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動機と目的

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「もし、所長と研究員のどちらかを手放さなければならないとすれば、迷わず、所長の立場を手放すことになるだろう」
 という立場を保っているので、最初の彼女の立場は、
「秘書というよりも、助手の方」
 という立場であったが、清武が所長の仕事が中途半端になりそうになっているので、必然的に、彼女に秘書の仕事の比重がかかってきたのだった。
 彼女の名前は波多野千晶といった。
 賢明な読者諸君は、
「波多野?」
 と聞いて、
「どこかで聞いたことがあったような……」
 と感じたことだろう。
 そう、皆さんのご想像の通り、前述の波多野副所長と関係があった。
 そもそも、千晶がこの会社に入社したのは、兄がいたからというのもあった。
 断っておくが、彼女は兄の力で入社できたわけではなく、逆に彼女の成績からすれば、お願いしてでも入社してほしいくらいであった。何も知らない一般所員の中には、
「兄の七光りではないか?」
 と言われるかも知れないが、波多野兄妹は、そんな言葉をいちいち気にするほど、小さな人間ではなかった。
「言いたいやつには、言わせておけばいい」
 という風に、ドンと構えていたのだ。
 千晶は、所長秘書の仕事までしなければいけないということで、その補佐を副所長である兄が手伝っていた、
「さすが、絶妙な呼吸」
 と、清武所長を唸らせるほど、二人への信頼度は絶対だったのだ。
 そんな毎日を過ごしていると、きっと毎日があっという間だったに違いない。
 あの冷静沈着な波多野千晶が、
「もし自分を見失う時期があるとすれば、本当に何かのきっかけが絶妙のタイミングで訪れなければ、道を外すことなどないだろう」
 と言われていた。
 千晶は、会社の中では大人しい方なので、何を考えているのか分からないという人が結構いるが、さすがに兄の副所長と、自分が助手と秘書を兼任している所長の清武には、彼女が何を考えているかは想像がつくようだ、
 しかし、その対象はそれぞれ違っていて。兄が気が付く部分は、清武には言づかない部分であって、逆に気付く部分は兄が気付かない部分であったりする。
 もちろん、共通して分かる部分もあるのだが、このすべてを埋め尽くせば、千晶の考えていることのすべてになるのだった。
 もっとも、清武には自分が分からない部分を兄が分かっているということ、逆に兄には自分が分からない部分を清武が分かっているということは知らなかった。一番この状況を把握しているのは、他ならぬ千晶であった。
 千晶は分かっているというよりも自覚と言えばいいのだろうが、千晶には自覚という感覚がない。自分のことを分かっているのは、自覚からではなく、他人事のように見ることができるからで、それが全体を見ることができるという冷静な目だということができるのだろう。
 だからこそ、千晶には秘書の仕事をしながら、助手もできるというところがあるのだが、それは決して彼女が自分のことを分かっているからではなく、自分のことを他人ごとのように見ることができるという概念からであった。
 清武が所長を務める研究所は、最初はスイーツや洋菓子専門の研究所であったが、次第に調味料や、肥料などの研究も行うようになっていった。その方針を考えたのは、副所長の波多野氏であり、彼は所長を説得して、自分が調味料研究の部長も兼任していた。
 彼は前にいた会社が調味料を専門に販売していた会社であり、開発技術もほぼ昔から競合の追随を許さないほど、強大な会社だった。
 元々、彼を引っ張ってきたのは、調味料研究を細々とやらせるためだったのだが、ここまで調味料にのめり込んで開発ができるようになったのは、波多野氏が元いた会社とのパイプが強かったからである。
 そもそも、前にいた会社が、他の競合の追随を許さなかったのは、新たに開発した調味料の特許をすかさず取得してきたからだった。
 特許を申請し、許可されるまでには、いろいろな書類の提出が必要なのだろうが、まごまごしていると、特許申請が成立する前に、他の会社から発売されてしまう可能性がある。そのあたりを一切できなくするノウハウが、この会社にはあったのだ。
 開発能力と、開発した製品を他に渡さないテクニック。この二つを持っていれば、業界での立場は安泰だと言えるだろう。
 調味料の開発と、牛乳アレルギーに関わる研究は、意外と切っても切り離せない状態だった。
 最初は調味料から開発するという概念までは清武にはなかった。市販の調味料をいかに利用するかということを考えてはいたが。調味料が多きあカギを握っていることは分かっていた。
 そこへ、会社の方で、調味料大手メーカーの重要人物が入ってくるということが分かった。最初は、
――自分の開発にどんな調味料が有効か、調味料の専門家に訊ねてみよう――
 という程度にしか考えていなかったが、波多野氏の方では、
「所長、私はここで、調味用の開発から携わっていきたいんです。前の会社のノウハウは頭の中に入っていますから、ある程度はできると思います。ただ、前の会社のように特許を取りに行ったりするとバレてしまい、せっかく今良好な関係を結んでいるのが壊れてしまいます。そうなると、いい調味料が格安で入荷させることができなくなり、経皮的には大きな痛手です。だから、ここは、開発した調味料を表に公表するのではなく、製品の中に隠してしまえばいいわけです。他の会社もまさかせっかく開発したものを発表しないなんて概念はないでしょうから、うまい作戦だと思います。それは私たちのこの会社が調味料を製造しているという企業としての概要の中に含まれていないからですね」
 と言っていた。
 だから、新しい調味料の部署は、開発目的ではなく、いかに調合するかを専門的に考える部署だということにしておけば、まさか他の会社も、既成の調味料が市場委溢れているのに、わざわざ開発をするのだということに気づくことはないだろう。
「所長、特許を取るよりも、こっちの方が効果的だとは思いませんか?」
 と言われて、説得された清武は、さっそく経営者会議に諮って、新部署の設立に尽力した。
 もっとも、波多野氏の前もって手を打っておいた調整のおかげで、事は思ったよりも順調に進み、部署設立までには時間はかからなかった。
 副所長がそのまま部長になり、ほぼ波多野氏の考え一つの部署になった。表には出すことのできない極秘を持っているため、社員も本当の部署の意味は知らないことだろう。
 だが、ここで開発された調味料は洋菓子やスイーツだけでなく、パンの方にも惜しみなく使われた。完全に、業務用の開発であった。
 この敷地内にある大きく分けて三つある部署。
 開発関係部署、工場、物流センターと、それぞれに稼働時間がバラバラである。
作品名:動機と目的 作家名:森本晃次