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動機と目的

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 家は裕福ではなかったが、小さな会社をやっていた。さすがに二人の子供はきつかったのだろう。本当は妹を養護施設にと言っていたのを、波多野少年が、
「俺の代わりに妹をよろしくお願いします」
 と言って、涙ながらに頭を下げてきた。
 波多野少年の決意は固く、妹が親戚の家の子供になり、自分は養護施設で育つことになったのだ。
 だが、親戚の家から、妹のことは随時いろいろ教えてもらっていたので、安心だった。おじさんもおばさんも、よく面会に来てくれて、妹の話をしてくれた、おかげで、波多野少年は、
「妹のために」
 という思いで生きていくことができたのだった。
 妹も兄の気持ちを知ることもなく育ったが、妹が高校を卒業した時、兄妹はおじさんおばさんに見守られて、兄妹として再会し、二人で暮らしてもいいという話を訊かされた。
 兄によって引き取られた妹は、最初こそ、兄妹仲睦まじく暮らしていたが、ずっと一緒に暮らしてきたわけではなく、お互いに苦労はしたが、どうしても育った環境の違いはどうしようもなく、次第にぎこちなくなっていった。
 どちらかというと、妹の方がいたたまれなくなったというか、それは兄の視線が気になるからだった。
―ーどうしたというのかしら? あんな視線、兄に感じたことはないわ――
 と思える視線で、兄どことか、他の誰からも感じたことのない異様な視線だった。
 その視線の鋭さは、まるでナイフで刺されているようなものだった。だからといって、痛いだけではない。心地よさすら感じるものだった。それだけに気持ち悪かった。
「痛いなら痛いだけの方がマシではないか」
 と感じるのだった。
 痛い仲に心地よさを感じるのは、まるで、甘い匂いの中に、酸っぱいような激臭が走っている感覚に近い、あまりにも激臭がすごいので、科学班を呼んだというほど、それは異様なことであり、兄に対して感じた相対する思いを異様と感じていたのだった。
 子供の頃からの千晶は、最初は兄を引き取った夫婦から、愛情をもって育てられた。だが、彼女には分かっていたのである。その愛情が見せかけの部分が多かったことを。本当は兄であれば、自分たちを将来助けてくれるのではないかという思いや、後継者になってくれるのではないかという思いがあったことは事実で、その腹積もりで兄を育てていたのに、妹が引き取られた家で迫害を受け、逃げてきたことで、結果妹だけを育てることになったのだが、妹に対して、邪険なことはできなかった。
「あの子は最初の家でも迫害されたということだけど、新しく引き取られた家でも迫害されているらしいわ。引き取った方も前のことは分かっているはずなのに、どうしてまた迫害するのかしらね。後から引きとった方が罪は深いわよ。ちゃんと育てられないのなら、引き取らなければよかったのに」
 というウワサを立てられるのも当然と言えるだろう。
 だから、新しく引き取られた家では、見せかけかも知れないが、愛情をもって育てられた。若干の疑問はあったが、今度は千晶の方が前のように家出はもうできない。今度してしまうと、せっかく表向きには愛情をもって育ててくれている人たちを裏切ることになるのだ。もう世間の目は同情してはくれない。
 お互いにそんなぎこちない生活を送ってはきたが、慣れというのは恐ろしいもので、慣れてくると、ぎこちなさも、飼って心地よく感じられるようになった。
 正確にはこの心地よさは、
「平和な毎日」
 というのを表していた。
 最初引き取られた時は、前の家でのこともあったので、
「一日一日が何事もなく終わりますように」
 という思いだけを抱いていた。
 それ以外を望むのは贅沢なくらいであり、そこまで卑屈な気持ちになっていたと言えるであろう。
 そんな毎日を過ごしていると、思春期になった頃には、自分の生活が当たり前になり、子供の頃の波乱万丈な毎日を思い出すこともなくなっていたのだ。
 今日一日をどのように過ごすかというひな形は自分の中でできていた。そのひな形をベースに毎日を過ごす。違った火を過ごすことが怖い気がするようになっていた。
 思春期になると、千晶は綺麗になっていた。同級生の男の子が放っておくはずもなく、千晶は結構たくさんの男の子から告白をされるようになった。
 そもそも思春期になっても、異性が気になるという感覚はなかった。実際にはなかったわけではなく、凍結していたと言ってもいいかも知れない。
「感覚がマヒしていた」
 という表現が一番近いのかも知れないが、感覚としては、
「凍結していた」
 のである。
 つまり、無意識のつもりではいるが、そこには医師が働いていた。
「自分のような薄幸の女の子に、恋愛などという幸せは無縁なんだ」
 という思いであった。
 無意識というものは、恐ろしいもので、当たり喘に過ごしていることを無意識と思いがちであったが、実際にはガチで感じていることであり、無意識だと自分に言い聞かせているという歪な感情が、芽生えているからなのかも知れない。
 まわりから告白はされるが、そもそも、
「人を好きになる」
 という概念が、千晶にはなかったのだ。
 誰を好きになればいいのか、自分でも分かっていない。基本的に千晶の中で思っている恋愛は、
「自分が好きになった相手が自分のことを好きになってくれるかどうかで決まる」
 という一択だけだった。
 だから、いくら人から告白されてもその恋愛は成就することはなかった。なぜなら、その頃の千晶には、好きになった男子がいなかったからだ。
 大人の男性に対しての憧れはあったが、これは憧れというものだけで、恋愛でも何でもないと思っていたが、実はこれが恋愛感情だったのだ。
 しかも、それを自分の中で打ち消してしまったことで、
「それ以外の恋愛感情を抱くことはない」
 と、自分の中で決めつけてしまったことで、人を好きになるというハードルは、結界となって、超えることのできないものとなってしまった。
 それをハードルだと知らない千晶は、最初からそこにあるのは壁であって、壁の向こうに飛び出すことは最初から不可能だったのだ。
「私に恋愛なんかできるはずがない」
 と思ったのは、たった一人の兄のイメージが頭の中にあったからだ。
――お兄ちゃん以外の男性を男として見ることはできない――
 という思いであり、小さい頃の思い出しかない兄に対して、ほとんど記憶もないくせに、当然恋愛感情などあるわけもなく、そもそもそんな思いを思春期の恋愛感情と同じレベルで感じるなど、ありえないということにどうしてすぐに気付かなかったのか。
 気付いてしまうと、もう、恋愛感情を持つことはないという自分の想いを裏付ける結論となり、結局それ以上、自分にもまわりにも何も望むことのない思春期の一人の女の子になってしまったのだ。
 千晶は、そんな感情をなくしてしまった思春期を通り過ぎると、まわりの人に対しては気を遣うことができる女性になっていた。
 千晶が高校を卒業する頃には、兄に引き取られるという話になっていたのだが、兄はすでに自分が知っている兄ではなくなっていた。
 兄にどんな素質が備わっていたのか分からないが、すでに大手の会社の出世頭になっていた。
作品名:動機と目的 作家名:森本晃次