小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

動機と目的

INDEX|6ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

 と、年齢に関しても、波多野氏に違和感はなかった。
 波多野氏は元々人の年齢を気にするわけではなかった。どれだけの経験を重ねているかということを重要視していたので、一つの会社にとどまっている人であろうか、いろいろと会社を渡り歩いている人であろうが、優先順位はかなり低いところにあったのだ。
 そんな波多野氏は、実は転職は初めてだった。
 確かに会社に入社した時は、
「年功序列の終身雇用」
 などという言葉は一般的で、
「一つの企業にずっといて、そこで出世し、最後はその会社に骨を埋める」
 というのが、理想のサラリーマンだったのだ。
 だが、頭の中では結構早いうちから、
「実力主義、自由主義」
 という考えが頭にあり、ただ、自分はそんな連中を発掘することに力を入れる方を選んだ。
 自分が動くわけではなく、動かす立場である。
 これは年功序列、終身雇用に対しての、自分なりの挑戦であり、実際に満足のいく成果を果たしていると思っていた。
 だが、時々会社に対しての不満が噴出することも多く、自分だけの問題では肩がつかないことにも直面したりしていた。
 それは、きっと自分が思っているよりも、大きな改革は社会で進んでいるからではないかと思ったが、社会が膨張しているのか、変化が激しいのかということまでは分からなかった。
 実際に、清武は牛乳アレルギーではないが、食するのは好きではなかった。
 牛乳だけに限らず、ヨーグルト、チーズ、乳製品と呼ばれるものは、ほとんど食べることはできなかった。
「人生のほとんど損している」
 と子供の頃によく言われた。
 給食で出た牛乳も、おかずを口に含んで、鼻を摘まみ、臭いを消すかのように一気に飲み干す。子供心によく考えたものだと思ったが、せっかくのおかずを味わうことができないのだから、なるほど、
「人生のほとんどを損している」
 と言われるのも分かる気がした。
 高学年になれば、ほしい人にあげていたのだが、その発想がなかったくせに、よくおかずで飲み干すという発想が思いついたと思う。要するに、目の前の危機をどう逃れるかということで、全体的に物事を見ることができなかったということだろう。
 しかし、そんな性格が大人になって幸いした。目の前のことであっても、思いつくだけ、いいというもので、その分、集中力が極度に発達してきた。もって生まれたものだということなのかも知れない。その方が理屈に合っているような気もする。集中力というのは、確かに鍛練で備わってくるものであろうが、ある程度以上の、専門的な集中力を伴うものということになると、誰もができることではない。その部分が生まれつきなのではないかと思うのだ。
 だが、全体を見つめる目を養う能力は持って生まれたものというよりも、成長するにしたがって、備わってくるもののように思える。特化した部分の養成は、成長期に養われるものだと思っているのは、全体を見る目は、大人になってから備わるものだと思うからで、当然、持って生まれたものだという可能性は低いのだろう。
 清武は、子供の頃から偏食が結構あった。乳製品が食べれないだけで、ほとんどが偏食といってもいいのだろうが、酸っぱいものや辛いものが苦手で、子供の頃は、餃子のたれや、カレーさえ嫌いなくらいだった。
 中学に入ってからは、カレーは甘口なら、餃子のたれも、醤油に軽くラー油を垂らして食べるくらいはできるようになっていた。
 夏より冬が好きな清武は、
「おいしいものが多い」
 という理由が冬が好きな一つの理由だと思っていた。
 そもそも血圧が低く、体温が低い体質なので、夏にはよく立ち眩みを起こしていた。水分と摂っても摂っても汗で出てしまう。汗が出ることで体力が消耗する。その悪循環を思い浮かべると、夏は耐えられないと思うのだった。
「冬は着込めばいいが、夏は素っ裸になっても暑い時は暑い」
 と思っていたのだ。
 夏にはよく呼吸困難になるのだが、それが牛乳がダメな理由の一つではないかと思っていた。
「牛乳というのは、他の飲み物と違って、コロイド状で夏に飲み干すと、喉に引っかかって、さらに呼吸困難を引き起こす」
 と思うのだった。
 大人になってから、健康診断でバリウムを呑まないといけない年齢になってきたので、去年はちょうど呑む年齢だったので呑んでみたが、意外と嫌なものではなかった。
 確かに、食感は牛乳と同じようなものであったが、牛乳の味がするわけではなかったので、味がしないというよりも、嫌いな味ではないことが、
「なんだ。こんなものか」
 という意識にさせられる。
 要するに牛乳が嫌いだというのは、単純に考えて、味が嫌いだということだったのだろう。
 子供の頃は嫌いな理由を、
「アレルギー」
 と言ってごまかしてきたが、大人になると、さすがに偽っているようで後ろめたいので、
「アレルギーではないが、吐き気を催すので」
 というようになった。、
 実際に二十歳未満の子供が起こすアレルギーで、ナンバーツーとなっている。しかし、二十歳を過ぎると、ベストファイブにも入っていない。大人になるにしたがって治ってくるのか、それとも、大人になった初めて発症するという確率がめっきり低くなっているのではないだろうか。
 そんな清武が牛乳アレルギーでも食べれる食品を開発するというのは実に皮肉な気がするが、アレルギーというわけではないので、却ってうってつけなのかも知れない。

               不思議な死体

 清武が開発をしているのは、
「乳製品によって作られる加工食品であったり、調味料の開発」
 であった。
 味の方は、清武のように、牛乳自体を受け付けない人が考えると、
「できるだけ牛乳の味から遠ざけたい」
 と思うのだが、そもそもアレルギーが原因で乳製品を摂取できない人のためということなので、牛乳の味から遠ざけてしまうということは、本末転倒になってしまうことだろう。
 だから、アイデアが凝り固まってしまうことになりかねないとして、助手を従えていた。
 それも男性ではなく女性、やはり洋菓子やスイーツの対象になる性別年齢層というと、二十代から三十代の女性ということになるだろう。
 今の助手は二代目になる。最初の助手は、清武が研究所に入所した時についてくれた人で、彼女が三十歳になった時、寿退職したことで、新たな助手を、当時の新入社員から選んだのだった。
 その女性は、短大を卒業して、三年目を迎えていた。短大での成績も優秀だったので、研究所に配属になったのだが、よほど向いていたのか、すでに開発メンバーとしてはなくてはならないメンバーになりつつあった。
 それから二年してから、研究所が独立して。清武が研究所の所長になったことで、助手兼秘書のような仕事も担うようになっていた。
 しかし、助手としての仕事も何とかこなせるようになり、秘書の仕事はどうなのかと思われたが、実にそつなくこなしている。そもそも短大時代に、秘書検定も摂っていたので、違和感はなかったことだろう。
 ただ、清武は所長になったとはいえ、開発員としての立ち位置を大切にしていた、あくまでも。
「一研究者」
 としての自分だと思っていて、
作品名:動機と目的 作家名:森本晃次