動機と目的
「じゃあ、まず、殺された二人についての話だね。不倫の関係ではないか? とまで聞いてもいいような気がする」
と辰巳刑事がいうと、
「ああ、そうだね。その時のリアクションが楽しみだ。その後は、白い液体についてと、この臭いに心当たりがあるかということを聞いてみよう。最初は人間関係で、次が研究に関することなので、質問された方は、急に話が飛ぶので、ビックリするかも知れないですね」
と山崎刑事は言った。
「僕は自分の疑問に感じた、一番最初に来るのが山口氏なのかどうか、これは敢えて聞かない方がいいと思っているんだ」
「敢えてですか?」
「ああ、聞いてもいいけど、こちらの知りたい回答は得られない気がするし、それよりも、これが事件を解決するための、何かの切り札になりそうな気がするんだ」
と辰巳刑事は答えた。
そこに対しても、山口刑事は深く聞きなおすことはなかった。辰巳刑事は誰にも言わないと決めれば、梃子でも動かない。そんな頑固なところがある刑事だったのだ。
二人は、一人ずつ事情聴取を行って言った。十人ほどなので、十分で切り上げたとしても、すべての人に終わるまで、二時間と少しくらいはかかるだろう。実際には二時間半ほどかかったようだが、ほとんど知りたい回答は得ることができなかった。ほとんど、まともに答えてくれなかったというのが、二人の印象だった。
ただ、みんなの印象から、殺された二人は不倫関係を続けていたと思っていたのは事実のようだ。
だが、そのうちの一人が気になる反応をしていた。
「あの二人、以前は付き合っていたように思っていましたけど、今は別れたと思っています。男の方から別れを切り出したんだと思いますよ。彼女はしたたかな女でしたからね」
という話を訊けたのは、阿佐ヶ谷課長の部下であり、山口氏の先輩でもある、瀬田主任だった。
「彼女がしたたかな オンナというのは?」
と訊かれて、
「波多野君との別れ話は阿佐ヶ谷さんが昇進の話が出た時の「ことでした。阿佐ヶ谷さんには奥さんも子供さんもおられたので、昇進に不倫という話はタブーだったんです。つかり、阿佐ヶ谷君は昇進の際に我に帰ったんでしょうね。それで別れ話を切り出したと思うんですが、普通だったら、阿佐ヶ谷さんに昇進の話が出ていることなんて、部内でも分かるじゃないですか、このタイミングに言い出した彼を本当に彼女が愛していたのであれば、普通なら逆上しても仕方がないですよね。それなのに、修羅場になるどころか、二人が付き合っていたということも、ほとんどの人が知らなかったというほど、綺麗に別れているんですよ。そこに金銭的な交渉があったのかどうか分かりませんが、課長に昇進した阿佐ヶ谷さんの浮気の話は、それからプッツリとなくなりましたけどね」
と言った。
なるほど、確かにそれまでに聞いた人の中には阿佐ヶ谷課長が課長就任前に誰かと不倫をしていたというウワサを訊いたことがあったが、それが誰なのか、皆知らないと言っていた。
つまり、波多野千晶という女は、阿佐ヶ谷が不倫をしていたようにまわりが思ったとしても、その相手が自分であるということを、故意なのか、故意ではないのか、まわりに知られることはなかったということであった。
もし、故意だとすれば、何を計算していたというのだろう。何かの企みがあって阿佐ヶ谷に近づいた。それをまわりには知られないようにしていたということであろうか。それとも本当に相手のことが好きだったとすれば、相手のためを思って、自分との不倫を知られないようにしていたのとしても、阿佐ヶ谷の方が不器用で、彼自信、誰かと不倫しているということを隠せるだけの技量がなかったのかも知れない。
もちろん、妻子がある身で、不倫をしたのだから、阿佐ヶ谷課長が一番悪いだろう。しかし、妻子がある人だと分かっていて、不倫を繰り返していたのであれば、女性側も同罪だ。まわりの意見としては、その同罪であるということを前提にして、まず二人の立場は同じだけの罪があるとして、さらにどちらが罪深いのかというと、
「女性側の方が強い」
という意見がほとんどだった。
だが、そこに何らかの信憑性のある具体的な例があったわけではない。証拠になるようなものは何もなく、これもあざとさからくるものだとすれば、不倫というものの不気味さを感じさせられた。
もし、そうだとすると、今回の二人を殺害したというのはどういうことになるのだろうか?
どちらにしても、現場検証ができない限りは何を言っても、ただの想像でしかない。
犯人にとっての目的が何なのか、これも想像でしかないが、殺害が目的なのか、それとも何かを物色していてそれを見つかったことで、口封じのために病む負えずにやった犯罪なのか、
表から見た状況だけでは判断がつかない。不思議な液体が意味するものが何なのか、それが問題を解決する一つのカギではないかと思われた。
二人の話ばかりがクローズアップされていたが、実は一人の女性社員を事情聴取した時に、何かを言いたいのだが、モジモジしている様子を辰巳刑事が察した。
その様子は、別に、
「口下手だから」
あるいは、
「こんなことを言ってしまうと、嫌われてしまう」
などというものではなく、本当は言いたくて言いたくて仕方がないのだが、簡単に話してしまうとせっかくの話題がかすんでしまいそうな気がすることで、相手の気を持たせるような態度をわざと取っているという方が正解なのかも知れない。
「それならば」
と、モジモジした態度には気づいたが、彼女の本心は分かっていないふりをする方が、正確な話が訊かれるだろうと思った。
こういう女性は、ちょっとでも機嫌を損ねると、急に押し黙ってしまって、それ以上何も言わなくなる。せっかく自分の中で有頂天になるように気分を高めてきたのに、まわりが冷静であると分かったり、自分を試そうなどと気付くと、プライドのようなものを傷つけられてしまうに違いない。
その彼女がいうには、まず、
「絶対に私が話したということを知られないようにしてくださいね」
という前置きがあった。
この前置きが本心からくるものなのか、それとも自分の態度に対しての、自分自身の演出なのか、分かりかねた。だが、言われるまでもなく、こっちは分かっていることなので、二人は心の中で、
「はいはい」
と答えた。
普通なら、警察官としてのプライドを傷つけられたようなものである。
だが、相手が余計な演出をしていると分かっていると、プライドも傷つかない。
「それくらいのセリフ、当然、彼女ならいうであろう」
という思い、持っていて当たり前だからである。
「実はね。この間すごいものを見ちゃったのよ」
と、まるで、昔からある、女性事務員の、
「給湯室会議」
でもあるかのように、ため口になっている。
それが自分のこれから言おうとしていることへの大げさな演出なのか、それとも、本当に給湯室会議の場にいるかのような錯覚に陥っているのかは分からなかった。
「一体何を見たんだい?」
と、辰巳刑事は興奮もせず、ニコニコ微笑みながら聞いた。