった、上層部と波多野副所長への報告は私の方でしておこう。それともう一つなんだが、一緒に死んでいるという男性の身元は分かったのかね?」
と聞かれた山口は、
「ええ、もう一人の被害者は阿佐ヶ谷家長でした。なぜ、波多野さんと阿佐ヶ谷家長がそこで亡くなっていたのかは分かりませんが、とにかく私は警察が来るのを待つようにいたします」
というと電話を切った。
とにかく時間的には、まもなく署員が出社してくる時間でもあり、他の部署はすでに稼働している。それを思うと警察が入ってきただけでパニックになることは想像がついた。清武所長とすれば、本当は自分が上層部と戦後策を協議する間、現場を取り仕切る刑事と、従業員の間に入ってもらう人として適任だと追われる副所長の娘が被害者ということで、難しいと思われた。ひとまず、自分が会社に出社しなければならないことは目に見えていたのだ。
そうこうしているうちに、現場に警察がやってきた。辰巳刑事と山崎刑事のコンビが神妙な表情で数人の捜査員を連れてきたのである。
「ご苦労様です」
と、山口は、先頭を歩いてきた辰巳刑事に敬意を表したが、辰巳刑事は軽く会釈をして山口を見た。
「あなたが、通報してくださった山口さんですか?」
と聞くと、
「ええ、そうです」
と言って、明らかに動揺しながら、声も震えている。
無理もない、人が殺されているところを見るなど、一生のうちにあるかないかというくらいのものであり、しかも自分が第一発見者ともなると、まず想像することもないだろう。
「じゃあ、殺害現場を拝見いたしましょう」
と言って、山口に案内させたが、山口と一緒に開発部の事務所に入った二人は一様に、
「むっ、うう」
と呻いて、顔をしかめ面にしたまま、口や鼻を塞いだ。
「なんだ、この臭いは」
「研究所員である山口でも、最初に入った時に違和感があった臭いである。まったく研究に関係のない人であれば、この臭いは耐えられる限界を超えているかも知れない。それほどの異臭が漂っていたのだ」
甘い匂いと酸っぱくて腐りかかった臭いが、消えるどころか、時間の経過とともに、さらにひどくなっているのではないかと、第一発見者として、先ほどの臭いを知っている山口は感じた。それほど、短期間で臭いの不快さが倍増していたのだ。
液体の正体
倍増という言葉はこの場では少々おかしなものに感じられた。
というのも、臭いの度級というものに概念がないように思えたからだ。度級というものは、必ず一となる基準のものが存在し、そこから判断するのだろうが、臭いの場合はその基準が機械でもなければ計れない。これが匂いであっても同じことである。やはり一がないのだ。
特に臭いとなると、臭いの元は今回のように、幾種類のものが混ざっている場合が多い、甘い匂いと腐りかけた酸っぱい臭い、その二つが混じりあって、信じられないような悪臭を出していた。
「これだけ臭いと、まさかとは思うが毒ガスということも考えられる。とりあえず、県警本部に科学班の出動を要請し、調べてもらうまでは、立入禁止にするしかないかも知れないな。できれば、初動捜査員だけは、防毒マスク化何かをつけれるように手配してもらうしかないだろうな」
と辰巳刑事はいうと、さっそく山口刑事に署に連絡を取ってもらい、手配をしてもらった。
そして、この部屋自体は検証が済むまでは誰も立入禁止となり、開発部は少なくとも、その日一日は、何もできないことになってしまった。
部員の二人が事務所で殺されたというだけでも大きな問題なので、ほとんど仕事にならないと思われるので、それは仕方のないことだろうと山口は思ったが、そのかわり、部員のほとんどは事情聴取を受けることは間違いない。
しかも、防毒マスクが届いてから、検屍が行われるとして、かなり、時間が掛かってしまうのはしょうがないことだろう。
県警の方では、通報があって駆け付けた刑事から、県警に科学班の養成があったり、防毒マスクの使用許可など、初めて聞いた人は、
「まるでテロでもあったのか?」
と感じたかも知れないが、それだけ防毒マスクの使用というのは、大げさであったが、センセーショナルだった。
しかも場所が食品会社の製品開発部。
「一体何を研究しているんだ?」
と言われても仕方がないだろう。
K署から、防毒マスクが念のために十個ほど届けられた、鑑識は自分たちで所持はしているので、彼らに必要はなかったが、捜査員や第一発見者、そして現場に入ってから確認を要する会社の人間などのために用意されたのであった。
それでも、発見されたのが、午前七時半。現場にやってきて、いよいよ初動捜査を始めようかとして、それがこの悪臭で難しいと判断し、各所に手配を終えたのが、午前九時過ぎ、手配が整って、これから初動捜査が始められるというところまで来たのが、午後二時近くだった。
その間六時間以上もの間、死体が放置され、現状保存はできていたが、目の前にありながら何もできないという状態が、捜査員をかなり苛立たせていた。
とりあえず、現状を見てきたということだけでも、事情聴取をすることにして、分かっていることだけを聴取することにした。
「すみません、山口さん。とりあえず現場に立ち入ることができるようになるまで、山口さんが最初に発見した時のお話をしていただければと思いまして、よろしいでしょうか?」
ということで、山口氏の聴取は、午前九時すぎから始められた。場所は物流部門の会議室になっているところで行われた。
「山口さんは、いつも一番に出社されるんですか?」
と聞かれると。